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美術館 > 刊行物 > その他 > 伊藤小坡の本画と下絵 道田美貴 2006.9

美術館のコレクション 2006年度第3期展示(2006.9.12)

伊藤小坡の本画と下絵

作者解説

伊藤小坡

(いとう・しようは 1877一1968)

 

 

三重県宇治山田市・猿田彦祷社宮司の長女としてうまれる。本名佐登。18,9歳のころ、伊勢の画家・磯部百鱗に師事。1898年に画家になる決心をかためて京都に出、森川曾文、続いて谷口香喬に師事した。

大正時代には、《制作の前》(1915、大正4年)、《つづきもの》(1916・大平5年)・《ふたば》(1918、大正7年)など女性の視点で当世風俗を捉えた作品を発表し高い評価を得ている。大正末ころからは、歴史や物語に取材した美人画に移行、《秋草と宮仕へせる女達》(1928、昭和3年)、《伊賀のつぼね》(1930、昭和5年〉などを発表した。

 

本画と下絵

美術館では、一般的に、作り手が完成したと認める作品が多数を占めており、近代以降の作品では、その完成した画面に画家が落款を加えたものが多い。伝統的な日本画の場合、画家は制作過程に応じた幾種類かの下絵を経て最終的な本画(=完成作)にのぞむ。草稿や小下絵でモチーフや画面構成を模索し、本画を手がける直前には、完成作とほぼ同じ大きさ、同じ構図の大下絵を描く。つまり、完成作に至る過程でいくつもの下絵類がうまれるのである。

これらの下絵類と、それをもとに制作された本画との比較が描き手の思考の過程を考える際に有益であることはいうまでもない。さらに、本画が行方しれずになってしまった場合などは、本画を類推するための貴重な資料にもなる。

一方で、資料としての役割にとどまらず、純粋に鑑賞画として、本画に負けない生き生きとした魅力をもつ下絵に出会うことも決して少なくない。手直しが効かない本画と異なり、他人に見せることを前提としていない下絵類に、画家本来の素顔がのぞくことも多い。

 

作品解説

《つづきもの》 1916(大正5)年

身支度を終えた女性が、台所で新聞の連載小説を読みふける様が描かれている。この作品は、1916(大正5)年の第10回文展に出品されて好評を博した《つづきもの》の大下絵。本画(福富太郎コレクション)には、『大坂朝日新聞』という新聞名や「虚栄の女」という小説名、日付までもがこと細かに画中の新聞に描きこまれている。森田草平によるこの小説は、1916年5月17日から8月24日まで実際こ連載されていたらしいので、本作は、詳細な台所の様子も含め当時の風俗をよく伝えている。

ところで、本作と本画の間には興味深い違いがある。大下絵では九日、出品作では八日に変更されている日めくりの日付がそれである。わずか一日だが、この差は大きい。新聞の日付が九日であることから、描かれているのは九日の出来事。小坡は構想段階では九日だった日めくりを前日に変更することで、日めくりをめくり忘れるほどに夢中になる女性の姿を描出した。日々慌ただしく過ごす女性が、自分の楽しみのためだけに時間を使う、その至福のひとときを画面上に凝縮しようとした小坡の思考のあとをこの大下絵にみることができる。

(道田美貴)

 

《ふたば》 1918〈大正7)年

母と子が庭先の一隅で、言葉を交わしながら朝顔の苗を植えかえている日常生活の一場面。画中の母親は小坡自身、大人用の下駄を履いた女の子は彼女の娘で、朝顔とわが子双方の成長を願う母の愛情が満ち溢れている。伊藤小坡は、昭和期以降に制作した多くの美人画や歴史画によって、美人画家として見られることが多い′。しかし、小坡は1915(大正4)年の第9回文展で《制作の前》が三等賞を受賞してデビューを果たし、翌年の《つづきもの》、1918(大正7)年の《ふたば》など、以後毎年のように官展に出品を続け、日常生活の一助を主題とする、いかにも家庭人らしい細やかな感性の作品を描いている。

これら大正期の小坡作品は、画家自身や家族、身近な生活の点景を主題としたもので、家庭人らしい細やかな観察眼に基づく、情感豊かで愛すべき作品群となっている。そこには画家としてだけではなく、妻として、母親として幸せな人生を送った小坡の人となりを窺うことができるようである。

(毛利伊知郎)

 

略歴

1877(明治10)年 猿田彦神社宮司の長女として生まれる。
1895(明治28)年 この頃、伊勢の日本画家・磯部百鱗に師事。
1898(明治31)年 この頃、京都に出て、谷口香喬に入門。
1905(明治38)年 同門の伊藤鷺城と結婚。
1915(大正4)年 第9回文展に《制作の前》を出品、三等賞受賞。
1916(大正5)年 第10回文展に《つづきもの》を出品。
1918(大正7)年 第12国文展に《ふたば〉を出品。
1919(大正8)年 日本自由画壇結成に参加(翌年脱退〉。
1920(大正9)年 第2回帝展に《夏》を出品。
1922(大正11)年 第4回帝農に《山羊の乳》を出品。
1925(大正14)年 第6回帝展に《廻廊》を出品。
1928(昭和3)年 竹内栖鳳に入門。

 

第9回帝展に《秋草と宮仕へせる女達》を出品。
1929(昭和4)年 第10回帝展に《秋好中宮》を出品。
1930(昭和5)年 第11回帝展に《伊賀の局》を出品。
1931(昭和6)年 帝展無鑑査となる。
1932(昭和7)年 第13回帝展に《夕ぐれ》を出品。
1938(昭和13)年 大阪・京都美術倶楽部で展覧会開催。
1968(昭和43)年 京都市上京区で死去。
 

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