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スペインの美術(現代)

アルフォンソ・サンチェス・ルビオ(1959- )の『エンジョイ・ゴルゴタ』[80] − 同じ大きさの長方形が四枚横にならぶこと自体、全体を一目で把握せしめるというより、順々にたどることをうながすとすれば、書物の頁と見るかフリーズと見るか、いずれにせよアルファベットを左から右へ読むのにならって、見る者の注意を留めるのは、まずは、一番左のパネルということになるのだろう。ずいぶん目の粗い布に打ちつけられた、三本の古い大釘の存在がなおさら目を引くのにくわえて、大きく記された銀の文字は、いかにも表紙然としている。ただし文字の列はわずかに歪んでおり、布の目の粗さが、文字を刻印しようとする力に抵抗したかのごとくだ。

二つ目の長方形は、これも古びた、文様のある布で包んである。離れて見れば、右下に石か何か浮いているようなのは、布が擦れたものらしい。三番目と四番目は一応一続きになっていて、左二つに比べれば絵らしいといえなくもない。しかしそれも、何かを描いたというよりは、色材が滲んだり垂れた跡と見える。三番目の長方形の中央には、油の染みこんだ薄い布か紙を切った、十字架がはりつけてある。他方、一枚目と三枚目が、文字なり十字架へ集中する構図をしめすのに対し、二枚目の文様と四枚目の芒漠とした空虚は拡散しようとし、もって交替するリズムをなしている。

四枚を通じて基調をなすくすんだ褐色が、画面を重苦しい雰囲気で浸し、さらに十字架および、左端のパネルに刻まれた「ゴルゴタ」の語 − ナザレのイエスが磔刑に処せられた丘 − は、キリスト教への連想を誘わずにいない。ただこの雰囲気は、色としての褐色のみによってもたらされたという以上に、褐色もふくめて、物として画面を作りあげるさまざまな要素が経てきた、時間の堆積から生じたのではないだろうか。その際時間を堆積させた物質は、表紙状の体裁だの文様がしめすように、何かを削ったり加えたりする力が接触する、表面という形をとる。そして、順々に視線をたどらせる点とあわせて、左から三枚までが、さまざまな時間のさまざまな痕跡をしめすとすれば、右端の長方形に何のイメージも現われていないのは、いまだ何も定まっていない、あるいは、一切が終わってしまった状態 − ある意味で否定神学的な相 − を暗示するものと読みとくことができるかもしれない。

この作品の暗鬱さに比べると、たとえば、チリーダ(1924-2002)の『エルツ』[81]は一見、白のひろがりが喚起する晴れやかさという点で、対照的なものと映る。しかし三つの黒いかたまり同様、中央の部分を除いて白も、よく見れば、何か岩か壁にでも紙を押しつけて、擦りだしたかのような跡を残している。ここでの白もまた、実体感の乏しい色としてではなく、厚みのある物質との何らかの交渉の結果として呈示されているのだ。

もとよりこうした様相をもって、スペインの二十世紀の美術を全て、ひとくくりにできるはずもない。ただ、上の二作品とは対照的に、あざやかな色が豊富に用いられたかに見えるピカソ(1881-1973)の『ロマの女』[76]でも、パステルを紙にあてる圧力の変化がある種の緊張をたたえ、くわえて青と緑という寒色を主体にした色の組みあわせが、必ずしも明澄とはいいがたい不安感をかもすとすれば、具体的にいかなる手続きで画面が作られたかという点でのちがいをこえて、物としての材料とのとり組みに何やら切迫したものを感じさせずにおかず、それが、物質性を強調したというにおさまらない表情をたたえるところに、スペイン美術の、少なくとも一つの相を認めることはできるかもしれない。

(石崎勝基)


[80]アルフォンソ・サンチェス・ルビオ《エンジョイ・ゴルゴタ》
1989年 混合技法、布 61x184cm
[81]エドゥアルド・チリーダ《エルツ》 1988年 
エッチング・紙 94.6x67.9cm

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