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柳原義達のデッサン

酒井哲朗

1.触覚的思考

 以前パリのロダン美術館でロダンのデッサン展をみたことがある。本館の手前右側の礼拝堂だった建物に、おびただしい数の裸婦デッサンが並んでいた。女性のさまざまな姿態をすばやい簡略な筆致でそのヴォリュームやムーヴマンを表現していて、まさに生の躍動とか喜びを堪能させてくれるものであったが、同時にロダンが女性をみつめる辛辣な目を感じた。


ムードンのロダン美術館の収蔵庫で石膏原型の保管状況をみせてもらった。スチール製の整理棚に大量の石膏原型が無造作に置かれていた。地震の心配がないのをうらやましく思ったが、それはともかく、たくさんの《花子像》の石膏原型をみて、あらためて感じたことがある。ロダンは《バルザック像》や《地獄の門》などの構想において、さまざまな試行を重ねたことは知られているが、《花子》の原型群は、ロダンにとって、考えるということと制作はイコールであるということ、手をとおして考えるというロダンの思考様式、いわば触覚的思考というべきもののありようをかいまみた思いがした。


 前述のロダンの裸婦デッサンは、彫刻作品と直接かかわるものではない。彫刻制作以前のもっと初発の目の運動とでもいえばいいのであろうか、目と手の働き、手をとうして世界をみるという精神の運動のようなものである。デッサンは、彫刻家にとっても画家にとっても、すなわち造形作家に共通の基本的な精神のトレーニングというべきものであるが、彫刻家のデッサンには、触覚的思考というようなものが働いている。


 柳原義達は、ロダンの芸術精神を継承した彫刻家のひとりである。柳原さんが日本画から彫刻に転じたきっかけは、ブールデルの《アルヴェアール将軍騎馬像》の図版だったという伝説がある。だが、その後の柳原さんを導いたのは、高村光太郎とロダンだったといえるだろう。高村を経由してロダンを学んだといった方がよいかも知れない。


 高村は、彫刻は決して絵画の立体化ではなく、絵画とは別種のものだという。視覚は世界を印象という目の錯覚の連続としてとらえるのに対し、彫刻家は世界を触覚的に感受し、精神を触覚的に働かせる。彫刻にはこの世でもっとも根本的なものの見方があり、もっとも単純でその故に深い美の世界があるという、触覚芸術論である1。そしてその見事な例証がロダンの芸術というわけである。


 柳原さんも建築と彫刻の空間の比較において、「彫刻は根本的に触覚空間の芸術である2」(1958年)と言明しているが、これは高村の触覚芸術論の単なる受け売りではない。たしかに柳原さんは、青年期に高村の触覚芸術論の強い影響を受けている。1958年といえば柳原さんは48歳であるが、この間に厳しい彫刻人生があった。柳原さんは、ロダンからブールデル、マイヨール、デスピオに連なる生命主義芸術と呼ばれる彫刻の系譜に自らを位置づけた。初期の首の作品から戦後の《犬の唄》あたりまでの柳原さんの作風は、そのような自覚のもとに制作されている。しかし、1953年から1957年のパリ滞在によって大きく変わった。


註:

1.高村光太郎「彫刻について」(『新制作派第5号』新制作派協会、1940、P.41)


2. 柳原義達「孤独なる彫刻」(『柳原義達彫刻論集』筑摩書房、1985、P,178)


 渡仏のきっかけは、1951年の「サロン・ド・メ東京」展に出品されたフランスの彫刻家たちの清新な作品から受けた感動である。再出発を期した柳原さんは、パリでオリコストに学ぶが、この間リシェやセザール、ジャコメッティを知り、ムーアやマリーニの個展をみて、自身の彫刻的資質を疑うほどの衝撃を受けた。だから柳原さんの触覚空間論は、存在の危機ともいえる自己否定的な経験のなかから生まれた確信である。それが作品として結実したのが、《赤毛の女》《黒人の女》(1956)、《バルザックのモデルたりし男》(1957)などである。


