このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

文献

1.【著述目録】

「新しい日本画」『新潟日報』1959年6月13日
「武蔵野の肉体」『三彩』129 1960年8月
「アメリカスケッチ」『三彩』141 1961年8月
「視覚的・触覚的世界‐私が見たアメリカ−」『藝術新潮』第12巻第8号 1961年8月
「武蔵野」『日本経済新聞』1962年3月18日
「忘れられぬ弥彦山(ふるさとの夏10)」『新潟日報』1962年8月5日
「六感」『毎日新聞』(夕刊)1962年8月15日
「悪人たらんとし・青龍社を脱退して」『藝術新潮』第13巻第10号 1962年10月
「黒い広場で」『日本経済新聞』1962年12月23日
「武蔵野あちらこちら 上 深大寺」『毎日新聞』1963年1月19日
「武蔵野あちらこちら 中 基督教大学」『毎日新聞』1963年1月21日
「武蔵野あちらこちら 下 府中」『毎日新聞』1963年1月22日
「野尻湖」『日本経済新聞』1965年7月11日
「山の上の町」『日本経済新聞』1965年8月
「夏と私」『朝日新聞』(夕刊)1965年8月25日
「私のシゴキ教室」『藝術新潮』第16巻第12号 1965年12月
「表紙の言葉」『中央公論』1966年1月−1968年12月
「榎」『朝日新聞』(夕刊)1966年1月6日
「追悼・川端龍子」『藝術新潮』第17巻第5号 1966年5月
「人間修業」『三彩 増刊号 追悼川端龍子』202 1966年6月
「廬山の月」『朝日新聞』(夕刊)1966年8月23日
「中国の旅」『三彩』205 1966年9月
「揚子江を下る−今夏中国の旅を了えて」『萌春』 1966年9月
「秋の酒」『日本経済新聞』1966年10月11日
「長城万里」『日本経済新聞』1966年10月16日
「自作を語ろう」『絵』1966年12月
「展望」『毎日新聞』1967年8月7日
「縁日回想 夏」『朝日新聞』(夕刊)1967年8月8日
「東京摩天楼」『読売新聞』1967年11月2日
「吉祥寺界わい」『読売新聞』1967年11月9日
「宅地造成」『読売新聞』1967年11月16日
「千葉の海」『読売新聞』1967年11月23日
「青梅の道」『読売新聞』1967年11月30日
「三陸の秋」『日本経済新聞』1968年9月22日
「波涛 偶感」『三彩』235 1968年9月
「美術の宿命−渋谷弘吉日本画展に寄せて」『東奥日報』1968年11月1日
「芸術家のスト」『毎日新聞』(夕刊)1968年12月24日
「武蔵野」『日本経済新聞』1970年8月11日
「犬のいる風景」『藝術新潮』第21巻第1号 1970年1月
「独断する水墨−水墨画こそわれらが究極(加山又造と)」『藝術新潮』第21巻第2号 1970年2月
「古径の洗濯場」『三彩』242 1970年7月

2.【談話筆記】

河北倫明、竹林賢、吉岡堅二、横山操
 「座談会・日本画の問題点をめぐって」『みづゑ』653 1959年
藤井一夫、河北倫明、小森淳三、小森盛、大山忠作、中村正義、横山操、飯田祐三、鈴木進、原田利春
 「座談会・現代日本画の諸問題」『三彩』155 1962年10月
麻田鷹司、加藤東一、加山又造、今野忠一、横山操
 「座談会・日本画はどうあるべきか」『三彩』171 1964年3月
加山又造、横山操、平山郁夫、麻田鷹司、藤本韶三
 「座談会・現代日本画と日本人‐現代日本画の彼方−」『三彩』253 1970年1月

