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湯原和夫展図録(1988.9)

コラージュから“tableau en papier”

土田真紀

1. この十年の間に,彫刻家湯原和夫の平面作品,湯原自身は“tableau en papier”と呼んでいるそれらは,大きな変貌を遂げたのではなかろうか。

 “tableau en papier”,訳して「紙によるタブロー」。確かに湯原和夫の平面作品は,「紙によるタブロー」と呼ぶにふさわしいものにこの十年の間に変貌してきたように私には思われる。六年前に神奈川県立近代美術館で開催された回顧展の際のインタビューで,「仕事のためのデッサンと,そうでない,独立した作品としてのデッサンがあるけれど,ぼくは,独立したデッサンを採る。」と語っている湯原にとっては,最初からすでにそれはいわゆる下絵としてのデッサンではなかった。しかし何事につけ,ジャンルとかカテゴリーといったものが曖昧になっている現在においては,デッサンという概念自身変容を蒙り,従来の意味から解放され,もっと広範囲のものを指し始めているのも事実である。現にデッサンと呼ばれるもののうちには,従来の下絵という概念を飛び越えて,きわめて自由な平面における表現の追求に向かっているものも少なくない。

 しかしその中にあっても,とりわけ湯原の近作は,敢えてデッサンという呼称を拒否し,「タブロー」と呼びたいという作家自身の意向を納得させるだけのものを含んでいるのではなかろうか。そこに至るにはすでに十年以上の年月が必要であったことになるが。


2. 湯原和夫が平面作品への取り組みを開始したのは1970年代のことである。その初期にあたる1977年から81年までの作品は,鎌倉での展覧会の際に発表された。これら比較的初期の作品は,何よりもコラージュであり,紙の上に様々な素材を貼り付けていくことから始まっている。技法といい,素材の選択といい,湯原がまず彫刻を二次元の平面に移すことを意図しているのが感じられる。また実際,平面の上に実現されたかたちも,湯原の彫刻を思わせずにはおかないのである。

 たとえば1977年の作品(「湯原和夫展」図録,1982年,コラージュ・デッサン cat.no.1)。長方形の布,およぴその周囲を囲むように鉛の薄坂とステンレスの薄板が貼られている。下方に開いた門のような形態,金属の素材を用いていることによって,なるほど,どの作品とも特定はできないものの,湯原の彫刻そのものの二次元化であるという印象を受ける。

 これ以外のデッサンには,コラージュの技法に,鉛筆,アクリル絵具,オイル・パステルによるドローイングとペインティングが加わっている。切り取り,張り付けるという行為に描くという行為が加わる。ドローイングおよびペインティングは,ときにコラージュの部分に重なり,ときに周囲の空間に施される。こうした二つの技法の関係は,平面における貼られた物質と描く行為との拮抗であると同時に,三次元空間における彫刻と周囲の空間との関わりの一つの表現でもある。すなわちここには,同時に二つの探求が行われている。一つは,ステンレス板などの金属から和紙,経木に至る様々の素材に描く行為を加えることによって,平面における表現の可能性に関して,できうる限りの実験を行おうとする探求である。そのため,一点一点素材の組み合わせも異なれば,そこに加わるドローイングも一つ一つ異なっている。ただ,この段階では,あくまでも描くことよりもコラージュの方が主たる技法となっている。

 一方1978年制作の一点(『無題78−3』)は,なかでも彫刻との関連を強く意識させるものである。金属板にアクリル絵具の組み合わせは,この頃湯原がすでに手掛けていた鉄錆を示唆しているほか,全体は門型の構造をなしている。鉛筆によるドローイングは,あたかも鉄錆の彫刻の表面が周囲の空間に放射する目に見えぬ力であるかのように思われる。

 私にとって空間とは私の制作する作品によって構成される有機的な三次元の世界でありまたそれの働きによって生まれてくる諸々の反応を含めたエスパースであり,ある意味においては時間性をも含めたオルガニックなものということができよう。いうなれば,それは私の作品の包含するエスパースであり,また作品によって再編成された有機的宇宙であり,その発言によって生まれてくる波動の無限の限界をも含めた空間ということができよう。
 (「現代彫刻と空間」,みづゑ,1973年11月号)

 湯原にとって空間は,抽象化された一つのモデルとして取り出して説明されるものでも,ニュートラルなそれ自体はからっぽの容れ物でもない。というよりすべてに先駆けて存在する空間というものは前提とされていないのである。それはむしろ彫刻と共に出現する,有磯的な空間である。彫刻を中心に,その周囲をも含めた空間が誕生することになる。それはいわば彫刻の影響を決定的に受けた,彫刻をめぐる空間といってよい。しかし逆に周囲の空間もまた彫刻に様々な影響を及ぼさずにはいないであろう。天候,季節の移り変わり,人工的環境の変化など。そうした相互の影響は,現実にはっきりと目に見えるわけではないが,感じ取られ,体験される。それがデッサンにおいては,具体的にドローイングの線の動きやアクリル絵具による彩色となって視覚化され,定着されている。純粋に素材の実験が進められている一方で,ここでのドローイングにはまだ描写的な性格があるといえよう。

