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1 世界をみる眼−近現代の風景表現

今日、私たちが「風景画」と呼んでいる絵画ジャンルがわが国で成立したのは、そう古いことではない。その時期はおそらく明治時代半ば頃であったと考えて大きな誤りはないだろう。

もちろん、わが国にも「山水図」、「名所絵」などの名で呼ばれる一種の風景表現は古くから存在していた。また、江戸時代になると、「真景図」と称される実景を描き出した作品や、絵師たちが気持ちの赴くままに描いた風景スケッチが少なからず残っていることは広く知られている。

名所絵という呼称にも示されているように、前近代の日本人が描いたのは、由緒正しい名所、和歌に詠まれた歌枕、神聖な霊山などが大部分で、名もない身近な風景が絵画化されることはほとんどなかった。

江戸時代の真景図には、近代的な意味での風景観もないわけではない。しかし、それでも名所絵の伝統を多分に真景図が引き継いでいることは、真景図においてしばしば描かれるのが名所や霊山であることを見れば明らかだろう。

また、古代以来、中国文化から圧倒的な影響を受けてきたわが国で、中国起源の山水表現に倣って、宇宙の縮図、あるいは理想化された観念的風景表現である「山水図」が頻繁に、しかも現代においても描かれていることは、周知の事柄である。

こうした伝統とともに展開してきた日本絵画史において、西洋的な意味での風景画が明治後半期に成立したということは、いわゆる静物函の成立と並んでわが国の近代絵画史上特筆すべきことがらである。明治以降の洋画を系統的に収集することに努めてきた三重県立美術館のコレクション展示において、風景表現を一つのテーマとして取り上げる所以もここにある。

今回展示される作品は、洋画では1876年(明治9)に開校した工部美術学校に招かれ、わが国で初めて本格的な西洋絵画法を教授したイタリア人画家アントニオ・フォンタネージが滞日中に制作した《沼の落日》(cat.no.1−11)で始められる。フォンタネージの風景画は、日本近代の風景表現の草創期に大きな示唆を与えたという点で象徴的な意味を持つ作品であるが、彼から指導を受けた浅井忠や山本芳翠に始まり、第二次大戦後長くフランスに滞在してパリで歿した木村忠太に終わる一連の作品群は、西洋起源の画材を使い、西洋的な風景表現の文脈に従いながらも、それをいかに日本固有のものとして定着させるかという様々な試みの連続であったいうことができる。 また、伝統的な画材や表現法を明治以降も受け継いだ日本画家たちの作品では、近代的な視覚、表現と伝統的なそれとのより直接的なせめぎ合いが画家たちの内面で行われていたことを窺うことができるだろう。特に、宇田荻邨が大正期に描いた《木陰》(cat.no,1−1)《祇園新橋》(cat.no.1−2)と、昭和に入ってから描いた《林泉》(cat.no.1−3)とが示す表現上の間隔は、西洋と日本・東洋との間で揺れ動く複雑な画家の立場を如実に示している。

そうした意味で、西洋的なものと日本・東洋的なものとを徹底して研究し、その成果を内面で深化させて統一的な表現を得ることに成功した横山操の《瀟湘八景−江天暮雪》(cat.no.1-45)には、絵画表現における西洋と東洋の統合の一つの典型を見ることができるだろう。

いずれにしても、洋画、日本画を問わず、このセクションに展示される作品群は、明治以降日本人画家が発見した新しい世界観の決して単純ではない軌跡を示している。

(毛利伊知郎)


cat.no.1-11 フォンタネージ《沼の落日》

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