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にぎりしめた胡桃の数

東俊郎

 たまたま『橋本平八と円空展』(三重県立美術館、1985)で高村光太郎の『白文鳥』をみたときの印象はわすれがたい。まづおどろきがあつた。それがどんな鳥なのかぽくは知らないけれど、しらなくてもそれが単純に摸仮して白文鳥みたいなものをつくつたのではないことはただちにわかる。なによりも眼につく凹凸とか曲線のない、みごとな宝石の断面のように、しかしひろさもさまざまの平面だけでできたそこには冴えぎえとした刀のわざがあり、ふかくさぐつて、ひきだすちからはあくまでつよく、その鋭さのかんじは爪先から全身へとほとんど一瞬のうちにたちあがつてくる。恐怖ではないのだから髪がさかだたないだけだ。なにかつねならぬちからがそこを襲つて去つたような、或はさまぎまのちからのせめぎあう絶妙のエキリーヴルを眼にみえるものにおきかえてみたといわんばかりの木のかたまりとしてそれをかんじとる、そういう素朴な視線からこの木彫との対話がはじまる。そのことばをつかわない対話がすばやくかわされたあげく、白文鳥のすがたというよりその神が、圖鑑や剥製のそれとはまるでちがう次元であぎやかにたちあがつてくるのは、これもまた必至だ。

 おおいなる否定こそがおおいなる肯定へいたる大道、そむくことが従うことであり、迂路がじつはもつともはやみちだつた。形似の似よりも非似の似がかえつてその異にせまるというタオのおしえ。それならやはり木と對話していたのではなくて、鳥と對話していたのだとそのとき気づく。これはとても奇妙な経験だ。たぶん、ひとが彫刻をみることの機微にはからずもふれてしまつたからだろう。なにかうごかしがたいもの、ふつういうかたちなんかがこわれてもびくともしない、ふてぶてしくも不壊である存在の、ふだんはみえない頂點がはれやかに、ちらりと顔をのぞかせるそのときはまた、その密度、その質量をかるがると透体脱落させながら、ひらかれて自由であることの感覚がめざめるときでもある。

 しかしあまりいそがずに、細部をすてることで鳥になつたこの鳥にもういちどもどることにすると、それはみられることを超えて、なでてもらいたがつていることがわかる。それはたぶん、鯰や蝉や白文鳥がそうであつたように、彫刻家のあのおおきな手にだきとられ、かたちをきめてゆく親指や傾斜をかんじとる薬指でいつくしまれながらうまれでた記憶をすでにもつからだ。そしてかぎりなく鳥にちかづき、かぎりなく鳥からはなれてゆくあの奇妙なかんじはこの手との親密な對話によつていつそうつよくなるというもの。絶対にうごかないことこそうごくことだというテオリアは古代エジプトからジャコメッティをとおりぬける造型の力線で、いつでも天極をめざすこの磁力線にまさしく高村もつらぬかれていた。

空は碧いといふ。
けれども私はいふ事が出来る。
空はキメが細かいと。
秋の雲は白いといふ。
白いには違ひないが、 同時に、
其は公孫樹の木材を斜に削つた光澤があり、
春の綿雲の、木曾の檜の板目とはまるで違ふ。

 まるでべつの天体からきたひとの眼にうつつた地球のけしきみたいだ。たんなる比喩ぢやないかとはじめうたがつてもさいごはなるほどと納得する。マチエールに反応するほとんど暴力的に敏感な感受性といい、みることと触れることを強引にむすびつけようとし(かれはしばしば視覚もまた触覚にすぎないとかたる)、しかもかれじしんはそれをまつたく自然にいきた動物的な感覚といい、これはひとくちに彫塑といつても、ヒュレーをけしてゆくことで逆にかたちをおおきくみせる彫にかたむくひと、古代ギリシアとかルネサンスの時代にうまれたならば大理石を刻んだだろうに、それが日本で、低きにつく水のながれの、さいごは木彫にゆきつかずにいなかつたひとだけがもつ感覚とはいえないか。いま引用した文を詩だといつてもいいが、ほんとうは詩以上のなにかがある。木についての絶對音感とでもいつたものが。

