このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > シャガール 《枝》 1956-62年 解説

シャガール《枝》 1810-20

 

マルク・シャガール(1887 ロシア -1985)


1856-62年
油彩・キャンバス
150×120cm
右下:MARC/ChAgAll/1956-62
(財)岡田文化財団寄贈


 ユダヤの子として生まれ、ロシア人として育ったシャガールは、ユダヤ人であるがゆえ、苦難の道を歩んでいる。華麗な色彩を駆使して、奔放で幻想的なシャガール独自の表現のなかには、こうしたさまざまな原体験が具体的でリアリティーを持って構築されている。
 この作品の中央には夢の世界を飛び交うように男女が描かれている。男はシャガール自身に違いない。花嫁姿の女性は、同じユダヤ人で一九四四年に没したシャガールの妻ベラであろうか。あるいは、一九五二年に結婚したバランティーヌであろうか。
 二人の結婚を祝福するようにあふれんばかりの花束が、そして左上には太陽が希望を表象するかのように配されている。音楽を奏でる子供は二人の幸せを願う天使であろうか、それとも二人が待ち望む子供であろうか。画面全体を支配する青は、鮮やかでありながらも、何か悲しさをも秘めているようで、シャガールの夢と理想を意味するかのようである。 (森本孝 中日新聞 1988年3月12日掲載)

 


 

  シャガールは、ユダヤの子として生まれ、ロシア人として育った。奔放で幻想的なシャガール独自の表現のなかには、苦難の道を歩んだ様々な原体験が具体的でリアリティーを持って構築されている。
 この作品の中央には夢の世界を飛び交うような男女が、斜めに大きく描かれている。男はシャガール自身に違いない。花嫁姿の女性は、同じユダヤ人でシャガールの妻ベラであろうか。あるいは、ベラ没後に結婚したバランティーヌであろうか。
 二人の結婚を祝福するように、溢れんばかりの花束が、そして左上には太陽が希望を表象するかのように配されている。音楽を奏でる子供は二人の幸せを願う天使せあろうか、それとも二人が待ち望む子供であろうか。
 画面全体を支配する青は、鮮やかでありながらも、何か悲しさをも秘めているようで、現実を遊離したシャガールの夢と理想を意味するかのようである。シャガールの微妙な心情が表現された「枝」は、彼の戦後の代表作である。(学芸員・森本孝)サンケイ1988年6月12日掲載

 


 

  シヤガールは、たくさんの作品で、画題として「抱擁する男女」や「花束」を描いている。これらの多くは、彼の最初の妻であるベラにささげられており「花束」は彼女への愛の象徴として描かれている。
 しかし、ベラとは1944年に死別しており、この作品が描かれたころには、すでに新しい妻としてヴァランティーナを迎えている。この作品で男性と抱擁している花嫁は、どちらなのだろうか。また、作品についたタイトル「枝」は何を意味しているのだろうか。
 この画面には「抱擁する男女」を祝福するかのように花が描かれているが、右下には、花瓶に生けられた「花束」が、上部には、たぶんこの絵のタイトルのもととなったと考えられる花のついた「枝」が描かれている。
 花瓶に生けられた「花束」は、他の作品と同様にベラへの愛情を表しているのではないだろうか。美しくみずみずしい花束であても、その寿命は短い。思いは永遠であったとしても・・・。
 「抱擁する男女」は、花束に視線を送っている。ここに描かれた花嫁は、ヴァランティーナではないだろうか。ベラへの思いをヴァランティーナと共有していこうとしているかのようである。
 思い出となってしまった「花束」に対し上部の「枝」には、鳥が留まり、どこかに生えているかのように描かれている。ヴァランティーナとの愛が永遠に生き続けることを祈る、シヤガールの思いを表しているのではないかと感じられる。 (近藤真純 2000年11月30日中日新聞掲載)

 

 

作品鑑賞ワークシート;シャガール《枝》

作家別記事一覧:シャガール

ページID:000057553