 しかし,1981年に制作されたサイズの大きい一点(『無題81-4』)は,それらとは明らかに異なっている。左右対称のコの字型の構造の左側はオイル・パステルのドローイングによって,右側は経木を貼ることで構成されている。ここでコラージュとドローイングとは,初めて全く同等の価値を有し,対置されている。ドローイングの線はまさに一つの面をつくりだそうとしている。貼ることと描くこと,素材本来の質感とドローイングがつくりだす面の性質,すでに面であるものと今まさに面になろうとするもの,無彩色と色彩。様々なレヴェルでの左右の対比が展開させられている。それにさらに全く異質なアルミ箔が加わる。様々な意味で実験的な作品と言えるが,ここから明らかになるのは,オイル・パステルのドローイング,さらに言えば手を使って描くという行為が生み出す表面の強さであろう。これに比べれば,現にそこに物質として存在している経木やアルミ箔はかえって存在感が希薄になっている。ここではもはや湯原はドローイングを何らかの描写的手段としては用いていない。それは,一つの固有の材質を紙の上に創り出す手段として,コラージュの素材と同じ意味を持つものに変わりつつある。


3. しかし,こうした平面作品が真に突然の変貌を遂げるのは,(恐らく)展覧会を境とする1982年以後のことである。堰を切ったように荒々しい表現が次々に現れる。鉛筆には紙に食い込むほどの力がこめられるようになり,オイル・パステルの乾いた感触に代わって,アクリル絵具の生々しい物質性が前面に登場してくる。白と朱と黒の絵具は混ざり合い,互いに互いの色を侵食し,汚し合う。食卓用のナイフを用いたという塗りは,何か断末魔的な叫びの痕とでも呼びたいような生々しさを伝える。あるいは,螺旋状に円をかたちづくっている,丸められた和紙の厚み,柔らかな質感を打ち消すように,アクリル絵具が施される。ここでは,<描く><塗る>という観念を飛び越えて,絵具は紙になすりつけられ,まるで真っ白の紙が絵具によって汚されてしまったような強烈な印象を生み出している。

 このとき,平面作品はすでに彫刻を離れ,平面そのものにおける造形の開拓に情熱を傾け始めているのである。それは作家自身に莫大なエネルギーを費やさせることになった。筆を媒介させず,アクリル絵具で手を直接使って描いていくという,現実に体力を要する力仕事(手仕事というより)としても。またそれによって全く画面の均衡が失われてしまうと作家が語る「1mm の狂い」にも神経を尖らせる神経仕事としても。

 <素材を実在させる意志>が湯原の平面作品にもはっきりと現れ始めるのはむしろこの頃からであるように思われる。『小モニュメント’62』(cat.no.4)で丸善の大賞を受賞した頃,「現代は行為しなければならない,行為は実存する。素材は単に素材としてのみ存在するのではない。素材は意志のみによって存在し得る。」(「このごろ思うこと」,現代の眼,No.12,1963年)と語った湯原は,20年後のインタビューでも,ドルメン,メンヒルに触れて「巨石をアレンジする意志が,人間の総体的な力として働いている。全人格,全存在を,素材として空間に定着させようとするとき,それをより強く実在化させるために,素材を冷酷に外在させようとする努力がぼくにあっては,構築的,建築的な要素をもつことになる。」(「湯原和夫展」図録,1982年)と語る。後者はより具体的であるとはいえ,この二つの言葉を<素材を実在させる意志>という一つの造形思考が貫いている。そして共に立体に向けられた言葉ではあるが,この湯原の根底にある<意志>が平面をも貫いていることは疑い得ないのではなかろうか。

