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作品目録

凡例

1. 目録のデータは、カタログ番号、作家名、作品名、制作年、材質・技法、寸法、書き込み、来歴、展覧会歴、文献の順である。 2. この目録の解説等一部は1990年に刊行した『岡田文化財団寄贈作品集』を使用した。 目録執筆者中二名の現在の所属は以下の通りである。
中谷伸生:関西大学文学部
荒屋鋪透:株式会社 ポーラ化粧品本舗美術館設立準備室

6−1
松本 薫
FROM 90°TO 90°
1981(昭和56)年 ステンレススティール
47.0×39.0×14,0
MATSUMOTO,Kaoru
FROM 90°TO 90°
1981
stainless steel
現代美術の新世代展(三重県立美術館1983)no.84

松本薫の作品は、いずれも〈キネティック・アート〉と呼ばれる動く彫刻である。今日キネティック・アートの分野は広範にわたっており、松本の作品のように電気モーターで動くもののほかに、ハイテクノロジーを駆使したもの、風や水など自然を動力とするもの、映像、さらには運動の印象を生み出すもの全般まで含めて考えることができる。また過去に遡ってその様々な作例を求めることもできるが、その本格的な登場は20世紀であり、理論と実践の両面における科学の飛躍的な進歩を抜きにしてはキネティック・アートというジャンルの成立は考えられない。

電気モーターで実際に動く最初の作品を制作したのはナウム・ガボであった。彼は1920年に一本のスティール線をモーターで回転させた「キネティック・コンストラクション」を発表した。そこに科学が開示する全く新しい世界の可能性に対する素朴な信仰があったことは否定できないであろう。

松本薫の作品は、動く原理という点では、このガボ以来の試みを継承したキネティック・アートの正統といえる。しかし科学技術の成果を利用することに関しては次のような彼自身の発言がある。「動力は人の何倍もの力に換ってくれる、そしてコンピューターは文字どうりその動きを制御し判断してくれる。しかし、この困難な動きと制御を判断するのは自分自身で在りたいと常々思っています。動く彫刻を通じてそれが現代の社会を理解する方法だと考えるからです。」(「現代美術の新世代展」図録より)。

彼の作品では、動きが生み出す視覚的効果や時間の感覚、動きそのものの面白さよりも、動きのメカニズムに注意が引き付けられる。一見したところ緩やかで単純な動きは、実はなかなか複雑な構造を有しているからである。

この作品では、モーターによる支柱の先端部の回転運動のみから、他のすべての動きが生じている。しかもスティール棒は、2本の細い軸とそれぞれ90度の関係を保ったまま、回転しつつ上下に運動する。それは計算し尽くされた知的操作の成果であり、その意味では知的遊戯としての性格の強い彫刻といえよう。 1983年に三重県立美術館が開催した「現代美術の新世代展」においてこの作品が岡田文化財団賞を受賞したのも、賞選考委員の一人、堀内正和氏が動きの仕組みを高く評価したからであった。しかし同時にそうした操作は、機械による動きをあくまでも人間の機知によって制御しようとする意志の表明と見なすことができる。その意味で、科学に対する信頼感が崩壊した時代における、逆説的な倫理観に裏付けられているといえよう。

(土田真紀)

6−2
小清水漸
作業台 水鏡
1981(昭和56)年 シナ合板、ウレタン塗装、水
w145.0×d11O.0×h40.0
KOSHIMIZU,Susumu
Working Table,Mirror in the Water
1981
plywood of linden,urethan,water
菅木志雄・小清水漸二人展(村松画廊 東京1981)
現代美術の新世代展(三重県立美術館 1983)no.36
小清水漸 彫刻・現代・風土(岐阜県美術館1992)no.9
コレクション万華鏡(三重県立美術館1998)no.3−5
たにあらた「展評」『美術手帖』no.490、1981年12月、pp.240,242
中村英樹『鮮烈なる断片−日本の深層と創作現場の接点』(杉山書店 1984年)p.89
cf.小清水漸「作業台−硯−」『手で見る美術展』カタログ(有楽町アートフォーラム、つかしんホール 1988年)pp.40−41

とりあえず、誰が見てもこの作品はテーブルと映る、としよう。40センチという低さは、床に直接腰をおろす日本の習慣につながるし、黒の塗装は黒漆を連想させるかもしれない。ところが、台に凹みがうがたれ、水を張る。ためにテーブルは、何らかの目的に供せられる道具としての日常的なありかたからずれてしまう。

しかし、純粋に形態と量塊の関係から成立するとされる彫刻が問題だともいえまい。テーブルは、その上にものを置いたり、作業したりする道具である。その意味でテーブルはつねに、おのれ以外の何かのための台であり、その何かにとっては不在と化すべきなのだ。この作品にあっても、凸部を一切排した表面は、自足した事物の覆いではなく、そこにのせられるべき今はない何かを予想させる。丸みを帯びぬ、断ち切られたようなへりの処理も、この不在をきわだたせよう。

他方、台のひろがりは、無限に延長しゆくわけではない。宙に浮かされることで、具体的な事物たるがあらわになる。この点でへりの切断は、今度は、不在に裏打ちされるかぎりでのテーブルの現存に求心性を与えるのだ。表情を断った職人的な仕上げ、黒の塗装などはさらに、表情のなさゆえ不在と現存の緊張を強め、具体的でありながら観念性を帯びさせている。

これだけではしかし、やはり単なるテーブルでかたづけえたかもしれない。だが、水……自足する固体でも、感知しえぬ気体でもない水、その表面はつねに、深みを相たずさえている。表面は時に鏡と化しておのれを消し去り、深みは限界を隠す。かく、水の表面/深みの二重性が、テーブルの不在/現存と重ねあわされる。水は決して台の表面より上に出ないので、水は曖昧さ、テーブルは硬質さそのままに、まさに一体として、嵌入しあうだろう。

とすればここでは、ある/あろうものとしての事物とあらしめるものとしての台座、表面が表面にとどまらず、あるものがないものをはらむ時、立ち現れる表現の仕組み−即ち、彫刻のありかたそのものが、きわめて還元された形式のもとで呈示されんとしているのである。水という不確定な因子、黒という特殊な色の導入は、還元性を弱めかねないのだが。

なおこの作品は、1981年の菅木志雄・小清水漸二人展(村松画廊)に発表され、1983年当館で開催された「現代美術の新世代展」で、岡田文化財団賞を受賞した。

(石崎勝基)

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