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仏像と近代彫刻その2

 明治以降の彫刻家たちは、日本で古くから作られてきた仏教彫刻とさまざまな関わりをもってきた。それは、仏教彫刻と技法や主題面で関係が深い木彫家たちに限ったことではない。

 

 木彫系、塑造系、あるいは官展系・在野系を問わず、多くの作家たちがわが国の仏教影刻を意識してきた。明治時代に始まるこうした流れは、現代にも引き継がれている。近代以降の彫刻家たちは、わが国の優れた古仏を、新しい彫刻表現を創造する際にひとつの拠りどころとしてきたのである。こうしたありようは、明治以降の画家たちが西洋絵画のみならず江戸時代以前の古画からもインスピレーションを得て、新しい絵画表現を創造してきたことと軌を一にする、日本近代固有の現象でもあった。

 

 明治以降の彫刻家たちが古仏から引き出した「近代的」表現とは、以下の三つに大別できると思われる。まず第−に、仏教的主題の再解釈である。仏菩薩や諸天、祖師像などの仏教尊像は、近代の彫刻家たちにとっても重要な主題であった。しかし、寺院向けの造像ではなく、展覧会などで発表するために仏教的主題の作品を制作する際に、作家の関心は主題をどのように解釈するかに向けられることになった。仏教的主題は、作家の主観を投影するために格好の題材でもあったのである。

 

 二つめは、儀軌に基づいてつくられる仏像が示す、独特の表情やポーズに惹かれた近代の彫刻家たちによる作品がある。高村光太郎の《手》[p.111/図]が仏像の施無畏印から着想されたことはもっともよく知られた例だろう。飛鳥奈良時代の半跏思惟菩薩像や天部像のポーズも、作家たちに多くのインスピレーションを与えた。

 

 三つめの、そしてもっとも重要な仏像と近代彫刻との関わりは、作家たちが古仏を芸術作品として鑑賞し、自己の彫刻表現にプラスになるものを見出すことであった。

 

 明治時代中後期に東京美術学校に集った木彫家たちが奈良の古仏を研究したこと、ヨーロッパから帰国した高村光太郎や荻原守衛らが、西洋彫刻に匹敵する優れた彫刻表現を古仏に見出し感銘を得たことなど、多くの事例を挙げることができるだろう。その背景には、『白樺』同人や和辻哲郎に代表される明治後期以降の知識人、文学者たちによる芸術品としての仏像鑑賞があった。

 

 そうした流れとは別に、昭和初期に当時は評価の低かった江戸時代の円空仏を通じて、木彫の素材について多くの刺激を得た橋本平八の例も忘れることができない。

 

 このように、日本の古仏は優れた彫刻作品と見なされて、明治時代以降の近代彫刻に大きな影響を与えてきた。第二次大戦後盛んになる抽象彫刻の作家とて例外ではなかった。 明治以降の近代彫刻の展開と近世以前の仏教彫刻とは、互いの姿を映しあう一種の合わせ鏡のような関係にあるといえるかもしれない。

 

(毛利伊知郎)

高村光太郎《手》

高村光太郎
《手》
1918(大正7)頃
ブロンズ
東京国立近代美術館

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