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作家略歴/作品解説

中谷伸生(三重県立美術館学芸員)

北山善夫 (Kitayama Yoshio )1948−

北山は,紙や竹,あるいは種々の木を一見無造作に組み合わせたような作品を制作しているが,こうした自然と人工とを結合する造形手法は,大きく見れば,1970年前後に登場した〈もの派〉の流れに連なる思考を明らかにする。だが近年の北山の場合には,それらの運動よりも一層,観念的な志向が薄らいでいると共に,形態に対する明確な追求が見られる。

1948年,滋賀県八日市に生まれる。既成の美術教育などは一切受けず,始めは染色の仕事をやりながら,YMCAや京都市主催の美術教室に通う。銅版画なども手がけ,1970年代には,コンセプチュアル・アートや〈もの派〉の影響を強く受け,石を紙や銅製の立方体の中に埋め込んだ作品を制作する。1979年に大阪の靭ギャラリーで個展を開き,この時期から,竹や紙を使った作品を制作し始めた。以後,京都,大阪の画廊を中心に作品発表を続け,1982年以降は,各地の美術館に出品するようになる。

《ほんとうに言葉は短いはどよい》(no.114)は,竹,木,皮,紙の素材を活かした,壁面に吊り下げる特異な立体作品である。おそらくここには,染色に通じる日本的な造形感覚が見られると同時に,上記の〈もの派〉やコンセプチュアルな志向を乗り越えようとする,斬新な姿勢が認められる。北山はどこにでも転がっている竹や木を用いて,視覚的な鋭さを探りつつ,しかも生の素材が語りかけてくるように構成する。「出来るだけ汚い作品にしたい」と語る北山であるが,一方で彼の眼自体は,やはり繊細で美的な形象を追求するのを止めておらず,その意味で,この作品も,周囲の空間を取り込みながら。やはり人工と自然との調和を狙うものといって間違いない。

●中原佑介「新人・紙・竹・木のレリーフ 北山善夫」『芸術新潮』380 1981.8
●「注目の40作家の発言」『美術手帖』508 1983.3
●「作家訪問 北山善夫 ささやくストローク」『美術手帖』527 1984.6

デュビュッフェ,ジャン(Jean Dubuffet)  1901−

デュビュッフェは,20世紀初頭にいたるまでの過去の芸術が見せた,上品で洗練された美的趣味に反旗を翻して,絵画表現の限界に挑戦するかに思える,プリミティブな人間像をキャンバス上で執拗に追求した。そのヴァイタリティー溢れる作品は,アンフォルメル絵画を先駆するものと解されている。

1901年,北フランスのル・アーヴルに生まれる。17歳のときにパリに出て,アカデミー・ジュリアンに学んだが,半年で通学をやめて,レジェやデュフイらと友人になり,独学で絵画を勉強する。以後,兵役に服した後,絵画制作に励んだが,思うようにゆかず,41歳になるまで,家業の葡萄酒卸商に従事した。1942年,商売をやめ,絵画に専念することを決意する。パリのドゥルーアン画廊で初めての個展を開いたところ,色彩や筆触のあまりに激しい作風が,世間を騒がせることになった。戦後は,子供の描画さながらの人物デッサンと厚く盛り上げられたマチエールとによって,意識的に荒々しい画面を強調した。その後,絵具のマチエールの効果を中心にした「土壌と地面」シリーズを経て,1960年代に入ってからは,ジグソー・パズルのように,太い輪郭線で区切られた区画内を,色斑や縞模様で埋めていく,いわゆる「ウルループ」と呼ばれる絵画を描いた。また,このスタイルを適用したポリスチレンの彫刻をも制作するようになる。

《作品(らくだ)》(no.16)は,1947年のサハラ砂漠への旅行に取材したものと思われるが,画面中央の二匹のらくだや,遙か彼方を歩く二匹のらくだなど,まるで児童画を思わせるプリミティブな描法が,デュビュッフェの本領を表明している。黄土色を基調にした,少々ユーモラスな作風は,アフリカやオリエントヘの画家の関心の深さを示すと共に,伝統的な芸術に対する,彼の迫力ある攻撃でもある。

●江原順「色彩の魔術師 ジャン・デュビュッフェ」『みづゑ』647 1959.4
●滝口修造・大岡信「作家研究/ジャン・デュビュッフェ」『美術手帖』196 1961.11
●針生一郎他『デュビュッフェ』アートギャラリー現代世界の美術20 集英社 1986

ニコルソン,ペン (Ben Nicholson)  1894−1982

モンドリアンの新造形主義やキュビスムなどの簡略化された形態表現を,独自の抒情的作風によって展開させたイギリスの画家で,半具象と抽象との間を柔軟に歩んで,独自の境地を開拓した。その繊細の極地といわれる,厳しい線描と抑制された渋い色調とによって,20世紀イギリスの画壇で,もっとも卓越した抽象画家といわれる 1894年,イギリスのバッキンガムシヤーにあるデナムに生まれた。父親はやはり有名な画家であったウイリアム・ニコルソンである。1910年、ロンドンのスレード美術学校に入学したが,1学期間だけで中退して独学する。トゥール,ミラノ,パサデナを巡り歩いて勉強した。20年代には,グリスやピカソらのキュービスム,そしてル・コルビュジェやオザンファンらのピューリスムの影響を受けた。一時期,素朴派のアルフレッド・ウォーリスの感化を受けて,具象の風景画を手がけるが,すぐさま抽象絵画に逆戻りする。1931年に抽象彫刻家のバーバラ・ヘップワースに出会って結婚する、この頃から,ヘップワースと並んでガポ,モンドリアンらの構成主義の要素を自らの作品に採り入れて,絵画のみならず,着彩レリーフをも制作する。50年代以降は,分析的キューピスムの造形手法を部分的に採用しながらも,量感表現を避けて,平面と線との抒情的で透明感のある独自の構成を狙いとした。

《コンポジション─木槿》(no.8)は,モンドリアンらの構成主義の影響を示す前期の代表的作品である。画面を引っ掻いたような白い線描には,ニコルソン天性のものといってよい病的なほどに鋭い造形感覚が見られる。また,画面下部に紅一点の色面を配置して,全体を抑制した灰色あるいは黒色で覆うやり方は,この画家の気質に根ざした穏健な抽象表現を示している。

●植村鷹子代「ベン・ニコルソン小論」『みづゑ』575 1953.7
●池上忠治「ベン・ニコルソン 想像の痕跡」『みづゑ』845 1975.8
●西野嘉章「記憶のトポグラフィー ベン・ニコルソン」『美術手帖』549 1985.9

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