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現代美術とは?

 明治から第二次世界大戦の終結まで,日本の近代美術は,パリを中心に展開したヨーロッパ美術の,時間的差異をもつ移植の歴史であったといえよう。その移植も,キュビズムとフォーヴィズムとの対比において典型的にうかがえるように,造形的・主知的傾向のものは斥けられ,文学的・感性的傾向のものが迎えられるという特徽を有していた。そして,そのフォーヴィズムさえも,日本的感性というフィルターを通過することで日本の土壌に定着する権利を得られたように思われる。

 こうした移植芸術という枠のなかでの持殊な展開は,第二次大戦の直前の前衛美術の状況にも反映しており,シュールリアリズムが比較的多くの画家によって支持されているのに対し,抽象絵画を追究するものは少数派であった。

 戦争による中断をはさんで,戦後の美術も海外の美術の受容という点では基本的に戦前の状況を踏襲してきたといえるが,ただ交通・通信手段の発達により時間的差異が短縮され,またその淵源がパリから,1950年代の抽象表現主義以降ニューヨークに移るという変化はあった。

 戦前と大きく異なる戦後美術の特色は,世界各地で開催される国際展への出品,受賞があいつぎ,日本の現代美術が国際的な美術の一環に組みいれられたことである。

 また戦前は絵画が美術の主流で,他の分野は傍流にすぎなかったが,戦後は彫刻あるいは立体造型が美術のなかで大きな役割を果すようになった。版画も各種国際展での受賞がひきがねになって注目されるようになった。

 日本の現代美術はアメリカの美術の圧倒的な影響のなかで展開した。今回の展覧会出品者も間接的ながら影響を蒙っている。そこでそのアウトラインをスケッチすることで作品理解の一助としていただければと思う。

 1940年代後半から50年代にかけてニューヨークで台頭し世界中に拡散した抽象表現主義は,そのなかにバーネット・ニューマン,ロスコ,ラインハルトに代表されるモノトーンの絵画と,ポロッタやデ・クーニングらの激情的な絵画とを含むが,概ね形態という中間項を設けずに,色彩や線そのものの喚起力により内的感情を直接的に表現した芸術であったが,それは作家の内的ヴィジョンあるいは感情の通路としての近代芸術の概念による芸術の最終走者でもあったと考えられる。この抽象表現主義は,ヨーロッパにおいてはアンフォルメルの動きが連動し,日本では「具体美術」のメンバーが中心となって独自に1950年代末から60年代初頭にかけて推進された。日本の場合,フランスでのこの運動の推進者であったミシェル・タピエ(批評家)の来日が契機となって燃えあがり,「アンフォルメル旋風」と呼ばれるほどに大きな共感をもって迎えられた。

 1950年代末からおこる反芸術,すなわちそれまでの因襲的な芸術概念を否定し破壊しようとする動きは,20世紀はじめのダダに倣ってネオ・ダダイズムと呼ばれる活動を先駆として60年代の主調音となったが,そこには抽象表現主義をもって伝統的芸術概念が究極まで行きついてしまったことへの認識がはたらいており,そこからの打開をはかったものといえる。そこには二つの命題があったように思われる。ひとつはそれまでの芸術を支えてきたイリュージョンの排除であり,ひとつは絵画とか彫刻という伝統的な表現形式からの離脱である。この二つの命題をめぐって60年代は様々な試みが展開されたと把えられよう。そしてその際に大いに参照されたのはダダであり構成主義であった。

 絵画と物体とを組みあわせたラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」,ジャスパー・ジョーンズの国旗,標的を主題とした「事物としての絵画」といったネオ・ダダイズムを先駆とするイリュージョンをできるかぎり作品から追放しようとする動きは,60年代にはいってマス・メディアあるいは消費生活において氾濫するイメージをそのまま等価に,あるいは拡大したり複数化することによって作品化することで,大衆文化状況の直接的反映としての擬態のもとに作品からイリュージョンを排除していったアンディ・ウォーホルやロイ・リクテンスタインなどのポップ・アートや,造形要素を極限にまで還元し,言語化しえないまでに内面表出,イリュージョンを徹底して斥けたミニマル・アートに継承されていった。こうした過程は極度の表出性をもった抽象表現主義への反措定としても考えられよう。