 高村はロダンの圧倒的な影響からしごとらしいしごとをはじめたのだし、終世このひとの作品には敬意をはらいつづけてきた。紹介の労をおしまなかつた。ロダンのまえにはただミケランジェロあるのみと。しかしことブロンズにかんしてかれはみずからに、ロダンにはあんなにはつきりとあるとみえた絶対音感がどうやら信じきれなかつた気配である。或はおもいきつていうと荻原守衛に、とりわけその『坑夫』悶ヒ条虎吉』『女』にであつたとき、自他をかえりみて、もっともゆたかに表現できる調性にめざめたということだつてありえる。その荻原が彗星のごとくアート・シーンをかけぬけてたおれたあとの高村の失望落胆はじつにふかかつたはずで、ときをへて、ともかく同心というしかない状態が大正末から昭和初あたりにやつてきたのはまちがいない。なにへの。自然の精に直接身体の感覚をふれあわせるぢか彫りへの同心。

 くどいほどくりかえし高村はじぶんが彫刻家であることを強調している。そんなにむきにならなくてもいいのに。まあたしかに世間はかれのなかの、なかなか彫刻をしあげない彫刻家よりも、はれやかな口調で詩らしくない詩をかきつづける詩人のほうに眼をみはつていたにはいたのだが、それが不満だつた。かずはすくなくてもそのひとつひとつの質には自負があつたからという以上に、もつと生理にねざした次元のこととして、メティエに習熟したアルティザンの誇りとしてそうなのである。

 たまたま法隆寺の解体修復にながくたずさわつた西岡常一さんの本をみていてなるほどとおもつたことがある。宮大工の修業ははやければはやいほどいいらしい。その第一歩は鑿や鉋をもつさらにまえ、祖父の仕事ぶりをみることにはじまるのだという。だまつてただみるだけ。これを読んだぽくは、どこかでおなじことをきいたな、そうそう、高村の『同想禄』のどこかだとおもいだす。たとえば父の仕事場でのおもいでをこんな風にかいてあるところ。

 私は五つ位の時だつたが、矮鶏の鶏冠の圓いものなどうまく本當のやうに出来るものだといふやうなことを感じて見てゐたことを微かに覚えてゐる。

 いうまでもなく、かれの父は高村光雲である。かれはぼくらがいまいう藝術家ではなく江戸の木彫師、仏師の伝統をひいた職人かたぎのひととして、その技藝をつたえることにきめた光太郎が気づかぬところで、あれこれ心をくだいていたことはたやすく想像できる。光太郎はスプーンならぬ鑿をくわえてうまれ、弟子にまぢつて鉋屑の香とともに成長したのだ。

 じぶんの身体をせかいをはかる尺度にかえたかれは指さきで木の表情をみきわめ、いつぽうその眼はどんな風景も木も同様にけずりあげる。高村はいい職人になれたはずだが、しかしここに藝術がふつてわいたようにあらわれる。世間がこれを藝とおなじ血すじをひくとみたことは、天平のよりも鎌倉彫刻を貴しとし又さいごまでロダンを理解しえなかつた職人高村光雲を、あたらしくできた東京美術学校にまねいたことにあきらかだ。美学とか美術ということばがいそいでつくられ、「美は假象である」というハルトマンの主張を森鴎外がその美術学校でおしえ、高村じしんそれを聴いた。わかるわけがないよとは、後の述懐で、わからないがすごいものの存在はわかつたのではないか。だからこそ、かれの手とあたまはすれちがいはじめる。

 すれちがいの源をさぐつてヨオロッパに留学することになつた。アメリカからイギリスをとおり、ロダンのいるパリヘ。身体をしつけたプラクティスのはたらきはつよく精神におよんで、本のなかでしかしらなかつた藝術がげんに生きる木場の彫刻にであつても、あわてずさわがず、「こなし」とか「角」とか「肉合」などアルスの秘密を別外口伝のようにひめたことばには父の工房ですでに親しんでいたから、プランplanやモデュレmodele(')やエパヌラージュe(')pannelageその他と自在に交通して、その理解をはやめただけだ。技術の普遍性。高村が身につけていたこのプラグマティズムこそ、もうひとつ次元のたかい普遍性に気づき、だれよりも、というか日本人では例外的にそれを自分のものとする挺としてはたらくことになつたのがおもしろい。このもうひとつの普遍性こそ原理にさかのぼつてかんがえずにいないヨオロッパをヨオロッパにする精神であつて、そこからは神から恋愛までのすべての絶對観念がうまれてきた。

