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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 2001 > 滝の裏に洞穴二つ 石崎勝基 館勝生展図録

滝の裏に洞穴二つ

石崎勝基

事象たちが剥落した過去からの銀色の薄い瞬間瞬間として、
めくり返り、つぎつぎに蒸発していた
G.ベンフォード、『輝く永遠への航海』(冬川亘訳)

 今回の個展では、一見対照的でもあれば、間をおかず共通した部分をも見てとらせるような、二系列の作品が展示される予定だ。一つは1999年以来の近作ないし新作、もう一つはそれに先立つ、97年から99年にかけての作品である。

 後者から見よう。画布の白いひろがりの中、植物の葉か実、あるいは虫の翅を連想させる形や円が、透明な薄塗りによる暗めの青や緑、明るい黄の輝きをもって浮揚し、そこにすばやい速度を感じさせる暗色と厚めの白、時にピンクや水色の筆致が、飛沫とともに干渉する。厚塗り、あるいは掻き削りによる線はもとより、薄塗りの部分も、それらを施す手の動きの速さを感じさせずにいず、形の布置が与える印象に生動感をもたらしている。しかしそれは、すばやい身ぶりの痕跡に留まってはいない。薄塗りによる透明な色は、画面に沿ってひろがろうとすると同時に、白地を透かすことで、白地自体が開くかのような奥行きを生じさせる。そこに働きかける厚い白や掻き落としの線は、そうした奥行きと白地ともどもに対し、ずれつつ関わる位置において機能する。かくして、収斂と拡散のヴェクトルを兼ねた形の布置と相まって、館の作品を形容するのにしばしば用いられてきたような、イメージの生成とも消滅とも映りつつ、そのいずれにも納まりきらない時間のゆらぎを、画面は宿すことだろう。

 他方近作にあっては(新作は未見につき、以下の記述は、2000年から01年初頭にかけて発表された近作にもとづく)、やはり白地のひろがりの中、片側に寄せられた筆致の束は、斜めに傾くこともあって動勢を看取させつつ、旧作での、塗りの薄さや色の発現によって浸潤し拡散したヴェクトルが反転して、内側へ収束しようとしているかに見える。それに伴い、時に過剰さにも接した旧作の軽快な壮麗さは、やや重く沈欝な感触に変じた。旧作において透明な薄塗りが、白地と連続するといわないまでも光を交わしあっていたとすれば、ここでは、絵具と白地は不連続の度合いを強め、その結果か、前者は不透明かつ厚く盛りあがることになる。そうした筆致が一つでなく、複数からなる束をなす点は、一まとまりの形を白地の上に作ろうとしたという以上に、むしろ、白地が全体として、外部にあって筆致をもたらす手と、垂直なり斜めに交差することを物語るのだろう。塗りの物質としての厚みも、形としての筆致を崩壊させようとする契機をはらんでいる。

 近作においても、薄塗りのにじみや、鉛筆なり掻き落としの線が欠けているわけではなく、その役割は小さくない。それにしても、不透明に厚い筆致の束と白地との不連続性は解消されきらない。それが逆に、暗色の筆致の束を沈みこませ、斜めの配置が伝える動勢との矛盾の内で、白地にかすかな光をまとわせることになる。筆致の束の形状としての骨格が以前の作品でのそれを縮約したかのごとく映る点とともに、白地全体での光としての発現というこの点で、近作と旧作とが通底する局面を見出すことができるかもしれない。

 1986年から89年にかけての館の作風は、粗い筆致で塗りこめられた深淵から、いまだ形の定まらぬイメージが湧きだそうとする、というものだった。90年頃になると、絵具は薄く透明感を帯び、仄暗いひろがりを呈しつつ、下層の白地との交渉の比重が大きくなる。そのためイメージの位置は微妙さと鋭敏さを増し、生成と消滅という相反するヴェクトルを兼ねることとなった。そうした中で以後、形のヴァリエーションや色の導入がはかられていくが、96年頃から、白地がそのまま残され、先に見た作風にいたる。

 たぶんに大まかではあるが、以上の展開を見渡せば、塗りの厚さ薄さ、不透明と透明、暗いひろがりか白地の明るさといったちがいはあれ、画面の構造の基底となってきたのが、画面全体としてのひろがりを即物的な画布で留まらぬ空間へと変容させることだった、と考えて大きなまちがいではあるまい。さらにそのひろがりから空間的、ひいては時間的にずれたイメージがゆらぎだす。ひろがりにもイメージにも定位しきらぬこのずれの状態ゆえ、両者は相互に移行しうるのだろう。

 さて、99年に起こった変化について、館は以下のように記している;

「…(前略)…テーマのモチベーションは内的な必然性に基づいたものでしたが、このようなアプローチの方法が、反復する制作の中で徐々に私自身の中で目的化されてしまい、手段と目的がすりかわってきたことを自覚化するようになりました。

「そこで、これまでイメージを表現するのに最も依存してきました形態の要素を取り除き、自己の外界のものを画面に取り込むのではなく、自らの身体性をおびた直接的な表現手段を用いて自己の器官から創出する、イメージが発生する時間を想起させる絵画づくりをしていきたいと自覚化することになりました」(2000.4、館勝生ホームページ、Statement の頁より)。

 98~99年の作品において、地が明るくなっただけ前に出た薄塗りの色面と厚い筆致、緩と急、明と暗、平面性と奥行き等々の相互干渉は、画面をさまざまな相で充填し、そこから、熟しきった実が落ちる寸前と見えなくもない豊麗さをもたらした。現在の時点からふりかえるかぎりで、それは、ある意味での飽和状態だったと見なしうるのかもしれない。ふりかえれば、爛熟した飽和の相は94~95年の作品でも読みとれ、白地の露呈は、そこからの展開の方策だったのだろう。

 99年の転換は、旧作におけるさまざまな相での不連続性を、図と地の二項対立に集中させることではかられた。画布を床に寝かせ、絵具を直接手で押しひろげることで制作されたという近作においても、筆致の束の画面内での斜めの配置や鉛筆による線の軌跡が、造形的なバランスに基づく一定の効果を予見して決められたかに映りはしないかと、課題を見出すこともできなくはあるまい。ただ、収斂からはみだそうとするにじみや線描をふくむかぎりで、凝集した図と地の相克によって地全体がゆるやかに発光したとすれば、そこに、初期以来の構造の継続とともに、収縮がその極で膨張に転じるにせよ、さらに収縮が進められるにせよ、あるいは別の方途が選ばれるにせよ、今後の展開に向けた可能性の一つが宿る契機を認めることができるのではないだろうか。

(三重県立美術館学芸員)

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