 この<意志>が,1982年以降の平面作品においては,まずペインティングの激しさとなって現れたのである。ここでは彼の立体作品との異質性が何よりも眼をひく。計算し尽くされ,作為の痕をみじんも残さない,洗練された仕上げのスレンレス・スティールやガラス,琺瑯,毛皮による作品と,特に1982年から85年にかけての画面に常に見られる生々しい絵具の痕とはあまりにもかけ離れているのではないか。手を使ってダイレクトに描いたという積み重ねられた荒々しい絵具の痕は,20世紀絵画に間隔をおいて何度か現れた(ごく最近も「ニュー・ペインティング」として)「表現主義」としてくくられる作品群にあるいは似ていると考える者もあるかもしれない。しかし彼のそれを「表現主義」の系譜から決定的に隔てているのは,それが,個人の内面感情の表出やあらゆる主観性の表現とは絶対に無縁であるという点である。その表面からは確かに大変なエネルギーが周囲の空間に向かって放たれている。しかしそのエネルギーは,基本にある構築的な形態(イメージではなく)へ収斂しようと常に志向している。勢いに任せて放縦さに走るかというと,決してそうではない。そこには,過剰な混沌に向かうのとはまるで逆方向の,強靱な意志が働いている。絵具はあくまでも一つの構造を「構築」しようとする。それはやがて,まるで平面における彫刻のような力強さをもつ,85年から87年にかけての作品の堅固な構成へとつながっていく。

 湯原は地の紙自体は全くニュートラルな存在として扱っている。寸法も同じ,既成の矩形の紙を,ほとんどの場合縦長に用いる。それは全く<地>であり,三次元における彫刻がおかれる以前のニュートラルな空間と同じ役割を果たす。1970年代以来,様々に試行錯誤を重ね,変化の過程を経てきた湯原の平面作品が,この紙の上で一つの確固とした構造と空間を獲得し始めるのは1985年を迎えてからといえよう。そこに現れる構造はほぼ二つに限定される。そのうちの一つについてまず触れよう。そこには非常に興味を惹かれる一つの特質が見て取れる。

 端的に言って,湯原の画面には<地面>が存在するということ,ちょうど彼の彫刻が大地に置かれているのと同じように,平面上に構築された形態が<大地>,すなわち画面の下辺に<足>をつけているということである。したがって,画面には,まるで重力が支配しているように,上下が厳然と存在している。基本的には矩形の構造が,地面から立ち上がるように,経木,和紙,アクリル絵具,鉛筆が積み重なることによって構築されている。この基本の垂直の構造に必ずといっていいほど水平方向の力が拮抗して作用している。それゆえこの構造は安定しつつ,緊張感を保持しているといえる。

 こうした一つの構造をめぐって,作品ごとに様々の素材が駆使される。初期から変わらず経木,アルミ箔,和紙(障子紙),セロテープが登場する。彫刻の場合とは対照的に,平面ではきわめて手近にある素材が中心となる。しかしながら,素材に対する実験精神に貫かれている点に変わりはない。経木は何杖か重ねて,和紙はしわを寄せて貼られる。後者はときには墨汁に浸され,焼いた炭のような質感が与えられている。アルミ箔は丸めて凹凸がつけられる。つやのある部分とない部分がつくられた黒。一度描かれた面が破り取られている部分さえある。こうした手法はそれぞれに固有の材質感を生み,あるいは強調し,素材に強さを与えると同時に,必ず表面に厚みをもたせてもいる。

 素材としての強さと厚み。この二つは共に<素材を実在させる意志>に関わっているのではなかろうか。その点でごく最近登場した棕櫚縄に注目したい。作家自身はこれを用いることを「線の実在化」といい,「ニュアンス」を伴う麻縄より棕櫚縄の方がよかったのだと語っている。確かに棕櫚縄は独特の材質感,一種の荒々しい硬さを有しているが,それほ一切の感情移入を拒否するような強さとなっている。この棕櫚縄が,他の素材のように貼られるのではなく,針金を工夫した針を用いて,縫物でもするように紙に縫いつけられている点については「強靱さを出したかった」と湯原は語ったが,それは同時に背後の紙の裏にまで至らんとする厚みを画面にもたらしている。素材のもつ強さと厚みとは共に<もの>そのものの強さにつながり,実在性を保証するものなのであろう。たとえば『無態87−9』では中央のアクリル絵具の線の上に棕櫚縄の線が重ねられている。何らかのだまし絵を生み出そうと意図されているのではない。黒の棕櫚縄は,同じ黒の上でもその存在を主張するだけの強さをもち,アクリルによって描かれた線とその実在性を競い合う。それでは描かれた線と紙の上に現実に存在する棕櫚縄とはどう違うのか。実はそれは違わないのである。この確認によってアクリル絵具の描かれた線が,いわば棕櫚縄の<影>という在り方を越えて,やはり<実在>そのものの純粋さに近づき,それと同時に日常の<もの>である棕櫚縄もまた<実在>に近づく。

