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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 岡田三郎助 《婦人半身像下図》 1936年 解説

岡田三郎助 《婦人半身像下図》 1936年

 岡田三郎助(1869-1939)

婦人半身像下図

1936(昭和11)年 

コンテ・紙

101×65.0cm 

岡田三郎助《婦人半身像下図》 1936

 

 今回採り上げた「婦人半身像下図」は、岡田三郎助が、一九三六年の新文展第一回展に出品し作者の代表作ともなっている東京国立近代美術館蔵の油彩画「婦人半身像」を制作するに当たって描いた下絵である。
 この油彩画を制作するに当たって作者が試みた下絵は、ほかに上半身だけをパステルでかなりていねいに描き込んだものが残っているのが知られているが、掲載の下絵はそれに先立つかなり初期の段階の下絵とみることができる。
 それは、この作品はかなりおおざっぱに図取りされていることから容易に理解できる。とくにこの下絵で興味がひかれるのは、完成作やパステルの下絵では組まれている腕が、この初期の段階ではまだ作者が試行錯誤を行っていたことを教えてくれることである。
 (山口泰弘 中日新聞 1987年8月8日掲載) 


 

 岡田三郎助といえば、明治の後半から大正、昭和にかけての洋画界の重鎮であった。黒田清輝と同じくフランスの画家ラファエル・コランに学んだことで、その画風は決定的なものとなり、その後の一貫した制作態度が日本における正統派の系譜におさまってしまった。それゆえ、若い世代の画家にとって岡田は、アカデミズムの権化のように映っていたかもしれない。
 この作品は油絵ではなく、パステルによる下絵であるため、手の位置を変更したり、人物の背景を模索した形跡がうかがえるが、習作でありながらも彼の堅実な制作態度がよく分かって面白い。
 まず、黒色でおおまかに人物をとらえたあと、茶褐色で陰影をつけ、肌色を経て最後に黄色、そしてピンクの鮮やかな色彩で線と面をかき起こしている。もう一枚次の段階の下絵が残っていて、その下絵は、より本画に近い堅実な描写となっている。
 主観的な描写がもてはやされていたこの時代にあって、彼は確かに取り残された感があるが「婦人半身像」の本画は日本の伝統的な美意識を強く意識したものとなっている。この点では若い世代の画家たちの多くが目指したものと何ら変わりがない。(田中善明 1999年12月2日中日新聞掲載)

 


 

  この作品は昭和11(1936)年の文展招待展に出品された《婦人半身像》(東京国立近代美術館蔵)の下図である。
 パステルによるこの下図からは、腕を体にそっておろしたポーズから、体の前で腕組みをするポーズへと途中で変更されていることがよくわかる。また背景を模索した形跡もうかがえる。
 ところで画中の女性が着ているのは、襟が高く、身体にフィットした旗袍(チーパオ)という中国服である。1920年代頃の日本では、中国服をまとうことがファッションとして流行したこともあり、この時期から中国服をまとった女性像が多く描かれるようになった。
 こうした中国服の女性像成立の背景には、ただ単に中国文化に関する情報の増大やそれに伴う中国文化への憧憬だけでなく、当時の政治的な情勢も大きく関わっている。「帝国日本」が「アジア」へと向けたまなざしが隠されていることも見過ごすことができないだろう。(『中日新聞』美術館だより 2007.7.15掲載 原舞子)

 

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