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あいさつ

パリは,日本人にとって,おそらく世界のどの国の人々よりも強い憧れの都であったし,いまでもそうありつづけています。パリと出会い,圧倒的な伝統の重みとその上に生まれる華々しい文化に接して,日本人は,めくるめくような感銘と二つの文化の違いが触発する深い内省にとらわれてきました。そうした体験をもつ画家たちが,パリとその近郊で描いた多くの絵画は,ひとつひとつ,古いパリ,今日のパリに向けての豊かなメッセージであり,異質の文化のぶつかり合いと融和についての解答ともなっています。

1868年の明治維新後,日本は,ヨーロッパの科学技術を積極的に導入しながら,近代化を押し進めてきました。そのなかにあって,ヨーロッパの絵画技術は,最初芸術としてよりもむしろ,対象を忠実に写す技術として注目されたのですが,すぐに,日本の画家たちは,そうした実際的な側面とは別に,日本古来の象徴的,装飾的な絵画とは大きく違う新しい絵画に,幅広い芸術上の可能性を見出しました。そして彼らの情熱は,日本の学校教育に組み入れられた絵画技術の修得では満足できず,大画家の作品を自分の眼でみ,西欧の美術教育を直接受けて,新しい絵画の魅力をわがものとしようとヨーロッパヘ渡ることを選びました。

19世紀後半には,イタリア,ドイツ,とくにフランスヘ渡る画家の数は,次第に増え,20世紀に入ると,パリは日本人画家の聖都と化したのです。こうして,次々にパリに留学した画家の手で,その時代の前衛美術を含めたさまざまなヨーロッパ絵画が日本に移植されました。もちろん,社会のあらゆる分野に西欧的な近代化が浸透し,近代的な自我意識が確立されても,固有の風土と長い歴史に培われた感性は容易に変わることがありません。それゆえに,日本の近代美術史に日本的な感性が色濃く留まり,ヨーロッパ絵画に触発された作品にもそれが認められるのです。

パリとの出会いから生まれ,西欧の技法に従って描かれた作品のうちには,ヨーロッパ的な空間の把握と造形の構成がどう硝化されたかという点とともに,日本の絵画の伝統的な特質,つまり,書に基づくような線の扱い,装飾性への配慮,空間の平面的な処理,対象の独特な省略法,自然との親和を図ろうとする風景への対し方などが,見出せることと思います。

山本芳翠 五姓田義松から荻須高徳,三岸節子まで,53人の画家の手になる101点の作品を通して,日本人画家の眼に映ったパリの概観を楽しみながら,日本の風景観と日本人に消化されてゆくヨーロッパ絵画の変遷とを,一望のもとにたどることができるでしょう。

この展覧会が,日仏の文化交流に,これまでにもまして一層友好的で一層実りある,新たな局面を開くことを願ってやみません。

本展開催にあたり,ご後援いただいた外務省,文化庁,フランス大便館,ご協賛いただいた富士通株式会社,またご協力いただいたエールフランス国営航空会社,ならびに関係各位に心から感謝の意を表します。

弦田平入郎/神奈川県立近代美術館館長
陰里鉄郎/三重県立美術館館長
一柳東一郎/朝日新聞社社長

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