 反芸術はまた新たな表現媒体の探求によって既成の芸術観を破壊しようと試みた。60年代初頭にはジャン・ティンゲリーやアルマンらヌーヴォー・レアリストたちの都市文明の廃物を表現媒体に用いたジャンク・アートやアッサンプラージュ,フリオ・レ・パルクなど視覚芸術探求グループによるオップ・アートやキネティック・アート,身体行為そのものを表現媒体とするハプニングがあらわれている。

 反芸術か否かは別として60年代にはこの他にも環境芸術や,科学技術と密接に連動したライト・アート,コンピューター・アート,ヴィデオ・アート,さらには60年代末になるとミニマル・アートの厳格な主知主義への反発に加えて無機的な産業文明への反動から,大地そのものを表現媒体とするアース・ワークまであらわれた。

 日本でもこうした反芸術の動きは海外と同時進行的に展開した。50年代末からの読売アンデパンダン展は反芸術的傾向の一群の若い作家たちによって占められていった。

 60年代のこうしためまぐるしいまでの現代美術の変貌とは異なり,70年代は50年代・60年代に提起されたものの継続,省察の時期であったといえよう。60年代におこり,70年代に世界を覆ったコンセプチュアル・アートは,イリュージョンぱかりか物体としての作品をも否定し「真の芸術作品は芸術家によって産みだされた物体ではなく,芸術家の概念や理念からなる」と宣言した。物体としての作品は消滅してしまったのである。こうしたなかで物質と人間との関わりを根源的に考究しようとする芸術が70年を前後してイタリアと日本におこった。前者はアルテ・ポヴェーラと呼ばれ後者はもの派と呼ばれる。物質といってもそれは木・石・水といった自然物や布などの加工されていない物質であり,物質自身に語らせることで,物質と人間との関係性を探求しようという試みであった。

 抽象表現主義以降,絵画はイリュージョンの消去と絵画が絵画であるための要件を求めて様々な追求をしてきた。絵画制作に一定のシステムをもちこむことでイリュージョンを排除したフランク・ステラはその後も絵画を成りたたせているフレームあるいは絵具,テキスチュアそのものを再検討することで絵画を革新してきた。70年代後半以降の日本でもこうした絵画への関心が深まりつつある。こうした動きとは別に,80年代にはいってひとつの潮流となりつつあるニュー・ペインティングと呼ばれる表現主義的な絵画がある。それは70年代のコンセプチュアル・アートや観念的芸術において抑圧されてきた感性の暴力的なまでの解放への動きなのかもしれない。

 今回の展覧会の出品作家は,35歳以上のもの派として出発した一部の作家を除けば,その先行世代がめまぐるしい美術状況の変遷のなかで自らの位置を見定めてきたのに対し,70年代の,60年代にくらべれば静穏な状況のなかで,ある距離感をもって先行の諸アートを参照しながら自らの出発点を規定することができたであろう世代に属する。60年,70年代に出現した様々なアートが作家の資質に応じて受け容れられており,そのため表現媒体が多様である。また立体とか平面と分類できない中間的な作品も目立つ。あやういもの,あやうい形態によって緊張した空間を生みだそうとする志向もある。紙や木あるいは陶磁といった素材ばかりでなく形態においても意識的にか無意識にか和様化ともいうべき事態が進行しているかのようにも思われる。これらの作家が今後どのような芸術を展開していくのか注目される。

 出品を依頼する作家の選定には,次頁の方々のご協力を得た。推薦を依頼した方々からは総数52名の作家の推薦があり,選考委員会で協議の結果37名の作家に出品を依頼することとなった。選考にあたっては,東海地区出身または在住の作家が約半数となることを前提とした。37名の出品作家の方々には展覧会期が迫っているにも拘らず全員のご協力を得ることができた。出品作品については作家に一任したが,一部現在外国留学中の方々については本人の承認を得て美術館で決定した。

 展覧会開催に・?たってご協力をいただきました関係各位にあらためて深く感謝いたします。


(学芸員 牧野研一郎)

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