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「浮世絵・夢と情報をのせたメディア展
一かめやま美術館所蔵[東海道五拾三次]を中心に−」
パンフレット

現在は美術作品として鑑賞する機会の多い浮世絵も、実際にそれらが制作された江戸時代には、庶民に情報や夢を伝えるメディアとして幅広い役割を担っていました。浮世絵の重要なジャンルである「美人画」「役者絵」は、現在でいうところのブロマイドや芝居のちらし、グラビアなどにあたり、広告・宣伝という重要な役割を果たしました。また、江戸時代後期に浮世絵の主要ジャンルに加わった「名所絵」や「街道絵」も、旅行ガイドや旅土産のように用いられていたのです。しかしながら、浮世絵に描きこまれたものは、実用的な情報だけではありません。現実の世界に主題を求めながらも、作り手たちによる脚色や、構図・彩色等表現上の創意工夫により、浮世絵は、みるものに楽しみを与え、同時に造形的魅力をも獲得したといえるでしょう。

歌川広重の出世作として広く知られる保永堂版[東海道五拾三次]は当時ベストセラーとなり、版を重ねました。さらに、この大ヒットは、広重はもちろん他の絵師による同シリーズを数多く生み出す契機ともなりました。このようなあり方は、大衆の嗜好を反映しながら成長した浮世絵の特色をよく示しています。

本展では、かめやま美術館が所蔵する[東海道五拾三次]シリーズを中心に、夢と情報を庶民に広く届け続けた浮世絵の魅力を探ります。同時に、本展が、三重県立美術館で開催する初の浮世絵展となることから、「美人画」「役者絵」などもあわせて展示し、江戸庶民のみならず、時代や文化的背景を超え、われわれや海外の人々をも魅了し続ける浮世絵版画の世界をご紹介します。

最後になりましたが、本展開催にあたり、貴重な作品をご出品いただきましたかめやま美術館、奈良県立美術館、またご支援ご協力をいただきました関係各位に、厚くお礼申し上げます。

2007年7月
三重県立美術館


1 歌川広垂 保永堂版[東海道五拾三次]

東海道に設置された五十三の宿場に、日本橋と京都を加えた仝五十五図からなる[東海道五拾三次]。保永堂(一部、仙鶴堂と合版)から出版されたこのシリーズは大人気を博し、その後も版を重ねることとなりました。

その人気の背景には、江戸幕府による街道の整備や旅への関心の高まりに加え、『東海道名所図会』や『東海道中膝栗毛』など版本の流行もありました。保永堂版[東海道五拾三次]の中には、『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛・喜多八を連想させずにはおかない滑稽味あふれる2人の旅人が描きこまれた囲もあります。刊行当時の人々は、その姿をみつけ、すぐさま 『東海道中膝栗毛』を連想したことでしょう。その土地を象徴するモチーフを描き込み、「街道絵」としての役割を果たしながら、みるものに弥次喜多を探し当てる楽しみをも与えていたのです。さらには、雨、雪、風といった天候や朝夕の別などを描き込むことで、抒情性豊かで変化に富む作品に仕上げました。

画面構成や色彩面の配慮により、ユーモア溢れる旅人たちの姿と自然現象が融合された[東海道五拾三次]。この浮世絵版画を手にすることで、旅を楽しむ金銭的余裕のなかった江戸庶民も各地に想いを馳せることができたことでしょう。そして、抒情的な広重の作品は、江戸庶民のみならず、時代・文化的背景を超え、われわれをも魅了し続けているのです。


2 北斎の[東海道五十三次]

[冨嶽三十六景]、[百物語]などの浮世絵版画はもちろん、『北斎漫画』に代表される版本類から肉筆画にいたるまで、高い水準で幅広い創作活動をおこなった葛飾北斎。その斬新な画面構成や的確な形態把握、そして年齢を重ねても衰えることのない旺盛な好奇心と観察力は、いずれのジャンルにおいても発揮され、国内はもとより海外でも高く評価され続けています。ともに「風景画」を得意とした北斎と広重の描き出す作品は、全く趣が異なるため、両者はしばしば比較され、その人気を二分しているといえましょう。

[東海道五十三次]といえば、広重の保永堂版が広く知られていますが、北斎もまた、7種類もの[東海道五十三次]をのこしているのです。広重の保永堂版[東海道五拾三次]に先駆けて、旅風俗の描写に主眼をおいた[東海道五十三次・絵本駅路鈴(えほんえきろのすず)]から、豆判と呼ばれる極めて小さなシリーズまで、いずれも小画面ながら、北斎は趣向をこらした[東海道五十三次]シリーズを手がけています。


3 東海道五十三次

広重による[東海道五拾三次]の大ヒットは、新たな[東海道五十三次]を生み出す契機ともなりました。広重自身はもちろん、三代歌川豊国、渓斎英泉、歌川国芳などの人気浮世絵師により、趣向を凝らした[東海道五十三次]シリーズが次々と世に送りだされたのです。

量産により廉価な販売が可能であった浮世絵版画は、不特定多数の江戸庶民を対象として制作されていました。したがって、売れる浮世絵版画を制作するためには、庶民の関心をすばやく読み取り、世間の好みを敏感に反映してゆくことが不可欠だったのです。主題の決定や絵師、彫師、摺師の採用はもちろん、各々の作品の趣向にいたるまで、浮世絵版画はプロデューサーである版元の意向を反映している、といわれるのはこのためです。保永堂版[東海道五拾三次]と数多くのこされた[東海道五十三次】シリーズは、江戸時代におけるこのような浮世絵のあり方をわれわれに伝えてくれる貴重な資料でもあるのです。


4 浮世絵に遊ぶ

元来、浮世絵は、「二大悪所」といわれる遊里と芝居町に取材した、「美人画」と「役者絵」を主要な画還として発展しました。「美人画」や「役者絵」は、現在でいうところのブロマイドや芝居のちらし、グラビアなどにあたり、広告や宣伝といった役割も担っていました。「美人画」も「役者絵」も、時代の好みを敏感に反映し理想化されますが、次第に人気の女性たちや役者の個性を表現することも求められるようになっていきます。ときには文字通り舞台裏の姿を描き出すなどし、庶民の要求に応えながら進展を続けました。

一方、「風景画」も、葛飾北斎の[冨嶽三十六景]や歌川広重の保永堂版[東海道五拾三次]の刊行後、浮世絵の主要な画題のひとつに加わりました。それまで、美人画などの背景にすぎなかった風景描写は、庶民の旅に対する関心の高まりや、陰影法や透視遠近法など、風景を魅力的に描き出すことを可能にした技法面の向上により、ひとつのジャンルとして独立し得たのです。

今回の展覧会では、「美人画」「役者絵」「風景画」に加え、参宮者の往来で賑わいをみせた「伊勢」をテーマとする浮世絵を展示しています。浮世絵師たちの創意工夫はいうまでもなく、版元の企画力、彫師・摺師の技術等が結集した浮世絵版画。江戸時代から現在まで、多くのひとびとに夢と情報を運び続けた浮世絵版画をどうぞお楽しみください。

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