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「聚落を囲う壁」を見て思うこと

毛利伊知郎

この展覧会のために保田春彦は、《閉ざされた門》、《聚落を囲う壁》という鉄を素材とした新作をあわせて5点制作した。これら5作品は、1993年に開催された個展(「幕舎:Tabernaculumについて」、南天子画廊)で発表された鉄による《幕舎》のシリーズに続く大作である。

 初めに、《聚落を囲う壁T・U・V》を見ることにしよう。《聚落を囲う壁》の3連作は、堅牢な鉄板の構造体が、ある時はリズミカルに、またある時は重々しく、複雑に組み合わされて、安定感、不安感、重量感、浮遊感など変化に富んだ印象を私たちに与えてくれる。いずれも厚さ2cmほどの鉄板を主たる素材とし、約2cm角の鉄棒が部分的に使用されている。

 各作品毎に若干検討を加えよう。《聚落を囲う壁T》(出品番号41)は、鉄板の構造体三つと鉄の角棒で構成された部分のあわせて四つのパーツからできている。鉄板の構造体は、それぞれ高さと幅を異にしたいびつな矩形の断面をなし、それらが前後に、少しずつ屈折したように組み合わされている。この作品からは、タイトルにあるようにヨーロッパの中世都市に見られる城壁を連想することもできよう。

 鉄板で作られた各パーツの大きさが少しずつ異なるために、見る位置や角度によって、各構造体がある種のリズミカルな動きを私たちに感じさせ、また断面から覗き見える光の届かない空間の存在は、神秘的な奥深さをこの作品に与えることになる。

 こうした効果を生み出す要因として、鉄の面的な効果もあげねばならないだろう。かなり厚い鉄板は、水平か少し傾斜した上向きの面と、左右の垂直あるいはそれに近い傾斜した側面を持っている。その多くは平面だが、ある部分はゆるやかな曲面に仕上げられ、それらの組合せによって、深い陰影に富んだ立体的なフォルムがつくられることになる。そして、この作品は手前ほど高さを減じ、やや斜め方向へ振っているために、重量感のある厚い鉄板を素材としているにもかかわらず、見る角度によってはある種の不安感を与えることもある。

 鉄板の構造体の先端に置かれた鉄の角棒による構造体は、ずっと私たちの視野を占めていた鉄の面がつくる重々しさから私たちを開放すると同時に、鉄板の構造体がもつ運動感を吸収して、それを空間へ放出する役割を果たしているようだ。《聚落を囲う壁T》に認められる以上のような特徴の多くは、他の「U」と「V」にも共通している。

 《聚落を囲う壁U》(出品番号42)は、高さ60cmほど、縦横1m余りの変則的な直方体と、鉄板と鉄棒の構造体とから構成される。直方体の部分を除けば、作品を構成する部材の形状は、大きさは異なるが「T」「V」とほぼ同じと見てよい。

 しかし、「T」および「V」と異なる要素も少なくない。重量感のあるマッシヴな効果を持つ、砦のような建造物を連想させる直方体の構造体の存在が最も大きな違いである。また、この丈の低い《聚落を囲う壁U》に対する時、私たちは作品を見おろすことになるが、その結果この作品では、鉄板の構造体の水平方向への指向性がより強調され、作品は視覚的により安定した印象を私たちに与える。

 しかも、「T」と同様に少しずつ大きさを異にする構造体は、直線状にではなく、互いに角度をつけて配置されているために、側面部分の凹凸が見る角度や光線の違いによって、複雑な表情を見せることになる。

 《聚落を囲う壁》シリーズ中、最も大ががりな作品が「V」(出品番号43)である。この作品は連作の「T」がより複雑になった形を示し、鉄板の構造体はV字形に二方向へ延びている。この作品の基本的な構造や組立の方式は、「T」と同じである。しかし、与える印象は非常に異なる。この作品では、鉄そのものの重量感や、かなりの大きさを持つ堅牢な鉄板の組合せから生まれる躍動感が前面に押し出されている。その結果、この作品は3連作中最も力強い構築性と存在感を獲得している。

 このように《聚落を囲う壁》3連作を検討してみると、相似た形の鉄板による構造物を単位として用いながら、単に形や空間構成のヴァリエーションの提示に終わることなく、それぞれに異なる造形感情が盛り込まれていることがわかる。

 保田作品には、三次元的な広がりや運動感を求めるというより、単純な直方体や立方体を基本的な形として、空間の中でそれ自体で完結している求心的な印象を与える彫刻が少なくない。しかし、少なくともこの《聚落を囲う壁》において、作者は作品と周囲の空間との有機的な関係あるいは作品白身が持つ動勢についての試みを行っている。

