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高橋由一

金刀比羅宮には日本近代洋画の先覚者としてその名が高い、高橋由一の油彩画27点が伝えられている。このコレクションには《豆腐》《なまり》など由一の代表作が数多く含まれており、金刀比羅宮は江戸時代の絵画のみならず明治初期洋画の聖地ともなっている。

なぜ、金刀比羅宮にこれほど多くの由一作品があるのだろうか。金刀比羅宮と高橋由一との関係は、明治11年(1878)8月に由一が《二見ケ浦》を奉納したことに始まる。その後、由一は《貝図》《月下隅田川》を同宮のために描いて関係を深め、11月に自身の画塾天絵社の拡張資金融資を依頼した。翌年2月にさらに自作35点を奉納して、由一は200円の資金を同宮から受領することに成功している。

また、明治13年(1880)暮に琴平を訪れた由一は、翌年1月まで滞在して、《鯛(海魚図)》《桜花図》を奉納、また同宮から依頼されて、《琴平山遠望》《琴平山下石淵川図》《深見速雄像》、長く行方不明であったが平成13年(2001)に発見されて注目された《琴平宥常像》などを残した。その後所在不明となった作品もあるが、明治11年から14年にかけての由一と金刀比羅宮とのこうした濃密な関係を通じて、27点の油彩画が今に伝えられることとなったのである。

最初、由一が資金援助を金刀比羅宮に依頼することで両者の接点が生まれたが、後に金刀比羅宮も由一に作画を依頼するなど、両者の関係は相互的なものとなった。当時としては先進的な油彩画普及に腐心していた高橋由一に金刀比羅宮が積極的な支援を与えたことは、同宮の美術に対する開明的なスタンスを示していて興味深い。

(毛利伊知郎)

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