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伊東深水の素描

毛利伊知郎

 伊東深水の名を聞いて多くの人々が思い浮かべるのは、江戸情緒漂う和服姿の美人画、あるいは洋装の女性が登場する近代的な感覚の女性像でしょう。こうした近代的感覚と江戸時代への郷愁とが融合した深水美人画には、今も多くの愛好家がいます。

 一般的な伊東深水展では、そうした美人画、あるいは深水が大正期から昭和前期にかけて制作した木版画が中心に展観されのが通例です。しかし、今回の展覧会は展示作品の大部分はデッサンです。華麗な色彩の美人画を期待されていた方々の中には、落胆された方がいらっしゃるかもしれません。

 しかし、今回紹介するデッサンは、深水の画業のを考える上で軽視できない重要な意味を持っています。また、一つ一つのデッサンは、制作過程で描かれた二次的な位置に留まらず、絵画作品としての魅力も十二分に持っています。

 これら日頃は紹介される機会が少ないデッサンを通じて、伊東深水の知られざる世界とデッサンが持つ多様な可能性と魅力を多くの方々に知っていただきたいというのが本展覧会開催の大きな目的です。

 展覧会場などで多くの鑑賞者の眼に触れることを前提とした本画は、画家の外向き、よそ行きの姿を示すものです。それに対しデッサンは、飾り立てたり、他者の眼を意識することがない、いわば画家の普段着姿を示しています。

 本画では、画家は線描や着色を行う際に筆運びを誤ることは許されません。そのため、本画に筆をおろす際、画家は慎重にならざるを得ません。そのため、特に絵の具を厚く塗る作品からは、筆の動きや画家の息づかいが伝わりにくくなります。

 ところが、デッサンや下絵では、画家は失敗を恐れる必要は全くありません。描き損なうことがあっても非難する人は誰もいません。納得が行くまでデッサンを繰り返すことが可能です。着色や画面構成の変更なども、全て画家は自由に行うことができます。

 深水のデッサンからも、対象に肉薄しようとする鋭い眼差し、モデルの本質を的確に把握して写生帖の上を自由自在に動き回る手の動きが、活き活きとリアルに伝わってきます。こうした画家の生の姿に接することができるのが、デッサンの大きな魅力です。

 伊東深水がデッサンの名手であることは、生前から知られていました。多くの人々がデッサンに対する深水の並々ならぬ姿勢、余人の追随を許さない優れた描写力に驚嘆の声をあげています。深水自身デッサンの重要性を強く認識していたとうで、デッサン展を開催することも珍しくありませんでしたし、デッサン集も刊行しています。

 美人画家といわれる深水は、女性ばかりを描いていたと思われがちです。しかし、実際には女性だけではなく、男性、風景、動植物など眼に触れたあらゆるものを深水はデッサンしています。女性像だけを見ても、本画に頻繁に登場する和服姿はもちろん、洋装、群像など対象は様々で、ポーズや構成も変化に富んでいて、見飽きることがありません。

 深水のデッサンは鉛筆で描かれたものが最も多いようですが、水墨で描かれたものも少なくありませんし、コンテを用いたデッサンも残されています。深水は日本画の画材だけではなく、洋画家たちが用いる画材も巧みに使いこなす技倆を身につけてたことがわかります。また、深水のデッサンには色鉛筆、絵の具などで淡彩が施されたものもありますが、その色感は本画の濃彩とは趣を異にし、透明感のある美しく清潔な印象を与えます

 深水は、常磐津や小唄を嗜むなど近世江戸文化に通じた粋人としても知られています。しかし、詩情豊かな風景デッサンや、抒情味あふれる花のデッサンは、深水が近代的な感性と知性の持ち主でもあったことを窺わせます。

 このように、深水のデッサンは主題、技法、表現など多くの点で本画とは異なる特徴を示しています。本画を見ているだけでは知ることができない別の一面が、デッサンの中にあるといえるのではないでしょうか。

 深水の膨大なデッサンを見ていますと、その卓抜な描写力に驚かされるばかりです。深水にとってデッサンは呼吸と同じように、生きている限り不断に続けられる重要な行為であったこと、美人画家伊東深水という一般的な認識が一面的なものであることがわかります。

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