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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > ゴヤ 《戦争の惨禍》 1810-20年 解説

ゴヤ 《戦争の惨禍》 1810-20

 ゴヤ、フランシスコ・デ(1746 スペイン -1828)

《戦争の惨禍》 全80点

1804頃 エッチング他・紙

16.0×23.5cm他

 

 一八〇八年、ナポレオンのフランス軍はスペインに侵攻し、そこでは戦争のあらゆる悲惨が繰り広げられた。ゴヤは自らその渦中にあって、一八一〇年ごろから戦争を主題とする銅版画の制作に取り掛かり、八十点以上を完成させたが、その内容ゆえにゴヤの死のはるか後まで公刊されなかった。
 「戦争の惨禍」に収められた八十二点の中には、戦争の残忍さを直接暴き出した作品と同時に、極めて抑制された静かな表現のうちに、真に深い絶望感をもって、人間という存在の抱える底知れぬ深淵(しんえん)の闇(やみ)を鋭く照らし出した作品が含まれている。
 その一点一点が、過酷な現実の告発をはるかに超えて訴えかけるのはゴヤの天才のなせる業(わざ)である。ゴヤは一人の人間としては絶望に陥りながら、画家としての目と技法的探求を決して失うことがなかった。 (土田真紀 中日新聞 1995年7月7日掲載)

 


 

  ゴヤの絵にはよく怪物が登場する。有名な版画集「カプリチョス(気まぐれ)」の扉絵には、眠りこんでいるゴヤのうえに、蝙蝠(コウモリ)や猫、フクロウが描かれているが、それは魔女の使いであるという。そこにはまた「理性の眠りは怪物を生み出す。」と記されており、、人間は理性を棄(す)てればおぞましい行為に走るという二重の意味をもった作品になっている。この版画集「戦争の惨禍」に描かれた怪物は、理性を失った人間の愚かさを象徴しているのだろう。ゴヤの生きた十九世紀初頭はロマン主義の時代だが、相次ぐ革命と戦乱の時代でもあり、画家は情熱的な愛国心と冷徹な観察力をもって、苛(か)酷な戦争という現実を繰り返し描いている。(荒屋鋪透・中日新聞1991年4月26日掲載) 

 


 

  ゴヤの生きた十八世紀は理性の時代と呼ばれている。醒(さ)めた目で世界を見る、科学に裏打ちされた合理精神が、知識人や芸術家に浸透していた。
 スペイン王宮の首席宮廷画家でありながら、パトロンである王侯貴族の肖像画を、凡庸な人間は凡庸なまま、醜悪な人相は醜悪なままリアルに描いたゴヤは、まさに理性に時代の画家であったといえよう。
 一八〇八年、ナポレオンの指揮するフランス軍がスペインを襲った時、ゴヤは国のいたる所で刹りくと破壊を目撃するのだが、彼は自分の目に焼き付いたイメージを、銅版画という手段で大量に印刷した。
 作品には無能な為政者や偽善にみちた宗教家が登場するが、この「彼らは行く道を知らない」と題された絵のように、方向を見失った国スペインの姿もそこに生々しく記録されている。 (荒屋鋪透 中日新聞 1995年2月10日掲載) 

 


 

  二人のゴヤがいる。一人は宮廷画家、といえば聞こえはいいが、ありようは顧客やパトロンの機嫌を不安げにうかがう俳優と仕立屋、闘牛士と社会的地位において一向かわらない、記念の肖像画作者としてのゴヤ。そしてもう一人は、ナポレオンに対するベートーヴェンのような芸術家ゴヤ。
 1792年、ゴヤは原因不明の重病に罹り、九死に一生を得たものの聴覚を失った。しかし、芸術家ゴヤはこれを契機に明確な輪郭を描き始める。版画集「気まぐれ」によって以後の方針をはっきり掴んだ彼が、いよいよ本格的に「現実」の全体像を、しかもあくまで芸術作品の格を保って描ききるという難事に着手した時、「戦争の惨禍」が生まれた。1810年のことである。
 しかし、そこにとりあげられた事件(ナポレオン軍の侵入)のクライマックスは、すでに2年前のことであり、臆病なまでに慎重なゴヤは、身にふりかかるかもしれない危険を何度も計測した後で、ついに「飛んだ」といえよう。
 描かれた内容は酸鼻をきわめる。しかし、それだけでは「芸術」にならない。20世紀のわれわれはゴヤの比類ない芸の力に驚き、むしろ表現の豊かさを楽しむだろう。悪夢がやってくるのはその後である。ゆっくりと、確実に、ゴヤの耳にも聴こえる足音をさせて。(東俊郎)125の作品・三重県立美術館所蔵品 1992年

 

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