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リチャード・ハミルトン
Richard Hamilton

1956年にロンドンで開かれた「これが明日だ」展に,ハミルトンは彼の初期の代表作「今日の家庭を,こんなに違った魅力あるものにしているのは,一体何か?」(1956)を出品した。彼はこの作品で,20世紀の社会と文化に爆発的な勢いで押寄せてきたマス・メディア(大衆媒体),すなわち新聞,雑誌,ポスター,映画の映像などを直接モティーフとしながら,それらを芸術的立場から視覚的な言語として再構成し,通俗的な大衆文化を形象化する活動へと積極的に乗り出した。この作品はポップ・アートの誕生を告げるものと言われ,ハミルトンは1950年代のイギリスを代表するポップ・アーティストと呼ばれるに至った。

一般に彼の作品は数多くのポップ・アートの中でも最も分析的かつ批評的な性格を示すものであると解されている。一例を挙げると,「我がマリリン」(1965)では,映画や雑誌などを通じて今世紀中葉の欧米社会に氾濫し,われわれを取り巻く風景の一部と化してしまったマリリン・モンローの写真が,コラージュの手法で使用され,実際にモンローが気に入らない自分の写真に対して行ったのと同じやり方で,ハミルトンは写真上に油彩画による×印を乱暴に手描きで重ねている。彼は機械的に複製された映像あるいはイメージを手描きの筆触によって改変し,両者の間に存在する緊張関係を追求したのであるが,こうした写真やポスターという複製による大衆的作品への芸術家による直接介入という手法は,ある種の知的な性格と,観衆の胸を打つ精神的な性格とを作品に付与することに繋がった。この観点からいって,ハミルトンの作品は,激しい表現性に富むラウシェンバーグの作品や,写真の映像をほとんど注釈なしに並置するウォーホルの作品などと比較して,遙かに分析的かつ批評的だと評されている。これらの手法は「ブラック・クリスマスを夢みて」(1971)や「室内」(1964−65)などの作品においても用いられ,そこでは映画のひとコマを想起させる画面が,絵具による手描きの筆触あるいはコラージュ風の色面構成の駆使によって,不思議な印象を醸し出す絵画的画面へと逆転させられている。またリトグラフによる「スウィンジング・ロンドン」(1968)や,スクリーン・プリントを使った「釈放」(1972)では,日常の生活空間内で見られる家庭製品などをそのまま作品として使用破るのと同様のやり方で,新聞の紙面が見る者の意表を突くように作品化されている。さらに「フランシス・ベーコンによる芸術家の肖像」(1970−71)では,まるで皮肉な注釈としてベーコンの様式を象徴するかのように,ベーコン風に歪められた奇妙な肖像が形象化されている。

これらハミルトンの作品に共通している特質は,反芸術を標榜し,日常使用される既成品(レディ・メイド)を作品として展示して観衆に衝撃を与えたダダイスムの思想が,手法を変えて具体化されていることであろう。ハミルトンは1966年ロンドンのテ、トギャラリーにおける展覧会に,敬愛するダダイストの先駆者デュシャンの作品「大ガラス」の模作を出品している。かつてデュシャンが既成品のオブジェを使って作品化したのと同様に,ハミルトンはプロマイド写真をはじめとする種々様々なマス・メディアを直接作品化するというダダ的手法を全く新しい媒体を使って可能にした。ただ彼の作品はダタの攻撃的性格を示してはおらず,現代文明を半ば肯定する志向を見せている。そして,氾濫する大衆作品を,その文脈を変えて最も効果的に作品化するために,また高度の複製技術に基づいて大量生産される大衆作品を芸術的素材として使用するために,彼は必然的にスクリーン・プリントを中心とする版画の領域に踏み込んだと考えられる。その結果,彼が制作した版画作品は,イギリス美術においてしばしば見受けられる視覚的にすっきりとしたスタイルと,いわばスナップショット的ともいうべき犀利な性格を,表明することになったのである。

(中谷伸生)

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