2.彫刻家のデッサン

 生命のない肉体はただの物体である。人間は立つことによって生命の本質を示す。重力に抗して立っとき、そこに生命の流れ(ムーヴマン)が生じ、量(ヴォリューム)が相互に関係しあって均衡をつくり、面(プラン)が構成される。重心を移せば量も移動し、新たな均衡が生まれる。人体は螺旋構造をなして、立つという上昇運動を行う。立つことが何故美しいか?具象彫刻は、その原因の追求である。ロダンやブールデルは「立つことの美しさ」を表現したが、ジャコメッティは「立つことの不思議さ」「立つことの不安や恐怖」を表現したのだ、と柳原さんはいう3


 柳原さんはパリのカフェでジャコメッティとたまたま同席したときのエピソードを紹介しながら、ジャコメッティは、「この大地と虚空の空間のなかに孤独な人間像を考えつづけていたのだ4」「死か生か、あるいはそんな詩的な場所からデッサンがはじまり、石膏に像が刻まれていった5」。だから、あの独特の不思議な芸術が生まれたのだと語っている。このような言説は、柳原さんがロダンの亜流を脱し、ロダン、ブールデル、マイヨールやジャコメッティを観測する自らの視点を獲得したこと、そしてそこから近代彫刻の原点としてロダンを再確認し、柳原さん自身の触覚芸術論を構築したことを意味する。


 柳原さんのパリ時代(1950年代)以降のデッサンがのこっている。それは目にしたがって手が自然に動くという風なものではなく、難渋しているかのごとくみえる。柳原さんにとって、対象は自明のものとして存在しているわけではない。それは白い紙のうえに、凝視のなかから、線の集積によって出現するものである。柳原さんにとってデッサンは、生命を内在した人体の量や動き、表面、光と影など、精妙な構造を内包したかたちをその本質においてとらえる試みである。彫刻家は、二次元の平面上においても、対象を立体として触知しようとする。


 柳原さんは、「ロダンのデッサンは両手で握りしめることができる。彼の目は物の表面を見ていない。裏から盛り上がる量として見ている。すべてを厚みとして見ている。ロダンの彫刻家としての目は、内奥をつかみとることにつきている6」という。また、マンズーの版画について、「その線は強く画面につきささっているようでもあり、また鉄や石にはねかえされたするどい鑿あとのようでもある。このするどい線は立体の感情を触手しながら、裏から表へ、表から裏へと、それは昔の偉大な工人たちが彼らの人間衝動を正しく記録した仕事につうじているのだ7」という。これらの言葉から、柳原さんのデッサン観がよくうかがえる。



3.柳原義達「アルベルト・ジャコメッティ」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.50)


4.前掲「アルベルト・ジャコメッティ」P.42


5.前掲「アルベルト・ジャコメッティ」P.43


6.柳原義達「オーギュスト・ロダン」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.18)


7.柳原義達「ジャコモ・マンズー」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.98)


3.ブージェ感−自然の命

桃の実は気高くて瑞気があって、
いくらか淫靡でやや放縦で、
手に持っていると身動きする。
のりうつられさうな気はいがする。

 柳原さんは、桃の実は身動きしそうで美しいという高村光太郎のこの詩の言説を、好んで引用する。「先生の彫刻は、身動きしそうな桃の生命を、すなわち自然の命を触手することであった8」という。自然の命を触手するという点で、柳原さんには鴉や鳩のモチーフがある。「道標」と名づけられたこのシリーズは、後年の重要なテーマであるが、人間中心主義の近代彫刻において、これはいささか異色であるといわねばならない。魂の容器であり、荘厳なカテドラルにたとえられる人体とは趣が異なる。


 鴉との出会いは、1965年に動物愛護協会から委嘱された馬の背にとまる鴉のモニュメントの制作がきっかけというが、以来鴉に魅せられ、やがて鳩が加わった。精悍な鴉と穏和な鳩、柳原さんは、これらの鳥たちを手元に飼育し、自然の命を観察し表現した。


 「私は自分の美の体質が表面的な型から奥行きの方向へ、奥行きのなかにあるブージェ感(身動き)による生命の内在へ、美意識の本質的な思考への転換をしなければならないと思った9」と語っているが、具象彫刻=人体という定型的思考から自由に、人間からさらに広範な自然に内在する生命へ向かった柳原さんの造形思考は、美意識の転換といわれてしかるべきものであろう。


