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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1998 > 5 文字を呼び寄せる/文字に呼び寄せられる 桑名麻理 コレクション万華鏡展図録

5 文字を呼び寄せる/文字に呼び寄せられる

安東

駒井


安東



駒井



安東
きみと二度詩画集をつくったわけだが…。

あれはぼくにはずいぷん勉強になった。詩画集といっても、安東のは、詩に挿絵をつければいいというのではないから、なにしろうるさいからね。

ずいぶんつくり直させたな。そんなことをしているうちに、だんだんと詩より画の方がよくなっていって、今度はこちらが詩を書き直さないではいられなくなったり…。そういう意味では、双方ともごまかしのなも仕事をしたということになるかな。

ぼくが捨ててしまった版を安東が拾い出してきて、あたらしく詩を書いたのもある。《厨房にて》などたしかにそうだった。構成してみると、それが案外よかったりして…。

そういう点は、共同制作じゃないと出せない面白みだね。
安東次男「〈ディアローグ〉2 駒井哲郎」『みづゑ』781

版画家駒井哲郎、詩人安東次男が共同制作した詩画集『からんどりえ』、『人それを呼んで反歌という』(cat.nos.5-19、20)は日本で最初の本格的な詩画集といわれている。詩人と版画家のなにげない思い出話のようだが、ことばの向こうの創造的な作業を想起すれば、才能をぶつけあったその核融合的なエネルギーに畏れを感じるほかない。

「絵は黙する詩、詩は語る絵」とシモニデス(前6~5世紀)は言った。しかし、版画の詩趣(ポエジー)を積極的に評価する感覚は、19世紀半ば、『悪の華』の詩人ボードレールの登場を待ってわれわれに共有される。15世紀に発生したという版画は、デューラーやレンブラントなどのわずかな例をのぞけば、油彩に対する複製芸術のコンプレックスを脱することはなかったのである。

19せ紀半ば、世間から忘れ去られていたエッチングが復活の兆しをみせる。1862年には腐食銅版画(エッチング)協会も設立され、自らも版画を蒐集していたボードレールは労を惜しまず彼らに力を貸した。同年4月「腐食銅版画(エッチング)は流行中」を雑詩に寄稿、9月には「画家たちと腐食銅版画(エッチング)家たち」を『ブールヴァール』誌に掲載した。書き連ねられた作家たちのなかで、ヨンキントとメリヨンに対する彼の語り口は一際熱い。「その高貴なる祖国の大河の堤防や地平線のように静穏な、由らの追憶と夢想との秘密を寵めた」(阿部良雄訳『ボードレール全集』Ⅳp.229)ヨンキントの海景版画、「積み重ねられた石の偉容、指で空を指し示す鐘楼たち、天空へ向けて彼らの煙の連合軍を吐き出す工業のオベリスクたち…」(前掲書p.230)とこれ以上にない詩情でもって「大きな首都のもつ自然な荘厳さ」(前掲書p.230)を描き出すメリヨン。エッチングは、ボードレールにとって「…造型美術の様々な表現のうちでも…最も文学表現に近接するものであり、自発的な人間を露すのに最も適したもの」(前掲書p.225)であった。

ボードレールの詩作のいくつかは、実際、レンブラントやゴヤなどのエッチングに触発されている。また、メリヨンの狂気により実現されることはなかったものの、彼の《パリの銅版画》に自作の詩をつけて詩画集を出版するという計画もあった。

ボードレールが見出したエッチングの詩趣(ポエジー)はおおいに画家を魅了した。インクの黒は、夢や文学の世界を刻す幻想の色彩となったのである。エッチングからリトグラフの黒へと行きついたルドンの黒とは、まさに悪の華の残影だった。

今世紀にはいると詩と版画の組み合わせは詩画集という西洋美術の一ジャンルを形成する。しかし、文字とイメージという本来異質なものの衝突である。その危うさを越える作品がどれほどあるだろうか。最後の行程「刷り」にいたるまで、ふたつは互いに引き寄せられながらぎりぎりの衝突を展開する。

(桑名麻理)

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