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元永定正−ユーモアと色かたちリズムの世界

毛利伊知郎

1922年生まれの元永定正は、日本の美術界で最長老の画家の一人だ。しかし、近年の盛んな活動は年齢を全く感じさせない。この展覧会の打合の際、元永氏の意見を尋ねた際に「そうしたことは皆さんにおまかせする.自分は、今度の展覧会でどのようなインスタレーションをするか考えていた。」と言われて、創造に対する熱意に驚いたことがあった。元永がこの数年各地の美術館等で開催してきた個展も、元永のエネルギッシュな活動の現れだ。そこでは毎回会場の空間に合わせた大規模な新作やインスタレーションが発表されてきた。こうした活動を見れば、元永定正が類稀な存在であることに異議をはさむ人はいないだろう。

三重県立美術館では、1991年に元永定正展を一度開催している.その後の旺盛な活動に触発され、1991年以降今日までの20年近い期間の作品も盛り込み、半世紀以上に及ぶ元永の活動を絵画作品を中心に紹介しようと企画したのが本展覧会である。既に多くの元永定正論があるなか、新たにつけ加えることは少ないが、本稿ではいくつかのキーワードにそって元永の作品に迫ることにしよう。

1.ユーモアと楽天主義

元永定正といえば、ユーモア、愉快といった言葉が自然と浮かんでくる(註1)。人なつこい風貌、ゆったりした関西弁、時々発せられるジョークや駄洒落などに接するると、初対面であっても、多くの人はこの画家に親しい感情を抱くだろう。



1.土田真紀「元永定正のユーモアとオプティミズム」『元永定正展』図録1991年 三重県立美術館

作品にも、おおらかで人を和ませる人間性が強く現れている。このような人物であれば、ユーモラスで明るい抽象作品を描くことも、ウィットに富んだ立体作品をつくることも当然のことと誰しもが思うだろう。

実際、元永は難解な芸術論を正面から振り回すことなどしない。自ら「アホ派」と称して、誰の目にも楽しく映る作品を描き続けてきた元永であったから、幼児から大人まで多くの人々がファンになったのだ。しかし、元永の作品は、単に口当たりが良く、平明なだけではない。誰もが認める元永のユーモア精神は、単に人を楽しませ、笑わせるだけでは終わらない。また、平明でユーモアに満ちていても、そこに俗っぽさはない。作品の背後に、多くの人々の共感を呼ぶ画家の世界観、芸術観があることを忘れてはならないだろう。

1957年、35歳の時に『具体』第6号に発表した「オパーリン学説と具体美術」等を読めば、元永が若い頃から芸術について思索を深めていたこと、文筆にも長けていたことがわかる。また、その前年の『具体』第4号に発表した「作品一文字」は、文字や言語と造形との関係に対する元永の強い関心と試行を示している。その後も、元永は折に触れて執筆した随筆などで、様々な事柄についての自らの考えを率直に表明している。また、美術のみならず、教育等について講演することも珍しくない。元永定正は、実は理論肌の作家なのだ。

自称「アホ派」の「アホ」は、単に「愚か」という意味ではない。親しみやすく、受け売りの芸術理論や知識によらず、自らの考えに従って活動する画家という意味にとらえるべきだろう。このことを元永は「我流」、あるいは「我流は一流」などとも言うが、元永の我流は青年時代から濱邊萬吉や吉原治良をはじめとする多くの芸術家たちと交流する中で相対化されながら育まれたものだ。元永のユーモア精神は、独白の思索に裏付けられた芸術観・世界観を笑いに包んで私たちに伝えている。

ところで、「そんな難しいことは自分には分からない。考えてもどうしようもない。自分は描きたい絵を描くだけ」、あるいは「どうなるかわからないけど、やってみたら」といったことを元永はよく口にする。一方で、「あの時は往生した(困った)!」というのもよく聞かれる言葉である.こうした元永の発言は、彼のユーモアと一体化した楽天主義(オプティミズム)によるものと言ってよいだろう。「往生した(困った)」というのは、愚痴や泣き言ではない。往生したけれども、最後は何とかした(何とかなった)ということに意味があるのだ。

