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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 物語(テクスト)と絵-19・20世紀のヨーロッパの版画を中心に 土田真紀 三重県立美術館所蔵作品選集

物語(テクスト)と絵-19・20世紀のヨーロッパの版画を中心に

現在「イラストレーション」というと、一般には広告やデザインに関わる商業美術の一分野を思い浮かべるが、もともと英語では、聖書、神話、歴史など、何らかの物語(=テクスト)に基づく「挿絵」を意味している。そうした挿絵の多くはテクストに対して従属的な関係にあり、画面も小さいことから、物語に添えられた単なる図解にすぎないとみなされ、美術のなかでも下位に位置づけられたり、場合によっては美術の範疇外と考えられるなど、しばしば挿絵というジャンルは軽視されてきた。しかし、たとえば日本において、中世以来、絵巻物という形式に則って多くの物語が絵画化され、美術史上も高い評価を受けてきているように、またたとえば、初期キリスト教美術から中世末期に至る西洋美術のなかで、精密細緻な挿絵が文字と一体化し、宝石のような輝きを放つ装飾写本が不可欠の存在であったように、挿絵の歴史は、まちがいなく美術史の重要な一角を占めてきたのである。

それではテクストにはなぜ挿絵が必要なのだろうか。その理由の一つに、かつては文字の読める人々が少なかったということがある。そのためキリスト教などでは、挿絵に限らず美術全般が、その教義を民衆に伝達するため、聖書以上に雄弁な手段であった。そうした挿絵の機能からすれば、当然のことながらテクストと挿絵は密接な関係を保つことになるが、挿絵の歴史に注目すると、物語と絵、テクストとイラストレーションの関係は必ずしも一定ではない。とりわけ近代以降は、最初からテクストの書き手との共同作業として挿絵が描かれる場合、すでによく知られたテクストから新たに挿絵本を構想する場合など、挿絵が成立する事情も様々になってきており、いずれにしても物語と絵の間に緊密な関係、それぞれのケースに固有の有機的な結び付きが成立してこそ、優れた挿絵は生み出されてきたといえる。

たとえばルオー(1871-1958)の《受難》〔69〕は、長年にわたって親交のあったフランスの文学者アンドレ・シュアレスとルオーとの共同制作によるもので、両者の精神的な結び付きこそが、このルオーの代表作を生み出したといえよう。他方、ブレイク(1757-1827)の《ヨブ記》〔70〕やルドン(1840-1916)の《ヨハネ黙示録》〔71〕は、すでに様々な解釈がなされてきた既存のテクストに対して、画家の独創的な解釈による挿絵が新しい生命を吹き込んだ優れた例である。

旧約聖書中の『ヨブ記』は、神に愛された「正しき人ヨブ」が、度重なる試練を経て真の信仰と幸福に至るという、よく知られた物語である。銅版画に取り組む以前に、ブレイクは2度にわたって水彩で《ヨブ記》を制作していた。テクストの中からどの場面を採り、どういう構図を用いて表現するかについては、これら水彩画に基づきながら、銅版画ではさらに独創的な試みをブレイクは行っている。なかでも注意を引くのは、もともとの画面の外に枠飾りが付け加えられている点、すなわち純粋に挿絵にあたる画面の周囲を、様々な文字や装飾的モティーフから成る枠が取り囲んでいる点である。どの頁も、画面のすぐ下に『ヨブ記』の原文(英訳)から、その場面に該当する文章およびその前後が引用され、観者は場面全体の状況を知ることができる。この点ではブレイクの《ヨブ記》も、ある程度テクストに忠実な図解としての性格をもっている。ところが、これに加えて、必ずしも『ヨブ記』からとは限らない、聖書の他の部分などから自由に引用した文章が枠内に散りばめられ、さらに象徴的な装飾モティーフなどが加わっている。扉の頁に「ウィリアム・ブレイク創案・彫版」と記しているように、ここでブレイクはきわめて意識的に『ヨブ記』に独自の解釈を加えているのである。文字、装飾、挿絵が有機的に結び付き、テクストとイラストレーションの総合を実現した《ヨブ記》は、銅版画家としてのブレイクの生涯の集大成というべき作品である。同時に、画面全体が強大なエネルギーに満ちた磁場と化したかのような緻密な線描表現も、彼の到達点を示している。

ブレイクは挿絵を通じて聖書に独創的な解釈を加えた先駆者であったが、その死後数十年を経た19世紀末、強力なカトリック復興の雰囲気の中で、『ヨハネ黙示録』という興味深いテクストに対して、白と黒による独創的な挿絵を描いたのがルドンである。彼は説明的な従来の挿絵の型を破り、テクストに登場するごく限られた対象のみをクローズアップで取り上げる方法を採った。ここでは、彼が駆使する深々とした黒こそが、最も雄弁な挿絵の役割を果たしている。

(土田真紀)


[69]ジョルジュ・ルオー《受難(9)
<この苦しむ人を見よ>》1936年


[70]ウィリアム・ブレイク《ヨブ記 38章7節》1825年


[71]オディロン・ルドン《ヨハネ黙示録(1)
<-その右手に七つの星を持ち、口からは
鋭いもろ刃のつるぎが出ていた。>》1899年

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