3.【参考文献】

〈画集類〉

『現代日本美術全集10 横山操』 久富貢 1956年 角川書店
『横山操』1971年 村越画廊
『画集 横山操』1977年 集英社
  吉村貞司「横山操の世界」
  加山又造「横山さんの絵をよせて」
 「横山操遺稿撰」
 横山基子「あとがきに代えて」
『アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編13 横山操 中村正義』1978年 朝日新聞社
  朝日晃「横山操の人と作品」
  宗左近「横山操との対話」
  加山又造「教授 横山さん」
  米倉守「作品解説」
  土屋悦郎「年譜」
『横山操素描集』1980年 講談社
『現代の水墨画 8 加山又造・横山操』1983年 講談社
『横山操画文集 人生の風景』1986年 新潮社
『20世紀日本の美術10 加山又造/横山操』1986年 集英社
  弦田平八郎「人間火山−横山操」
  弦田平八郎「名作の誕生 原風景を見事に描いた〈越路十景〉」
  弦田平八郎「評伝 横山操 熱情と奮激、情熱と行動の人」
  川口直宜「年譜」
『現代の日本画 横山操』1991年 学習研究社
  児島薫「名作の背景〈塔〉−戦後の墓標あるいは人気作家誕生への指標」
  児島薫「評伝 横山操−生きいそぎし画人」
  児島薫「主要作品解説」
  年譜
『ARTISTS JAPAN 39 横山操』1992年 同朋舎出版
  天野一夫「画家の生涯 激情から沈潜へ」
  天野一夫「作家と活動 戦後日本画の[風景]」

〈展覧会カタログ〉

『追悼特別展・横山操の回顧』1973年 山種美術館
  横山基子「夫横山操のこと」
  安東次男「題名のない記憶」
  小川正隆「追憶−晴れた、悲しい日曜日の朝」
  河北倫明「故横山操君のこと」
  加山又造「優しかった賢兄を偲ぶ」
  川端紀美子「父と似ていた横山さん」
  小島信夫「訪問記を書いたとき」
  平山郁夫「横山操氏の遺作展によせて」
  山崎富治「創造の鬼才を惜しむ」
  藤本韶三「横山操と青龍社」
  吉村貞司「横山操の中の不滅なるもの」
  宗左近「熔岩」
  年譜 参考文献 出品目録
『県人作家秀作展・横山操展』1974年 新潟県美術博物館
 「横山操の生涯」
『横山操遺作展』1977年 朝日新聞社
  佐々木直比古「横山芸術を彩る黒・白・赤」
  加山又造「横山操の[情熱]と[行動]の生涯」
  年譜
『回顧展 横山操』1980年 福井県立美術館
  八百山登「横山操その人と作品」
  年譜
『日本画の現在を視る−戦後日本画における古典と現代』1986年 三重県立美術館
  山口泰弘「横山操の水墨画への転化」
『横山操展』1986年 西武美術館+新潟県美術博物館
  針生一郎「横山操のなかの[地獄]とそこからの解放」
  加山又造「横山操の[遺作展]によせて」
  横山基子「おもいで」
  年譜 出品目録 主要文献資料
『横山操・横山大観の瀟湘八景と近代の日本画』1990年 三重県立美術館
  陰里鉄郎「横山操・横山大観の瀟湘八景−日本画の伝統と近代」
  森本孝「横山操から瀟湘八景の歴史を辿る」