元永とて、長い人生の中で様々な辛苦に出会わなかったはずがない.「楽しそうな作品が出来るまでにも作者は渋面づらで悩んだりもする」と元永は書いているが、この画家は晦渋や困苦の表情、苦悩する姿を他者に見せようとはしない。その背後にあるのは、元永流のプロ意識とサービス精神、それと一体化した前向きな楽天主義だ。

こうした元永の楽天主義を象徴するのが、「人生、−寸先は光」という言葉だろう。常人なら全く疑いを差しはさまない諺を元永は反転させてしまう。しかも、その反転を何の苦もなく軽々とやってしまうのだ。この思考回路は、並はずれているとしかいいようがない。

こうした元永流のユーモアと楽天主義、機知は、作品タイトルにも現れている。初期の《寶がある》(1954年頃、 cat.no.68)《Kiss》(1959年、cat.no.18)、70年代以降の《ZZZZZ》(1971年、cat.no.52)、《ヘランヘラン》(1975年、cat.no.54)などなど、その例をあげるのは容易なことだ.タイトルも作品の重要な一部なのだ。

作品名に関して付け加えると、《したにぐりんがじゅうさんぼん》(1987年、cat.no.60)、《まるさんかくしかくだえん》(1990年、cat.no.77)、《せんかたちいろながれ》(2005年、cat.no.65)のように、画面そのものの記述をタイトルにした作品が少なくない。こうしたタイトルは一見無機的にも見えるが、その語感はリズミカルで時に短い詩句のような印象を与える。表現とタイトル双方にユーモアや機知が込められることで、元永の作品イメージはより鮮明化される。

元永の作品は、具象絵画に始まり、初期の抽象作品、絵具流しの作品、アクリル絵具とエアブラシによるさまざまなかたちの作品、絵具流しとかたち双方が登場する作品と、幾度か大きく技法とスタイルを変化させてきた。

このような変遷を見せながらも、元永作品からユーモアと楽天主義が失われることはなかった。そうした意味で、ユーモアと楽天主義とは元永定正という作家の根底にある重要な要素というべきだろう。

2.かたちと色彩

かたちは、色彩とともに元永作品の最も重要な造形要素である。最初期の具象絵画はさておき、1954年頃から現在まで元永作品を特徴づけているのが、元永独特の抽象的なかたちだ。

元永がはじめて描いた抽象画が、六甲山の夜景に想を得ているというエピソードはよく知られているが、インスピレーションの源が自然の風景であれ、人工的なものであれ、何らかのかたちが生まれて、はじめて元永作品は成立するといってよい。

もちろん、初期の《作品》(1956年、cat.no.5)のような線で構成された作品も見受けられるが、50年代の抽象作品、60年代の絵具流しの作品、ニューヨーク滞在以降のアクリル絵具による作品、いずれにおいてもかたちが作品の生命線といえる。

1950年代末に始まり1966年の訪米まで続いた絵具流しの作品は、元永や具体美術協会とミツシェル・タピエとの交流と関連して、当時流行したアンフォルメル絵画の文脈で語られることが多い。もちろん、画面に飛散し、流れた絵具の痕跡は多分にアンフォルメル的特徴を示しているけれども、ほとんどの作品に丸みを帯びたかたちを見出すことは難しくない。

既によく知られていることだが、元永はかたちを生み出すために、小さなメモ用紙などにアイデアを描き留めてきたのだという。膨大な量にのぼるその一部はこの展覧会でも展示されるが、いわば舞台裏の営みであるこれら構想デッサンは、完成作品からは窺うことができないこの画家の一面を示していて、実に興味深い。

ところで、多くのかたちの中にも、頻繁に登場して元永作品のイメージ形成に大きな役割を果たしている、主役級のかたちがある。その−つは、空想上の生命体、あるいは人間のようにも見える上部が半円形を示す細長いかたち、今ひとつは楕円形で、アルファベットの「Q」を連想させるかたちである。傘を横からみたような三角形、色玉としても登場する円(マル)なども忘れることができない。