 たとえば人間のからだがひとつの宇宙であること。髪のなかに河があり風のうごきがあり、胸に断崖があり、眼に火がもえ、大地は皮膚となり、その凹凸のうえに嵐がおこつたり又しづまつたりする。みえないネットワークをさぐつて差別の相をこえる無窮動のはたらきにたどりつくと、蝉から岩山へおんなの裸から海への距離はとてもちかい。そのとき彫刻家はかたちにかんする厖大な記憶をすばやくスキャナーして、その原基を誤たずにみつけだすアンドロイドになる。事物の表皮をつきぬけるまなぎしがたやすく別のことばにならない〈それ〉を直指する。すると宇宙はいたるところであらわれる。こういうかんがえは高村のそだつた環境にはあるべくもなかつた。彫刻家のいのちである手はそのときはじめて、ぢかな裸のちからとの交渉である掴むということができる。彫刻家は時空を無化して古代人となる。かれらの徳ははだかのうえにもはだかである髄をひといきにつかむ、そのわがままなまでの直接性にしかない。高村の、

彼は月を撫でてみる。焚火にあたるやうに太陽にあたる。

 のようないいかた、又

日本列島を縦にざぶざぶ洗つてください。

 もそうだが、ふつうなら比喩でしかないところに比喩をこえた或るあたりをかんじさせるこの感覚は、いやでもかれのつくつた『手』を連想させずにいない。
 ところで彫刻家のこの手はまた彫刻になるものとならないものとを分別する手でもある。桃は彫刻になるが林檎はならない。魴■(ふつ)や鯉は彫刻になるが鯛はならなくて、鮭だつたら鮭の頭だけつくる、と『回想禄』のなかでかれはいつている。ここに鯰や蝉や鈴懸の葉など高村がじつさい彫つたもの、彫ろうとしたものをくわえて、ようするに彫刻になるものには彫刻性があるといつてみてもそれはトートロジーでしかない。もうすこしうまくいえるだろうか。そういうとき、なかなか眞をえぐらないのに業をにやしたあげく、さいごに貝のなかに中心となる軸をみつけたとたんうまくいつたという榮螺を彫るはなしをおもいだすのはわるくない。この發見から「然し軸は魚にも木の葉にも何にでも存在する。」という理法をみちびくとき、高村はもう、この軸をもつすべてはみずからを彫刻しているといつているのも同然なので、今度はそこからふりかえつて、彫刻とはある量の内的な関係にほかならないという公準まであと一歩にすぎない。

 高村らしくいうと、「触覚を基本とするところの量の空間的な関係」であるこれは、ひとつの宇宙の内的な関係ということになる。ひろがりはある。比例や均衡もある。しかしそこに外部をよびこむ孔がない、というか外部はないのだ。それにかんしてここでフィレンツェのメディチ家の礼拝堂を語つていいだろうか。高村がそこを訪れてつづつたミケランジェロ頌をなんどよんでも慊らないのは、まづみるべく感ずべきが、無音の空気をみごとな音楽にかえる半円型のリズミックなくりかえをはじめとするその空間の圧倒的な印象であつていいのに、もつぱらあの有名な『朝』その他の擬人像への感歎に終始するかれがついに建物をかたつてくれないことだ。

 彫刻には構造がある、とかれはいう。ただしその系はとじられたモナドでしかなく、ものである宇宙ともうひとつのものである宇宙との関係や、関係にすきまがはいつたり、さらにそれの解体をみせようとする作品にいたつては高村のせかいではぜつたいに彫刻とよばれない。メディチ家礼拝堂はあの構造、あの比例と均衡にもかかわらず、というかそれゆえにあくまで建築で、なかにはいれる彫刻というかんがえなど知るはずもなく、ふたつのちがつたメディウムのように彫刻とはきつぱりと前後際断されている。

 そういうわけなら、高村のいう彫刻がめざすのは『彫刻家との対話』でアランのいう卵なのだろうか。中心からわきだすちから/理法の自己形成、自己表出としての卵。まあそうであるとしても、それならモヂリアニの、そしてブランクーシの彫刻がそうかもしれないように、高村の彫刻もまた「情欲世界の最も隠密な友」或は「はらわたや粘液や脂や汗や生きもののきたならしさ」と無縁ではないどころか、それをうちにやどし、それによつていのちをえた卵であるだろう。蝉でも桃でも事情はかわらなくて、かれの彫刻はうちにとぐろをまく暗黒をかかえながらそれを超越して光の球体となる。光のもとは玄の玄、なにものともついに知れぬが、でてきたときはすでにあかるく、きよらかに、健康な姿をとることになつた。ここには極度の屈折があり、きたえた匁のように、ねじふせたもののおおさにみあう単純がある。ところでこういうのはどうか。

