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W 戦中戦後の洋画

日本におけるシュールレアリスムの運動は,1929年(昭和4)以後に福沢一郎によって始められた。彼はイタリアのキリコやドイツのエルンストの影響を受けて,知的で冷ややかな《科学美を盲目にする》(1930年)などの具象による不条理で寓意的内容を秘めた作品を制作した。1935年(昭和10)頃の独立美術協会展には,この福沢を中心に,やはりキリコ風の幻想的な作品《海と射光》(1934年)を描いた三岸好太郎や,シャガール風の幻想に近づいた川口軌外ら,多くの若手作家たちが登場している。1939年(昭和14),福沢は独立美術協会を脱退して,シュールレアリスムの旗印の下に美術文化協会を組織した。ここには,麻生三郎,古沢岩美,寺田政明,糸園和三郎,小牧源太郎,阿部展也,杉全直,吉井忠,それに,日華事変から第二次世界大戦にかけて夭折した靉光や北脇昇,飯田操朗,浅原清隆,森有材らの青年画家が参加している。

日華事変が勃発する1937年(昭和12)に,日本における最初の抽象美術団体である自由美術家協会が結成され,村井正誠,長谷川三郎,瑛九,難波田龍起,矢橋六郎,荒井龍男、オノサト・トシノブらが参加した。この会にはまた山口薫や森芳雄などの具象派画家も含まれていた。 また1938年(昭和13)頃から,二科会の第九室に進歩的作風を示す作品を集めて展示する九室会が創設され,藤田嗣治,東郷青児を顧問として,青原治良,山口長男,斎藤義重,広幡憲,柱ゆき,井上寛造,鷹山芋一らが活躍する。しかし,時代は第二次大戦へと大きく転回を始めており,陸軍従軍画家協会の創設に象徴されるように,前衛美術などの自由な表現に対する規制と弾圧が始まった。1941年(昭和16)にはいわゆるシュールレアリスム事件が起こり,シュールレアリストは危険分子であるという理由で,福沢一郎が7カ月間にわたって留置されている。

1943年(昭和18),この暗くてやりきれない情勢下に,松本竣介を中心とする30歳代の8人の青年画家,すなわち,靉光,麻生,井上,糸園、鶴岡政男、寺田政明,大野五郎らが集合し,松本家に事務所を置いて,新人画会を結成した。彼らは戦争による文化破壊の状況を鋭く告発し,たて続けに個展を開催した。松本は過労と栄養失調によって1948年(昭和23)に死亡した。また靉光はこの時期に《梢のある自画像》(1944 年)を発表しているが,敗戦後に上海で戦病死している。

戦後の美術界は,上記の画家たちの他に,戦後のシベリア抑留生活を描いた国画会の香月泰男また静かで神秘的な雰囲気を形象化した東光会の牛島憲之らが活躍するが,基本的には,すでに戦前に自己の様式を確立していた画家たちによって活発な芸術運動が繰り広げられることになるのである。

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