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海景図について

陰里鉄郎

 海とは,いったいなにか。

 海洋科学者によれば,それは「マントルからしみ出して,地殻のくぼみにたまった強電解質溶液の巨大なプール」であり,この巨大なプールは地球の表面の70パーセントを占めて,そして「この巨大なひろがりの隅から隅までに生物がはいり込み,すみついている。──生物のすみついていない海洋空間というものは,この地球上には存在しない」という(西村三郎『地球の海と生命』)。

 初めて生命が生まれたのも海であった。それから30数億年がたったといわれる。われわれの歴史は20世紀をやっとおえようとしているにすぎないが,海はいまのわれわれにとってなんなのであろう。

 詩人三好達治はつぎのように書いている。

 「遠い海よ!と私は紙にしたためる──海よ,僕らの使う文字では,お前の中に母がいる。そして母よ,仏蘭西人の言葉には,あなたの中に海がある」(「郷愁」)。そしてベルギーの画家ジェームス・アンソールは,自己の芸術を語った講演のなかでつぎのように述べた。

 すべからくわたくしの絵は,どことも知らぬところ──おそらくは海から生まれて来たものであります。
(『アンソール著作集』西沢信弥訳より)


 海辺にたたずむとき,また波打ぎわを歩くとき,ひとはそれぞれの思いをもっているかもしれない。だが,誰でも海にはじまった生命の名残りを感じ,波の囁きに母の胎内の羊水の響きを聞こうとしているのかもしれない。豊かで,しかも神秘で,母なるもの,海。

 海は,人間にとって限りなく豊かで,多様な幸いと,無限の幻想と幻視とをもたらす底しれぬ宝摩のようなものであった。詩人にとっても,画家にとっても。

 海を,そして海の幸を描いた絵画といえば,おそらくどこの絵画よりも17世紀オランダ絵画を想い起すことになるであろう。スペインの圧政に抗して独立戦争を戦いながら,北海から大西洋,インド洋,さらには太平洋へと船団の航跡をひろげた。この北ヨーロッパの小国は,ポルトガル,イギリスといった大国とともに大航海時代に活躍したが,それらを背景にしながら数多くの海洋画家を生みだし,無数の海景画をのこしている。ヤン・ファン・ド・カペル,ヤコブ・イザークス・ファン・ルイスダール,ウィレム・ファン・デ・ヴェルデといった画家たちが帆をはらませて港をでていく船団の勇姿を,またアブラハム・ファン・ペィエレン,アドリアン・ファン・オスターデといった画家は卓上における魚や海老,魚屋の店頭など海の事の豊かな情景を描きだした。

 四方を海に囲まれた日本は,なぜかこのような海洋画家たちをだしていない。多量な海景画,海洋静物画を生んではいないが,しかし,海,波,魚介ははやくから絵画の画因(モチーフ)としては使われている。

 このことは,おそらくなによりも日本人の自然観に関連していることであろうし,その自然観に基づく美意識による結果であろう。「海・その幸と形象」展は,この日本人の自然観,美意識による洗練された造形とその歴史の一端が,海を中心主題として構成されている。


 鎌倉時代の絵巻は,画巻という特殊な画面形式のなかに,『一遍上人絵伝』を例にすれば布教のための遍歴が主題となっているように,宗教的契機による画作であり,それ故に鎌倉時代という,一種の現実主義が生起してきた時代の様式による自然描写が示されている。細密精緻で温和な表現は自然感情と宗教感情との一致を感じさせる。

 古代から中世にかけて,自然景の表現は総体的には温和な自然風土を素直に反映して四海波鎮かな情景描写が多くみいだされる。それは万葉集から古今集,新古今集といった和歌の詩歌世界と共通するものであろう。海辺に照応し,対称的に中世人の美意識を刺激し,愛好されたのは山里であった。それが山岳ではなかったことは,海に対して関心や好尚が狂暴な荒海や神秘と恐怖をひめた海でなくて,曲木が点在,身近ないさなどりの場としての平穏な海辺情景であったことと対をなしているように思われる。そして近世にいたって海景は,ようやく動的情景となり,ダイナミズムを獲得してきたといえよう。

 こうしたなかで,最も注目をひくのが成立年代は確定されていないが,中世末期と考えられている『日月山水図屏風』(金剛寺蔵)であろう。この屏風は,寺院における灌頂会のときに使用された山水屏風であったとつたえられているが,中世から近世の絵画史のうえで,いや日本の絵画史上においても多くの関心と注目を集めてきた絵画作品である。そこ(六曲一双)には,四季の山々があり,海があり,滝があり,松や桜や柳があり,それぞれの隻に太陽と月とが描かれている。その図様は大胆に単純され,変化に富み,彩色もまた背景の金銀装飾をもって華麗でさえある。そしてそれらは自然景だけで,人間を含めて動物は皆無である。単純な形態の山容,曲木や波濤の動的な表現,これらはたしかに豪華鮮麗な桃山障屏画を予告し,宗達光琳の先駆をなしているがゆえでも注目された。さらに最近の研究ではいっそう注目される提言がなされている。それは,この屏風の画面が,平安末期の文献『作庭記』と深い関連があるという指摘である(尾吹万里「金剛寺蔵日月山水図屏風をめぐって」,東北大学・『美術史学』第六号)。

 日本の古代から中世期における自然の景観表現は,あたかも和歌世界が狂悪な自然を捨象して卑近で平明な自然景を優美に謳うことの多かったように,盆景的であり,海辺情景においては内海的であった。中世末期以降も倭絵の系譜はこの盆景的内海的伝統を継承しているといってよいのかもしれない。高く舞いあがる波がしらを描く波濤図も,あくまでも優美であり,装飾的である。それは北斎の『富嶽三十六景・神奈川沖浪裏』の「鷲の爪」(ヴァン・ゴッホ)のような巨大な波においてさえもそうであるように思われる。波間の小船も波に同化し,乗っている人々は恐れて身を縮めてはいても,死に直面している気配はない。

 描かれた魚介類もまた美しく繊細である。線描はその美しさを華やかにさえしている。

 近代の海景画は,こうした日本絵画の伝統を継承し,かつ一方ではそれと対決することによって新しい絵画の地平を拓いてきている。竹内楢鳳『青花魚(鯖)』は優美な伝統を近代的な写実によって魅力ある画面にしている。新しい視覚は,新しい自然景観を生みだすが,その背後では新しい自然観がそれを支えている。高橋由一『鱈梅花』は近代静物画の誕生を語り,藤島武二『屋島よりの遠望』,それに先立つ山本森之助『曲浦』は,盆景的景観を脱して,大きく豊かな海景美の世界をつくりだしている。

(三重県立美術館館長)

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