8.柳原義達「高村光太郎」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.137)


9.柳原義達「私と彫刻」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.197)


 柳原さんは、鳥たちとデッサンを通じて心を通わせ、かれらの内部生命を触知しようとする。さまざまな姿態のデッサンがあり、とくに飼育期間の長い孔雀鳩のデッサンは多数描かれている。彫刻は時間を封印された芸術である。彫刻における動勢(ムーヴマン)は、ひとつの態度から次の態度への移行であり、それは前の時間から次の時間への移行でもあり、彫刻はそれを空間のなかに象徴的に表現する。人間は重力によって支配されるが、羽をもつ鳥たちは自由に飛翔する。したがって鳥の生命感情には飛翔の欲求が内在する。彫刻作品において、それはひとつのかたちとして象徴的に表現されるが、デッサンはより自由で変化に富んでいる。とりわけ鳩のデッサンについて、そのことを強く感じる。



4.彫刻家であること

 柳原さんは、モデルのデッサンを日課として欠かすことはない。近年目を悪くして彫刻制作から遠ざかっているが、デッサンを休むことはない。それは彫刻家であることの証である。柳原さんは《靴下をはく女》について、「デッサンをくり返しやって、頭のなかにこのテーマがはいったら制作にはいります」と語っているが10、デッサンが彫刻制作の前段階であるとするなら、柳原さんは日々デッサンを続けることによって、未完の彫刻をつくっているといえる。


 柳原さんのデッサンは、フェルトペンを使って、強い筆圧による線の集積のなかから形が現れてくる。叩きつけるような筆圧の強さによって、時には紙が破けたりする。イタリアの彫刻家のデッサンを鑿でけずるような線と形容したが、それは柳原さん自身にあてはまる。世界を触知する彫刻家の目は、対象の奥行きを求め、目に見えるものの内奥を探る。平面に奥行きや虚実の空間を求めるそのデッサンは、光と影、明部と暗部が対照され、交錯し、ときには黒く塗りこめられて、モデルが闇のなかから浮かび上がってくるかのようである。1995年頃のクレヨンを使ったグレーや白のトーンのデッサンに、岡泰正氏は、薄明の視界のなかで、まばゆい光に鋭敏に感応する、柳原さんの「執心の凝視」をみている11


 柳原さんは、繰り返しや定型化をアカデミズムとして峻拒する。かつてグレコにその危険を感知し、マリーニの作品のそれぞれに苦悩を認めて称賛した12。柳原さんは、日々のデッサンにおいても、原初的な形象を求めて苦悩する。柳原さんのデッサンは、常に混沌を内蔵している。この点が柳原芸術の深さであり、魅力であろうと私は考えている。


 柳原さんの「こんにゃくの比喩」はおもしろい。人間の生活空間と犬の生活空間が異なるように、建築的空間と彫刻的空間は異なるという。彫刻とは根本的に触覚空間の芸術であり、建築家はこんにゃくを立たせるために箸かフォークで工作するだろうが、彫刻家はこんにゃくに触手を入れ、こんにゃくの触覚的生命を引きずり出し、新たなる小宇宙として立たしめることが出来る13、というのである。柳原さんにしては珍しく一種啖呵に近い小気味よさであるが、これは柳原さんの彫刻的確信である。建築家は構造計算し、彫刻家はデッサンをする。柳原さんにとって、デッサンは生の営為そのものである。生あるかぎり、人体という身近な自然のなかに未知なるものを探る柳原さんの孤独な営みは続くのであろう。


(三重県立美術館長)

10.岡泰正「せめぎあう動勢を見すえて−柳原義達のデソサン」(『柳原義達展』図録、三重県立美術館ほか、1995−96、P,45)


11.前掲「せめぎあう勤勢を見すえて」P.47


12.柳原義達「マリーニ、ファッチーニ、グレコ」(前掲『柳原義達彫刻論集』P.84)


13.前掲「孤独なる彫刻」P.179

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