上部が半円形を示す細長いかたちは、初期の《寶がある》(1954年頃、cat.no.68)や《作品》(1956年、 cat.no.6)に遡り、はじめて元永が抽象作品を描こうとした際に眼にした六甲の山並みの夜景から着想されたものである.「Q」のような楕円のかたちは、おそらく初期の《とんでいる》(1954年、cat.no.67)や《作品》(1957年、cat.no.11)に登場する黒い浮遊物体が原型だろう。三角、円(マル)、「線」の表現も、既にこれら1950年代後半の初期抽象作品に見られることは、その後の展開を見る上で興味深い。

こうしたかたちの多くが曲線を示していることも注意しておくべきだろう.四角形や三角形でも定規で引かれた直線のものは少なく、少しいびつな手描きの三角や四角が多い。もちろん、直線が登場する作品も少なくないが、直線は主役というよりはむしろ曲線を際だたせる存在に見える。そして、こうした曲線や手描きの線が元永作品にシャープさよりも穏やかで大らかな印象を与えているのだ。

1960年代以降本格化する絵具流しの作品にも、こうしたかたちが登場することは前にも触れた通りだ。これらの作品は、絵具の物理的特性、重力という自然の力、作家の創意という三要素によって生み出されたといってよいだろう。

そういう意味では、ニューヨーク滞在以降の作品でかたちが再び前面に登場してくるのも、1990年頃から絵具流しとかたち双方が見られる作品を制作するのも、ある意味で必然的な展開と考えられる。かたちによる画面づくり、これこそが元永作品を形づくる縦糸なのである。


かたちが元永定正の縦糸だとすれば、横糸は色彩だ。元永作品の鮮やかな色彩は私たちに強い印象を与える。もちろん、無彩色に近い画面の作品もあるが、それらは少数派だ。元永定正を色彩の画家と見ることに、異議を唱える向きは少ないだろう。赤、黄色、青、緑、ピンク、オレンジなど元永独特のかたちを彩る鮮やかな色面は、私たち鑑賞者の気持ちを高揚させ、元永作品の性格づけに大きな役割を果たしている。

具体時代に発表され、その後折に触れて再制作され、様々なバリ工一ションがつくられた「水」の作品は、着色された水が発する透明感のある色彩と、水入りビニールのかたちが印象深い作品だが、色彩とかたちとの融合を示す典型的な例でもある。

元永作品の絵具は初期の油絵具に始まり、具体時代の種ペンキ・油絵具・エナメル塗料併用を経て、滞米以降のアクリル絵具へと変化した。当然、画材による相違はあるものの、画面に登場する色彩の種類に大きな変化は認められない。

しかし、元永作品はこうした鮮やかな色彩のみによって成立しているかというと、必ずしもそうとは言い切れない。既に辻成史氏が指摘したように、明暗の対比があって、はじめて元永の色彩は大きな意味を持つ(註2)

2.辻成史「かたちとどろき いろなりとよむ」『元永定正展』図録 2002年 西宮市大谷記念美術館

具体時代の多くの作品では、赤・黄・青等の傍らに黒や濃紺、濃紫、濃緑、濃茶などを置き、《作品65−3》(1965 年、cat.no.44)のように地を黒一色とすることによって、原色系の色彩効果をより高めた作品もある。

ニューヨーク滞在以降の作品でも、地を黒色にするほか、鮮やかな色彩のかたちと暗い色彩のかたちを対置し、薄暮か東雲時のような風景のシルエットを黒く画面下部に描くなど、鮮やかな色彩を際だたせることを画家は忘れていない。

明暗のコントラストと関連して、元永作品の「光と闇(暗)」にも触れておこう。元永がしばしば描く「色玉」が、六甲山の頂で光っていた照明に由来するというエピソードからも窺えるように、元永は「光」に対して敏感であったといえる。1950年代の「舞台を使用する具体美術」での《煙》や、大阪万博の「具体美術まつり」での《スパンコール人間》なども、人工光線の効果を抜きにしては考えられない作品であった。

