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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 2004 > 藤田嗣治《猫のいる自画像》 東俊郎 友の会だよりno.65 2004.3.23

友の会だより所蔵品解説

藤田嗣冶《猫のいる自画像》

藤田嗣治(1896-1968)
《猫のいる自画像》
1927(昭和2)年
油彩・キャンバス
54.3x45.5㎝
東畑建築事務所寄贈


  洒落っ気も娑婆っ気も並みでないひとのはなしはあまり真に受けすぎると馬鹿をみる。それでもあの天才藤田がこういっているのを知れば、だれでもきっと眉に唾をつけるのを忘れるだろう。

 勉強時間にしても普通14時間、仕事をはげむ際には18時間ぐらい筆を持つ日が続いた。朝10時から午後1時まで描く。1時から2時までの間に昼食し、15分昼寝し、さらに2時から7時まで描く。9時までの間に夕食をとって休み、さらに翌朝の4時、ときには5時まで措いて、ようやく寝につき、10時まで約5時間睡眠するという課程であった。(藤田嗣治『腕一本』)

 絵をかくことが好きでしょうがないかれにして限界までの修練をかさねた或る日、無意識が自然をなぞるだけで自在なかたちがうみだされるに至る。身体そのものが一本の筆となったのだ。1913年に憧れのパリに渡って以来、雌伏の時代の「勉強」ぶりはまさに凄いの一語につきる。しかしそれだけがパリでの成功を約束したのではなかった。この職人業の腕の冴えと同時に、世間のありようをよくみて、機をみるに敏な、一種の商才が藤田から匂ってくる。それをかくしてはいない。

 私は彼地の作家の絵を一通りながめてみた。その時分は絵具をコテコテ盛りあげるセゴンザックという大家の流儀もはやっていた。それじゃ俺はつるつるの絵を描いてみよう。また外の者が、バン・ドンゲンというような絵を大刷毛で措くなら、俺は小さな面相、真書(しんかき)のような筆で描いてみよう。また複雑なきれいな色をマチスのようにつけて絵てするならば、自分は白黒だけで油絵でも作りあげてみせようというふうに、すべての画家の成す仕事の反対反対とねらって着手実行したのである。(同上)

 ひとの逆に逆にとゆく「戦略」をとったあげく、藤田ははからずも線による建築と滑らかな絵肌という、かれの内なる日本を発見したといえようか。

(東俊郎・学芸員)

友の会だよりno.65 2004.3.23

 

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