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吉本作次展より

2005年1月15日(土)−2月20日(日)

 表紙に掲げた《最後の晩餐》は、今回の出品作の中でも、直線的なくっきりした形がもっとも強く目を引く作品でしょう。斜めに配されたテーブルは、上から見下ろす視点と相まって、画面に動きをもたらしています。やはりくっきりした線で型どられた人物たちは、いろいろな方向に向けられた視線によって、この動きをさらに込みいったものとすることになります。また画面左側が、右側の暗い地色とは異なる明るい地に何も描かないまま残されているため(実はいったん描いた下描きを塗りつぶしてあるのですが)、右側からいったん断ち切られることで、しかし逆に、地続きに延びることのできなくなった空間に、より暗示的なひろがりがもたらされるわけです。

 ところでくっきりした線が印象的な《最後の晩餐》とは対照的に、《北勢線》ではまず、荒々しい筆致と塗り、赤みを帯びたなまなましい色が目を打つことでしょう。にもかかわらずこの作品でも、《最後の晩餐》同様、側面が断ち切られています(今回は両側で)。また画面下半等では、垂直線水平線があまり目立たぬようにではあれ、組みこまれています。同じようなことは、展示室入口を入ってすぐ右側の壁面に掛けられた、六点の小品でも認めることができるでしょう。ここには、線を主役にした端正な画面と荒々しい筆致や塗りが走り回る画面という、吉本作次の二つの側面の関係を考えるための、手がかりの一つが見出されるかもしれません。

 他方《北勢線》でも《寒山》でも《雪の朝》でも、なまずのようというかどじょうのようというか海坊主のようというか、黒っぽい丸みを帯びた形がぐにゅりと顔を出しています。今回展示された一九八五年の制作になる二点の初期作にも、これらはすでに登場していました。この形の丸みは、《北勢線》の上半で走り回っている荒っぽい線にも認めることができるでしょうし、薄塗りの端正な作品における曲線も実は同様です。線が丸みを帯びた軌跡を残すという点は、吉本作次の画面における特徴の一つなのです。

 対するに荒々しい画面固有の要素としては、線以外に、生乾きの絵具を引きずるようにしてひろげていく塗り方があります。とすると逆に考えれば、端正な画面でははっきりした線を強調するために塗りが薄くなるのに応じて、荒っぽい画面では、筆致の速さや筆がすくう絵具の量に対応するために、引きずるだけの厚さの塗りが必要なのかもしれません。

 ともあれ、支持体のカンヴァス、面的な塗り、線は、表情を変えながらも重なりあいからみあって、単なる物質の重なりではない、絵画空間を生みだすことになります。今は三つの要素を挙げましたが、ここにさらに、《寒山》や《雪の朝》における幾何学的な格子だの、端正な画面でしばしば透けて見える下描きの層などがからまりあって、豊かな空間が現われるさまを感じとること、これこそが吉本作次の画面に入りこむための入口の一つとなりうるのではないでしょうか。


(石崎勝基・学芸員)

欅しんぶんno.154, 2005.1.19

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