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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 横山操「瀟湘八景」 毛利伊知郎 三重県立美術館所蔵作品選集

横山操「瀟湘八景」

横山操(1920-1973)の瀟湘八景[124-131]は、伝統的な水墨技法に現代的な新しい生命を吹き込み再生させた作品で、その斬新な水墨表現は私たちに強い印象を与えてくれる。

水墨技法に取り組むに当たって横山が選んだ瀟湘八景という画題は、中国宋代に発案され、中国や日本で画巻や屏風、掛幅など様々な画面形式と技法によって多くの画家たちが描いてきた、画題としてはポピュラーなものである。

瀟湘八景は、わが国では室町時代以降、漢画系の水墨画家や狩野派、南画家たちによって多くの作品が描かれた。明治以降では、橋本雅邦らは水墨による瀟湘八景を描いたが、近代の瀟湘八景というと、むしろ横山大観(1868-1958)や寺崎廣業(1866-1919)の着色作品がよく知られている。

つくり手の個性が尊重される近代以降では、どのように描くかという表現のあり方だけでなく、何を描くかという作品の主題も画家自身にゆだねられる場合が多く、画題として既に定まった主題が取り上げられるケースはむしろ少ない。

しかし、長い絵画の歴史を見ると、画家が注文を受ける時点で既に発注者によって描かれるべき画題か決められている場合の方がはるかに多い。画家は、指定された画題をその約束事に従って、自身の表現によって描くのであり、画家が画題の内容を勝手に改変することは原則的として許されない。

このように、伝統的な画題は約束事という形の制約を画家に課すことになるので、瀟湘八景といういわば描き尽くされた感がある画題を横山操があえて取り上げたところにも、彼がこの作品を描くに当たって抱いていた意欲と心持ちを窺うことができよう。

瀟湘八景という画題では、晴・雨・雪・風・夕陽・月光といった自然現象とその変化、時のうつろい、あるいは漁村や舟行、晩鐘に象徴される人間の営為、さらには落雁という生物の営み等、自然界で繰り広げられる様々な事象を画面に連続的に描き出すことによって、この世界を凝縮して表現することが大きな眼目となっている。

いうまでもなく、この画題は中国湖南省洞庭湖周辺の景勝地の風景に由来している。しかし、実際の景色に近いか否かということは、瀟湘八景図の歴史においてさほど重要な意味を持っていない。むしろ重要なのは、変化に富んだ自然の有様をいかに視覚的に表現するか、鑑賞者を画中の小宇宙にいかに引き込むことができるかといった点である。横山操の作品でも、実景に近いかどうかということは全く間題ではない。

この作品を描く前年、横山はそれまで属していた青龍社を脱退、それ以前に描いた作品の多くを遺棄して新生を期した。そして、その後初めて開催された個展で富士山や紅白梅など日本の自然を主題とした屏風とともに発表したのが、この瀟湘八景であった。第二次大戦後の荒廃から立ち直り、高度成長が続いていた昭和30年代、欧米の様々な先鋭的な絵画表現も経験し、かつては戦後社会の象徴でもあった工場や建設現場を好んで描いたこともある横山が、伝統的な画題と技法という制約を自らに課して、新生面を開いたのがこの瀟湘八景であった。

東洋絵画の長い歴史の上に立つ日本画家は、様々な面で伝統ということを意識せざるを得ない。その中心は、表現と技法、素材であろうが、現在ではあまり顧みられなくなった伝統的な画題というものを今日的な視点からいかにとらえるかということについても様々な問題を横山の瀟湘八景は提起している。

(毛利伊知郎)


[124]横山操《瀟湘八景(平沙落雁)》1963(昭和38)年


[126]横山操《瀟湘八景(山市晴嵐)》1963(昭和38)年


[128]横山操《瀟湘八景(洞庭秋月)》1963(昭和38)年


[130]横山操《瀟湘八景(烟寺晩鐘)》1963(昭和38)年

[125]横山操《瀟湘八景(遠浦帰帆)》1963(昭和38)年


[127]横山操《瀟湘八景(江天暮雪)》1963(昭和38)年


[129]横山操《瀟湘八景(瀟湘夜雨)》1963(昭和38)年


[131]横山操《瀟湘八景(漁村夕照)》1963(昭和38)年


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