 一方、《閉ざされた門T・U》の2連作は、空間的な広がりを持った《聚落を囲う壁》とは異なり、垂直に天に向かって立ち昇る直線的な指向性の強い作品である。そうした意味では、この作品はこれまでの保田作品の多くにつらなるものといってもよいだろう。

 この作品のタイトルには、神聖な建物の巨大な門扉のイメージが込められているように見受けられる。しかし、そうした想像を離れて、作品の形に的を絞ると、複数の直線と平面の重なりから生み出される研ぎすまされたシャープな形をそこに見ることができる。金属の平面あるいは明暗の効果を生む直線的な溝、スリットの効果を活かした構成は、この彫刻家の一つの特徴である。


以上の新作5点は、近年における保田作品のめざすところを示していると見てよいだろう。以下では、連作あるいは複数ピースの作品、素材の表面仕上げ、タイトルと具象的イメージ、という三つのテーマを中心に、この彫刻家の造形に関わる問題をもう少し検討してみよう。

 保田春彦は、単体の作品だけではなく、同じタイトルをもつ連作や、複数のピースで構成される作品を多数制作している。今回発表される新作もそれに属する。そのような連作あるいは複数ピースの作品において、基本になるフォルムはほとんど同じである。それらは全く異なる形や空間構成を示すというものではない。

 たとえば、−辺10cm、長さ130cmほどの鉄の角柱を基本形とする1978年の《赤錆のクニコロ(地下道)》(出品番号17)3点組において、作者は曲面を持つ突起、溝状の切り込み、あるいは方形の貫通孔などを用いながら、抑制のきいた、しかし深い内省が込められた世界を3点それぞれに造り上げた。

 また、1982年に制作された《都市の方位−南から北へ》(出品番号21、22、23)は3連作であるが、ここでは高さ1m弱、一辺60cm余りの直方体がペースとなり、その上部に幾何学的な形が表された円形と多角形、矩形を基本とする構造体が乗せられることになる。

 こうした例は他のいくつかの作品にも共通するが、形や素材の面で視覚的に近似した外観をもつ連作における作者の造形的な試みの跡は、近作の《幕舎》シリーズになると、より多彩になっている。

 1992年から翌年にかけて制作されたステンレスと御影石とを主たる素材とする《石に立つ幕舎》(出品番号30)、《石を囲う幕舎》、《石を包む幕舎》(出品番号33)、《石に伏せる幕舎》(出品番号31)、《石にもたれる幕舎》(出品番号32)では、石とステンレスという異なる素材の対比にとどまることなく、平面と曲面との関係、形の持つ方向性の問題、ステンレス板の面と断面とが様々な関係の中でつくり出す複雑な空間構成といった造形上の問題が追求されているようだ。

 たとえば、数センチ幅のステンレス板を、細長い石柱の周囲にもたれ立たせた《石にもたれる幕舎》では、空間を裂くような垂直方向への鋭角的な指向性が生まれているのに対し、半球の御影石をステンレスで包み込んだ《石をつつむ幕舎》には、どこかに母胎のあたたかさと大地のおおらかさを連想させる安定感と自己完結性がある。他の作品も、それぞれに固有の形の中から、相異なる感情を私たちに与えるのだが、そうした連作におけるヴァリエーションの中では、形態と感情とが密接に結びついている。


 ところで、《聚落を囲う壁》と《閉ざされた門》の連作は、風雨にさらされて赤錆を浮き上がらせた後、丁寧な表面研磨が施され仕上げられている。人為的な着色などはなされていない。その結果、鉄の表面は自然のままの複雑なトーンを持つ。そこには、金属特有の冷たさよりは、むしろ人肌に近いしっとりとした印象が感じられる。

 1950年代の具象的作品を除き、60年代後半以降、保田の金属による立体作品は、鏡面、ヘアライン仕上げされたステンレス、あるいは黒褐色に着色された鉄が主たる素材であったが、80年代後半から自然の赤錆の効果を活かした作品がいくつか制作されてきている。

  大作では、1986年の《赤錆の壁がある砦》(コールテン鋼、世田谷美術館)、90年以降の《幕舎》シリーズのいくつかの作品がある。それに続くのが昨年から今年にかけて制作された《聚落を囲う壁》と《閉ざされた門》の連作である。