〈単行書〉

『近代日本画の人脈』田中穣 1975年 新潮社
『炎の画家横山操』田中穣 1976年 講談社
『横山操』村瀬雅夫 1992年 芸術新聞社

〈逐次刊行物〉

久富貢「日本画の新人たち」『藝術新潮』第8巻第10号1957年10月
瀬木慎一「横山操〈新人作家・_T〉」『三彩』107 1958年10月
小島信夫「横山操〈明日を創る人4〉」『藝術新潮』 第10巻第4号1959年4月
(虎子)「横山操〈人物点描〉」『美術手帖』160 1959年7月
三木多聞「横山操小論」『美術手帖』173 1960年5月
中村渓男「横山操の近作」『三彩』126 1960年5月
針生一郎「[因襲]にもたれるな―横山操へ〈特集・才能ある藝術家に忠告する〉」 『藝術新潮』第11巻第8号1960年8月
藤本韶三「横山操氏(画室訪問 23)」『三彩』137 1961年4月
中原祐介「ワイド日本画―横山操の新作―」『藝術新潮』第14巻第3号1963年3月
久富貢「横山操〈塔〉『日本経済新聞』1963年3月7日
富山秀男「横山操の転進」『三彩』160 1963年3月
吉沢忠「横山操の瀟湘八景」『藝術新潮』第14巻第7号1963年7月
瀬木慎一「横山操〈瀟湘八景〉」『日本経済新聞』1963年8月21日
河北倫明「日本画の課題からみた横山操と加山又造」『三彩』187 1965年6月
藤本韶三「横山操の歩いた道」『三彩』187 1965年6月
山崎省三「横山操の環境」『藝術新潮』第17巻第4号1966年4月
生野幸吉「横山操と加山又造の競作」『藝術新潮』第18巻第1号1967年1月
永井信一「横山操・水墨展について」『萌春』1968年4月
山本太郎「新作・水墨[越路十景]を発表した横山操」『三彩』230 1968年6月
虫明亜呂無「〈日本人物探検〉横山操−行動の美学」『小説新潮』1968年11月
吉村貞司「近代日本画のルネサンス」『藝術新潮』第20巻第12号1969年12月
安東次男「ディアローグ・横山操」『みづゑ』784 1970年5月
宗左近「加山又造・横山操の弟子」『藝術新潮』第21巻第6号1970年6月
小川正隆「〈横山操の人と作品〉再起の画家・横山操」『求美』冬号1973年
針生一郎「横山操の再起〈フットライト〉」『藝術新潮』第24巻第4号1973年4月
加山又造「追悼横山操・賢兄横山操逝く」『藝術新潮』第24巻第5号1973年5月
針生一郎「追悼横山操・乱世の英雄」『藝術新潮』第24巻第5号1973年5月
吉村貞司「追悼横山操・豪壮なる危機感−自身が画紙の十字架にのることだ」 『藝術新潮』第24巻第5号1973年5月
小森盛「円の内側と外側―加藤栄三と横山操の死」『日本美術』97 1973年5月
桑原住雄「横山操論〈連載現代日本画論X〉」『三彩』303 1973年6月
山本政雄「横山操をしのぶ−日本画懇話会のころの横山操君」『美術グラフ』122 1973年6月
田中穣「日本の人脈・横山操」『読売新聞』1974年1月4日−9日
「横山操さんの一周忌」『読売新聞』(夕刊)1974年4月3日
小川正隆「横山操〈回想の美術家たち〉」『ピジョン』 6−5 1976年
吉村貞司「横山操の遺族とともに」『京都新聞』1976年9月3日
藤本韶三、大山忠作、針生一郎、桑原住雄「座談会・意気壮大な世界−横山操」『三彩』357 1977年5月
吉村貞司「挫折と再起―横山操論―」『三彩』357 1977年5月
針生一郎「横山操の遺したもの」「藝術新潮」331 1977年7月
田中日佐夫「横山操の伝説」『朝日新聞』(夕刊)1978年11月13日
田中日佐夫「麦僊と操・その原造形を風土に追う」『アサヒギャラリー』43 1979年
横山基子「横山操−思いだすままに」『求美』42 1980年1月
久富貢「横山操を思う」『三彩』396 1980年
藤本韶三「横山操断想」『三彩』396 1980年
村瀬雅夫「反逆と線の復興・大観−龍子−操〈特集・日本画の本流を探る〉」『求美』42 1980年1月 針生一郎「横山操」『藝術新潮』369 1980年9月
栗田勇「横山操〈日本の名山譜3・桜島〉」『藝術新潮』第33巻第12号1982年12月
芳賀徹「風景の比較文化史−〈瀟湘八景〉と〈近江八景〉」『比較文学研究』50 1986年
「特集・横山操」『アート’86』117 1986年
  小島信夫「横山操と白隠」
  加山又造、針生一郎「(対談)スタイルは多様に」
  中島芳郎「文化の〈重み〉」
  平山郁夫「荒々しく、細やかな人」
  大山忠作「横山操さんのこと」
  山崎富治「赤富士と白富士」
  平松礼二「茜色の墓標」
  村越伸「深大寺の五輪塔」
  福王寺法林「ウサギとカメ」
  米谷清和「魂・愛」
  能島和明「横山先生の思い出」
  小島智英「わが道を行く」
  松下宣廉「情愛の先生」
  佐藤良助「先生の事」
  山本孝「横山操の生きた時代」
田中淳「横山操〈塔〉現実を呼吸するものとして」『現代の眼』469 1986年
「特集・横山操」『三彩』469 1986年10月
   横山秀樹「横山操の画業」
   藤本韶三「追想横山操」
「特集・炎の男・横山操とその〈周辺作家〉」『月刊美術』134 1986年11月
   草薙奈津子「時代と己の真実を吐き続けた操」
   小泉智英、中野嘉之、松下宣廉、米谷清和「座談会・身をもって示した“描く”姿勢“生きる″姿勢」
   横山基子「いい想い出をたくさん残してくれました」
   麻田鷹司他「横山操の想い出」
   居原田修他「横山操との出会いと絵」
   編集部「依然、赤富士は横山の代名詞」

