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作品目録

凡例
1. 目録のデータは、カタログ番号、作家名、作品名、制作年、材質・技法、寸法、書き込み、来歴、展覧会歴、文献の順である。
2. この目録の解説等一部は1990年に刊行した『岡田文化財団寄贈作品集』を使用した。
目録執筆者中二名の現在の所属は以下の通りである。
中谷伸生:関西大学文学部
荒屋鋪透:株式会社 ポーラ化粧品本舗美術館設立準備室

2-1
シャガール、マルク

1956−62年
油彩・キャンバス 150.1×120.0
右下に署名、年記 MARC Chagall 1956−62

CHAGALL,Marc
La Branche
1956−62
oil on canvas
signed and dated lower right:MARC Chagall 1956−62

シャガール展(東京国立近代美術館、京都市美術館、愛知県美術館、熊本県立美術館1976)no.20
巨匠シャガール展(読売新聞社1980)p.9
シャガール展(読売新聞社1984)no.22
マルク・シヤガール展(小田急美術館、姫路市立美術館、三重県立美術館、山口県立美術館1992−93)no.91
マルク・シャガール展(鹿児島市立美術館1997)no.46

森本孝「館蔵品からマルク・シャガール《枝》」『ひる・ういんど(三重県立美術館ニュース)』第25号1989年
Baal Teshuva,Jacob,Chagall,Cologne,1998,Front Cover


花々が咲き乱れる青い空を、白いウェディング・ドレスを着た女性と、紫色の服を着た男性のカップルが浮遊する。画面の左上には太陽が、その下には月が見える。エッフェル塔、橋、舟、鳥、そして空中に現れた長い髪の女の首。シャガールは、こうしたモティーフをたいへん気に入っていたようである。というのも、酷似する作品が、数多く制作されているからである。例えば、《黄色の顔》(1953年頃)、《白のにおいあらせいとう》(1969年)、《平安》(1969−71年)、《青の中に》(1970年)、《夜のうた》(1975年)と枚挙にいとまがない。

さて、この《枝》と最も酷似した主題、モティーフを扱った作品として、《エッフェル塔のまわりの新郎新婦》(1938−39年)(ポンピドゥー・センター蔵)を思い起こすことができよう。制作の時期はかなり離れているが、構図、モティーフなど、共通するものが多く、その意味では、《枝》は、男女の結婚の至福を扱った絵画だといえるかも知れない。もっとも、シャガールの絵画は、基本的に、明確な意味内容をもつものではなく、そうした詮索は、たいして意味がないようにも思われる。すなわち、シュールレアリスムの流れに立ち、卓抜な想像力を駆使して、思いがけないモティーフを見事に組合わせる幻想的な表現、これがシャガールの画家としての主たる狙いであった、と説明したほうが適切かも知れない。いずれにしても、《枝》は、シャガールの典型的な作風を示す絵画であるといってよいであろう。

1956−62年といえば、シャガールが、中世のステンド・グラスの魅力に惹かれて、自らステンド・グラスの研究と制作に力を注ぎ始めた時期である。《枝》の濃青色は、深く重厚で、しかも透明感がある。それは、あたかも、中世ゴシック時代のステンド・グラスを想起させる。1952年、65歳のときに、シャガールは、北フランスにあるゴシック様式のシャルトル大聖堂のステンド・グラスを見て、大きな感銘を受けたという。この《枝》の濃青色は、シャルトルのステンド・グラスに見られる深い青、中でもその極致とい・樓る、いわゆる“シャルトル・ブルー”の輝きと関連があるのかも知れない。というのも、シャガールが、濃青色を頻繁に使いだしたのは、1952年以降のことだからである。

この絵画は、1976年に東京国立近代美術館で開催された「シャガール展」の図録の表紙を飾ったものであり、また、岡田文化財団によって三重県立美術館に寄贈された最初の作品である。

(中谷伸生)


2-2
シャガール、マルク
サーカス(全38点)

1967年
リトグラフ・紙 42.0×32.0、42.0×64.0

CHAGALL,Marc
Le Cirque
1967
lithograph on paper

シャルル・ソルリエ編、中山公男監訳『シャガール・リトグラフ全作品集 第2巻』講談社1987年 no.490−527


この版画集のサイズは、縦42センチ、横32センチで、カラー・リトグラフ23点が挿入されており、その中の3点は、見開き頁を使った大版サイズの作品である。他にモノクロ・リトグラフ15点が挿入されている。紙はヴェラン・ダルシュ紙を使い、計250部出版され、各々の画集には、ローマ数字の1から250までの番号が入っている。これ以外に、非売品の20部が制作され、やはりローマ数字で1から20までの番号入りとなっている。この他にも、23点のカラー・リトグラフが、幅の広い余白のある紙に刷られて発行されたが、モノクロ・リトグラフの方は刷られなかった。

画商アンブロワーズ・ヴォラールとシャガールの二人が、サーカスを主題にした版画集の構想を練ったのは、ヴォラールが不慮の事故死を遂げた1937年以前、つまりこの作品を制作する30年以上も前のことであった。その時期に、ヴォラールから依頼されて、シャガールは、サーカスに関する19点のグワッシュを制作している。しかし、その計画は中断した。そして30年後に、サン・ジャン・カップ・フェラに会社を構えていたテリアドの勧めによって、再度サーカスの主題を採り上げることになり、結局、1967年にようやくこの版画集が完成する。おそらく、シャガールは、長年月にわたって、サーカスの主題を心の中であたためていたのであろう。

サーカスについてシャガールは、かつて次のように語っている。「この〈サーカス〉という言葉には魔力が秘められている。古代から伝わる踊りにおいて、人間や人間の微笑み、足や腕のしぐさが偉大な芸術に一変するのだ。サーカスは最も悲しいドラマのように私には思われる。何世紀にもわたって、それは人々の娯楽や喜びを探し求めた者の、このうえもない鋭い叫びであった」。

中山公男氏の指摘によると、ヴォラールの依頼によって初めてシャガールはサーカスの主題に関心をもったのではなく、おそらく、故郷ロシアのヴィテブスタにあったユダヤ人村などで行われていたサーカスを、早くから興味を抱いて見ていたにちがいない、ということである。

(中谷伸生)

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