 細部まで非常に精巧な仕上げを見せる保田作品にあっては、表面処理も作品の効果を高めるために重要な役割を果たしている。たとえば、1978年の《赤錆のクニコロ(地下道)》(旧題:黒染めのクニコロ)などを始めとする70年代後半から80年代半ば頃の作品において、黒褐色に染めあげられた表面は、丹念に仕上げられた良質の漆器の表面、あるいは鍛え抜かれた人間の緊張感に満ちた肌を連想させたりもするが、ある種の風合いを持った黒染めの表面は、単純な作品の形がもつ厳格さを一層際立たせ、作品の存在感を高めることに大きな役割を果たしている。

 一方、赤錆を利用した鉄の作品では、自然素材である鉄と錆、研磨する手の動きによって、表面は複雑な陰影や調子を与えられる。作家の身体の動きがそこにはある。その結果、こうした作品は、詩的な連想を誘う主題の問題を抜きにしても、人間の情趣や身体感覚と密接に結びついた作品となっている。保田作品は、一見したところ、理知的な精神の営みの産物であるかのようにクールでシャープだが、決して冷たく乾いた抽象作品ではない。優れた抽象的造形作品の多くがそうであるように、そこからは作家の体温、力強い肉体の動きを感じとることができる。


最後に、保田春彦の作品タイトルと具象的イメージにかかわる問題を少し検討してみたい。すでに各所で記されているように、この彫刻家の仕事は、27歳から38歳まで、10年間におよぶイタリアを中心とするヨーロッパでの生活と切り離して考えることはできない。

 その滞欧を基磐として、60年代後半から新たに制作され始めた保田作品のキーワードの一つは、いうまでもなく西洋的な「都市」であり、今一つは、祭壇、廟、墓室、祠、クリプトなどキリスト教的世界のイメージである。

 こうした語彙によるタイトルが、具象的なイメージを連想させる場合は少なくない。今回発表される新作のタイトル《聚落を囲う壁》《閉ざされた門》も、そうした具象イメージに近いものである。

 そのような見方が妥当かどうかは別にして、たとえば《聚落を囲う壁》に見られる屈折した鉄板の配置から、実際の城壁に見られるであろうカーブや凹凸、部分的な損壊の跡などを連想したり、あるいは《閉ざされた門》に接して、城壁の重々しい門扉を連想する人は少なくないかもしれない。

 もちろん、そうはいっても何らかの具体的な壁や門がそこに再現されているわけではない。保田春彦が造形化しているのは、作家の中で極度に単純化され抽象化された、むしろ象徴的な意味あいの強いモチーフである。

 たとえば、1981年に制作された《迷宮のある僧院》(出品番号20)の2連作では、大小2個の直方体の上面に、キリスト教の宗教的建物のプランのような幾何学的な形が、レリーフのように、鉄の基台をくぼめ、溝をうがって表されている。

 この作品などは、西洋中世の聖堂に見られるラビリンス(迷宮)の抽象的な幾何学的文様が作家の意識にあって制作されたものだろう。そこでは、直線と曲線とによって構成された単純な形が、鉄のベースの中から浮かび上がり、全体として一つの小宇宙が存在しているように見える。

 作家自身は、1970年代前半頃の作品では、イメージのもとになった具体的なものを指摘できる場合も少なからずあったが、近年では、むしろそうした具体的な制作のきっかけを拒否しようとしていると述べている(個展「幕舎:Tabernaculumについて」〈南天子画廊〉カタログでの酒井忠康氏との対談)。作者がイメージを煮つめていく時、具体的に形あるものから出発し、それが一つの作品に結実するといった単純な制作プロセスはないだろう。私たちを具体的な世界に誘惑する詩的なタイトルは、作品完成後につけられる場合も少なくないだろう。私たちは完成作の場合には、タイトルに影響されて、具体的なイメージと結びつけた見方をしまいがちだ。そうした意味で、今回出品されている数十点のデッサン、新作のためのエスキース5点は興味深い。

 特に、まだ完成作品になっていない、シドニーのオペラハウスに少し似た宇宙基地のようなエスキースや、崩壊した屋根の重なりを連想させるエスキースは、完成作品の原風景といった印象を与えると同時に、試行する作家の素朴ともいえる手の動きをリアルに伝え、私たちはそこに作家の生の姿を見ることができる。

 このエスキースから生まれた作品は、どのようなタイトルがつけられ、どのような表情を見せるのだろうか。大地から立ち昇り、あるいは大地に広がる様々な形を自らの手で造り上げていく、作家の体臭を強く感じさせる肉体的行為と明晰な理性の営み、それに詩的な情感、それらの統一が保田春彦の作品世界は形成されているのだろう。

(三重県立美術館学芸課長)

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