〈個展批評・記事〉

「横山操個展」『藝術新潮』第7巻第3号 1956年3月
「青龍社社人横山氏個展開く」『新潟日報』1959年6月9日
「両デパートで三つの展覧会−彫刻美術展、横山操展、世界カレンダー展」『新潟日報』1959年6月10日
酒井啓之「横山操(現代日本の作家像1)」『美術手帖』173 1960年5月
林文雄「横山操展をみて」(現代美術の焦点シリーズ第1回展)『萌春』1960年7月
「春の青龍展(横山操一船渠)」『三彩』137 1961年4月
藤本四八「横山操氏を訪ねる(写真)」『三彩』137 1961年4月
「操・法林二人展」『三彩』147 1962年2月
(享)「横山操個展(諸展観評・水墨越後風景)」『萌春』1963年3月
「轟会四回展」『三彩』160 1963年3月
「船原ホテルの壁画横山操(写真)」『藝術新潮』第14巻第5号1963年5月
「横山操屏風絵展(写真)」『萌春』1963年8月
(享)「横山操屏風絵展(諸展観評)」『萌春』1963年8月
「特集・美術界を支配する五都展」『藝術新潮』第14巻第10号1963年10月
多田信一「地上会展(横山操・加山又造・麻田鷹司・加藤東一)」『三彩』167 1963年10月
「横山操の二つのアトリエ〈人気に支えられた生活と意見〉」『藝術新潮』第15巻第7号1964年7月
野中昭夫「横山操(写真)〈生まれでる周辺4〉」『藝術新潮』第17巻第4号1966年4月
針生一郎「五都展への苦言」『藝術新潮』第17巻第7号1966年7月
「屏風絵を競作する横山操・加山又造画伯」『三彩』207 1966年11月
「横山操の水墨・越路十景―彩壺堂―〈新しい画廊〉」『藝術新潮』第19巻第6号1968年6月
「横山操個展―水墨越後風景展(写真)」『萌春』1973年3月

 注記:この文献目録は、『横山操展図録』(1986年 西武美術館+新潟県美術博物館)所収の文献を参照し、一部追加と訂正を編集者が行った。

毛利伊知郎(三重県立美術館学芸課長)編

ページのトップへ戻る