また、《作品N.Y. No.1》(1967年、cat.no.47)には、コロナを発する皆既日食を連想させる表現が見られる。これは、ニュ・[ヨークで手に入れたアクリル絵具とエアブラシによって可能になった表現だが、こうした光線に対する元永の関心はその後も失われることはなかった。《しろいひかりにのみどり》(2007 年、cat.no.66)など一連の「しろいひかり」の作品や、《ひかり》(1997年、cat.no.64)など、「光」に対する関心を窺わせる作品が折に触れて描かれてきた。注意すべきは、こうした「光」が「闇(暗)」との対比で表現される例が多いことである.それは、色彩の「明暗」対比に対する意識と軌を一にしているといえるだろう。

かつて元永は「私たちの人生もこの小さな色玉のように、いろいろなこと柄に出会いながらそれでも前に進んでいくたくましさが大切なのではなかろうかと思った」と述べたことがあるが、作品に見られる「明暗」、「光と闇」のコントラストを、人生の悲喜こもごもの「いろいろな」出来事の対比にたとえるのはうがちすぎであろうか。

3.リズム感と動勢

これまで述べてきたユーモアと楽天主義、「色彩」とかたち以外に、元永作品にはもう−つ重要な要素がある。それが、リズム感と動勢だ。

リズミカルな動勢は、《とんでいる》(1954年頃、cat.no.67)や《作品》(1955年、 cat.no.69)など初期抽象作品に登場する色玉にまで遡る。具体時代の作品が、絵具の飛沫や流れによって原初的ともいえる動きのあるエネルギーを発していることはいうまでもない。絵具の流れは重力の作用によるもので、画家がコントロールできるものではない。しかし、画面を傾ける角度や方向、流す絵具の順序などを元永は様々に試みていたという。この時期の《作品65−2》(1965年、cat.no.43)、《作品66−1》(1966年、 cat.no.45)のように、動勢やリズム感を意識してかたちを配置した作品が見受けられることは注意してよいだろう。

ニューヨーク滞在以降の作品では、かたちが生き物のような身振りをしたり、隊列を組んで行進する。また、作者の動きを活き活きと伝えるフリーハンドのスピード感ある描線が作品に動勢を与えている。鮮やかな色、のどかでユーモラスなかたちに、こうしたリズミカルな動勢が加わることによって、幼い子どもたちをも引きつける力を元永作品は獲得することになった。

小学生の頃は、画家とともに映画俳優・歌手が志望の職業だったと元永は語っているが、ダンス教師の経験を持ち、歌唱力もプロ並みとして知られるなど、いわゆる身体表現はお手のものである。制作中の元永のアトリエには音楽(演歌)が流れることもあるというが、音楽やダンスに通じるリズミカルな動きが絵画作品にも現れているといってもよいだろう。リズム感、動勢とともに、かたちが示す浮遊感にも触れておこう。《O, O, O, O, O》(1975年、cat.no.55)《Piron Piron》(1975年、cat.no.56)など、かたちが画面一杯に大きく描かれた作品がある。そこに描かれたかたちは、あたかも風船のように空中に漂っている。これに似た浮遊感は《とんでいる》(1954年頃、cat.no.67)、《作品》(1957年、cat.no.4)など初期の抽象作品にも見られるが、〈水〉〈煙〉などもこの浮遊感を大きな特徴としていることはいうまでもない。

こうしたリズム感、動勢、浮遊感は、色彩やかたちとともに元永作品に欠かせない要素だ。その結果、元永の作品は、重々しさ、厳めしさ、停滞、晦渋、難解といった感覚とは無縁で、常に軽快でスピーディー、リズミカルな動きを示し、作品のエネルギーは見る者に生命の躍動を呼び起こすことになる。

元永定正が本格的な活動を開始してから半世紀が経過した。その間に、美術の槻念や表現は大きく変化したが、元永はそうした美術界の動向や変化にはまったくと言ってよいほと関心を寄せず、自身の道を歩んできた。元永は「人のすることには関心がない」と公言してはばからず、その関心は今もオリジナルな表現をつくり出すことに向けられている。今後、どのような表現で私たちを驚かせてくれるのか、期待をもって注視することとしたい。

(もうり いちろう・三重県立美術館学芸員)

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