僕は馬糞をいつも美しいと思つて、いつか彫つて見ようと思つてゐます。

 驚くなといわれても、やはりすこしは動揺するが、これはロダンの『考える人』に就ていつてのけた、

「考える人」は別に考えているわけではない。

 とおなじこと、ことばという意味にかたむく表現のその意味を透体脱落させたところに輝くものこそプラスティックだというかれの信念がすがたをかえているだけだ。この無垢の無意味性がまもれるかどうかが造型のαとなりωとなるので、感覚や感情はまだいいとして、彫刻が意味の受容器となつてはいけないし、してはいけないというのが高村の彫刻についてのほとんど強迫にちかいエティカとなつた。そして高村がほんとうにユニィクなのはこのさき、つまりこのエティカをきびしくまもるには、他ではなく詩が必至によばれ、それにこたえたということにつきる。或はこたえすぎたともみえ、それが又このふたつの関係をふくざつにしている。

 まじりつ気がなく雅致ゆたかだけれど、いかにも小体で数もすくない彫刻と、あらけずりで、すつかり乾燥するまでまてずに水分をのこしたままつかつて歪んだところもでたが、初發のちからがいつまでも新鮮なひぴきをのこす詩。このふたつのちからをひとしくふりわけてバランスをとる支点を、彫刻をつくる詩人でなく、詩をかく彫刻家でもないひとりの高村光太郎のなかにみつけたい誘惑におもわず身をまかそうとする。けれど、みつけようとしてみつからないものはないのが理性の詐術、それをかわして、かれを神々のたかきに列聖することでかえつてその戦いを骨ぬきにしてしまう、そんな予定調和をたてずに、迂路をいとわずタオの漸近線を地上にひいてゆく。それが、たとえば説教くさい詩をこえてエコロジカルな自然のおしえにぼくらの眼をむけてくれたこのひとへの礼儀であり、たたかいの継承のしるしだ。

 そのときに、にぎりしめた胡桃の数ということばがどこからともなくおとづれる。天を指ししめすその曲線をおもしろがつたという桃ではなく、道なき道をゆくタオの手にしつかりにぎられた胡桃。

くるみの種を二つ手に持つて
大人は癇癪をなほすといふ。
おれは癇癪を二つ手に持つて
くるみの種をたたきつぶす

 かれは終世怒りつづけたひとである。ひとりよがりも疑心もからまわりも絶望もふくんだそのちからにふりまわされたのは、世間よりもむしろ高村じしんで、そうでなくては、そのたたかいからの自由をねがうかのような口調で天然や自然をかたり、なかでも「天然の素中」といつたことばを詩のかなめでつかいはしない。それは超越のしるしというより、矛盾もはげしい感情の全音階をかろうじてつつむせかいを暗示するだけでよかつた。『智恵子抄』でも、

われらは雪にあたたかく埋もれ
天然の素中にとろけて     「愛の嘆美」

智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中に帰らう   「裸形」

 などとある。日常する肌にひつかかる棘の痛みから思想上の煩悶にいたるまで、まして超男性と原女性が演ずる性のドラマトゥルギーも死をもつらぬく大虚に似たシームレスな自然のすがたをおもいえがいて、すべてが黄金にかわつてほしいというその必死がこころをうつ。ことばではない。おおきな手のつよい握力でにぎりしめた胡桃の数と時間のながさ。詩はそこからうまれるしかなく、だからかれの詩に幸福ということばがまれなのも當然、いたずらにきしんだ青ばかりがきこえてくる。

 けれどその手をはなてばそもに満ちるのが光であることをかれは、というより鑿が知つていた。タオのたたかいはここではあそびになる。木との親密な對話に、せかいは無限にひろがつて、かれの白眼はふたたび静かなうちにも静かな海の色をとりもどしつつ、のぞんでもえられなかつた匿名性の大気にらくらくと身をまかせている。かれをくるしめるものないこの撥無のときのエクスタシーのなかでプラグマティストがみる夢ならぬ夢は、身体のふかい層にいきるヴォワイヤンに追いついて、せかいは宇宙のざわめきを聴かせてくれる一本のおおきな木と化す。

木を彫ると心があたたかくなる。
自分が何かの形になるのを、
木は喜んでゐるやうだ。


(三重県立美術館学芸員)

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