 こうして湯原の平面作品はまるで彫刻のような性格を獲得することになった。大地から立ち上がり,構築的で,なかにはマッシヴな感じ,ずしりとした重量感を与えるものまである。『無彊85−1』はそうした特質を示す最も完成された作品である。それは一分の隙もなく構築されている。その表現は,一見したところ荒々しく思われるので,湯原の立体作品と全く異質なものに感じられるかもしれない。にもかかわらず,それは湯原の緊密に構成された彫刻を思わせるほどに完成されている。これは積極的な意味で,紛れもなく<彫刻家のタブロー>なのである。こうした平面作品は,使用されている素材のために,もほやいわゆるデッサンという概念から大きく隔たっているのみでなく,その内部で,それ以外の何ものとも関連しない,また異質な,独自の一つの完成を達成している。そうした完成は,この十年の間に,湯原が紙という平面と向かい合うなかで,固有の展開を遂げた末に獲得したものといえよう。その意味でこれらの作品は,デッサンではないし,また tableau と呼びたいという作家の意向をうなづかせるのである。ただそうした独自の展開を経てきたものが,その独自の存在の仕方において,なお彫刻と相通ずるものをはっきりと示している点が興味深く思われる。

 さて,上に述べた構造と常に対をなすかのように登場するもう一つの構造がある。<螺旋>である。すでに鎌倉の展覧会にも数点登場しているが,<螺旋>に対応するものは彼の立体作品の中にはない。したがってそれは平面に固有の構造であり,垂直水平の構造とは全く別のものであると考えねばならない。これもまた周囲の空間との関わりという関心から出発した,恐らく湯原にとってのもう一つの根源的な空間図式なのだと思われる。そのなかで最も力強さに満ち,<螺旋>の構造に潜む根源的な生命力を感じさせるのは『無題85−19』であろう。


4. 1987年から88年にかけて,湯原和夫の“tableau en papier”はさらに一つの転換を遂げた。画面からは再びほとんど色彩が消え,モノクロームの空間が展開されるようになってきている。しかし,彼の平面作品が常に刻々と変貌を遂げているのも事実である。先に挙げた『無題85−1』に見られた構築的,彫刻的な充実した<実在>の追求から,すでに1986年になると<空いた空間>への関心が現れ始めている。構築的な形態であることには変わりないものの,次第にその骨格が際だたされるようになってきたのである。それはまるで充実によって画面の手前へ主張し続けていた表面に,ふと風穴が空き始めでもしたかに思われる。と同時にモノクロームへの回帰もまたこの頃すでに始まっており,主として黒が用いられるようになっている。

 紙にしわをよせて,全く同じ紙に貼り付けたシリーズ,たとえば『無題87−3』。これまで様々な意味で求心的に構築されてきた形態が,明快な輪郭を失い,一挙に遠心的に広がり始める。地に足をつけるのとは逆に,かたちは宙に浮かんでいる。この種の作品では,門型の構造をもつモニュメンタルな大きさのもの(『無韻88−10』)であっても,地の紙の上に重ねられたしわのある形態は明らかに宙に浮遊している。重力の世界が無重力の世界へと反転する。これらの作品ではアクリル絵具は画面全体に点々と飛び散り,拡散していく。<実在>という概念もまたここでは反転しているのだろうか。地として使われてきた紙と同一である限り,素材としての紙の実在性は希薄である。ここでは,一度丸められたことによって生まれたしわと,手で破られた縁の不規則さ,木彫用の鑿を使ってあけられた穴こそ,物質としての抵抗感を強く喚起する。そしてそれによって,地の紙の上に確かにもう一つの紙を<実在>させている。しかもこれらはすべて,紙の上に構築されているのではなく,紛れもなく紙に<貼り付けられて>いる。そしてこのことを強調するかのように湯原自身によれば「不安定な感じを出す」というセロテープが多用されている。

 これ以前に湯原がよく用いていた赤を中心とする鮮やかな色彩が,紙に置かれるだけでその存在を主張し始めたのとは対照的に,これらの黒と白とで構成される世界は,いずれが<実在>とも,いずれが<無>とも決めがたい性質を有している。紙に与えられたしわは,否応なく紙が<もの>であることを認識させ,その<実在>を何より強く意識させる。しかし点々と散ったアクリル絵具の黒と,鑿で力一杯あけられた穴とは,いずれも<実在>の証のようにも,また<無>そのものであるようにも思われる。現実に存在する絵具の黒は,ときに<無>あるいは<虚>の感覚を引き起こし,<空虚な>穴は紙の実在性を逆に喚起する。これらの平面作品を見るとき,充実したエネルギーの集積としての<実在>を追求してきた湯原が,いわば<無>もまた<実在>させることを試みているという感じを強く受けるのである。

 いずれにしても,湯原の平面作品は,根源的なものを志向する<実在>の平面における実現(構築)を一貫して追求しているとはいえ,初期のコラージュ的作風から,近年の“tableau en papier”へと大きく転回したといえるのではなかろうか。

(つちだまき・三重県立美術館学芸員)

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