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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > フランス近代美術 生田ゆき 三重県立美術館所蔵作品選集

フランス近代美術

19世紀も折り返し地点を過ぎ、着慣れぬ近代の装いが板につく頃、パリで印象主義という名の芸術潮流が生まれんとしていた。1874年4月15日「画家・彫刻家・版画家等の匿名協会展」(通称「第1回印象派展」)の開かれたキャプシーヌ街35番地の一室を見渡せば、後にフランス近代美術を代表する綺羅星のごとき名を見つけることが出来ただろう。体制お墨付きのサロン(官展)入選こそが富と名声の入り口であったが時代、制度疲労を露呈するサロンに向け、若さゆえの自信と野望に満ちた芸術家たちは新たな地平を開拓せんと決したのである。

ゆえに、印象主義の画家達の作品がことごとくサロン入選作との対比で語られるのも致し方ない。一方が周到に調合された絵具の筆跡を残さぬ入念な仕上げに耽溺すれば、他方はチューブから搾り取られた生の色を時に荒々しく時に不規則なタッチで刻印する。「筆触分割」と呼ばれるこの技法においては、ルネサンスより綿々と継承されてきた、対象それ自体が抱える固有色の描出から、光による色彩の揺らぎに力点は移動した。

挑戦は様式に留まらない。伝統的絵画理論においては、聖書や神話からの逸話や歴史上名高い事件が主題の第一席を占めていたのに対し、同時代の風俗や普段着の景色を積極的に取り上げた。都市の喧騒、カフェでの語らい、反射する水面、風になびく木立。ボードレールの言を借りれば、「移ろいいくもの、消えやすいもの、偶然的なもの」に進んで美を見出す態度とも言えよう。それは例えばモネ(1840-1926)の《橋から見たアルジャントゥイユの泊地》〔63〕の黄昏色に染まる水面やルノワール(1841-1919)の《青い服を着た若い女》〔65〕のやわらかく波打つ黒髪に顔を出す。様式と主題は分かちがたく結びつき、「近代性(モデルニテ)」そのものの肖像ができあがる。

この輝かしき印象主義の栄光も、1880年代には画家たちの成熟に呼応して求心力を失った。1886年印象派展が8回をもち、時代の牽引役役としての役目を全うするや、それぞれが自らの進むべき道を模索することとなる。《ラ・ロシュブロンドの村》〔64〕においては、逆光の中に沈む山並みを量塊としてとらえ、うねるような筆致に色彩は互いに絡みもつれ合う。そこにはもはや光の魔術への無邪気な賛歌は声を潜め、画家をして自ら「陰鬱な」と形容せざるを得ないような、不穏な景色が横たわる。

視覚への絶対的な信仰に根ざした印象主義が伸ばした枝からは数々の鳥達が飛び立った。外界の瞬間の移ろいを画布に永遠に固定せんとする行為は、もとより矛盾を運命付けられたものであり、次第に画家の制御の枠を逸脱し始める。例えば、その一つの表れに、対象の再現という呪縛から解放された色彩が次第に自律性を主張し始めたことがあげられよう。それこそまさに1905年サロン・ドートンヌ第7室に集められ、「レ・フォーヴ(野獣たち)」と呼ばれた作品に共通する態度であった。

遅れてきたフォーヴ、デュフィ(1877-1953)は軽快な筆致と自在な色彩でならしたが、晩年に執心した一連の「黒い貨物船」〔61〕を見るなら、思いのほか口当たりの苦さに驚くかもしれない。故郷ル・アーブル近くのサン=タドレスの入り江に、あまりにも唐突にあまりにも暴力的に貨物船は鎮座している。無骨な輪郭線は画面を覆う黒い皮膜につけられた傷のごとく、不活性な下地の白を露呈させ、画面に明滅する色彩の均衡を狂わせる。

ここで、近代絵画が先を争って脱ぎ捨てた主題を取り戻し、想像力の深遠を復活させんとした画家たちの存在も忘れるわけにはいかない。夢のごとき鮮やかな色彩と奇怪さと説得力を兼ね備えた描写によって、ルドン(1840-1916)は聖書や古典文学の迷宮を19世紀のパリに現前させた。《アレゴリー》〔67〕ではさらに特定の物語に画面が収斂することさえも拒絶し、宙吊りにされたモティーフの解釈はこちら側に委ねられている。強く主張する色彩とはみ出さんばかりの筆遣いに、フォーヴの一員としてあった片鱗は確認されども、《キリスト磔刑》〔62〕におけるルオー(1871-1958) の関心は、キリストが背負った受難への哀悼が勝っている。黒い輪郭線は修行時代に培ったステンドグラスの表現法を想起させ、画家の中で息づく古の作例たちとの対話が彼に落とした影響の深さを思わずにはいられない。幾たびもくり返し取り組んだこの主題は次第純化の度合いを深め、一人の男の生涯への共感へと変貌していくのである。

(生田ゆき)


[61]ラウル・デュフィ《黒い貨物船と虹》1949年頃 [62]ジョルジュ・ルオー《キリスト磔刑》1939年頃

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