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韓国の絵画−そのつよさについて

陰里鐵郎

1990年(平成2年)の5月末、わたくしは初めて韓国の国立現代美術館を訪れることができた。それは、本展を開催するための関係者の最初の会合でもあったが、このとき、李慶成館長があらかじめ用意されていた45名の韓国の現代作家たちの作品を観ることができたのである。

近年、日本のわたくしたちにとっては韓国の現代美術はけっして遠くにあるものではなくなっている。若い世代の作家たちによる小規模な交換展、交流展などもしばしば日韓両国の画廊などで開かれているといった例もある。またごく限られてはいるが韓国作家の個展も日本において開かれている。そして1980年代に入ってからの韓国の現代美術が大きなうねりをなして興隆してきている様子を情報としてはうけとっていた。もちろん、最も近い国同士でありながら、諸般の事情が、遠い存在であることを余儀なくしていたのが、遠い存在ではなくなってきた、という感をもちうる状況になってきているということであろう。とはいえ、わたくしには韓国の現代美術の全容はもちろんのこと、すくなくともその特質や新しい展開の様相を認識しうるほどの情報をもってはいないし、そうしうる場ももってはいなかったようにおもわれる。1976年(昭和51年)の春から夏にかけて比較的大規模な韓国美術の5000年を示す展覧会が日本各地で開催さ・黷スことを記憶している。そのときには、石器時代から李王朝時代までの各種の作品が展観され、わたくしたちの韓国美術に対しての理解を大きくたすけてくれたものであり、また両国の文化、美術の交流についてもあらたに地平を広げてくれたのであった。

それでは近代以降の両国の美術はどうであったのだろうか。朝鮮美術史の研究者ではない筆者にとっては、近代以前についても、以後についても十分な知識はなく、論ずる資格はないことを承知しているが、本展に関係したことから、両国美術の歴史のうえで思いおこすことなどを述べてみたい。

絵画に関する限りでいえば、日朝間に相当程度の交流、影響関係があったのは、李朝絵画と室町水墨画であったのではないかと理解している。

ソウル市郊外の大韓民国国立現代美術館の館内をめぐりながら、わたくしは、かつての日本の美術史家や美術愛好家たちが朝鮮絵画、李朝絵画に対していだいていた評価とその評語を思いだそうとしていた。たしか「筆力がつよい」とか、「粗い」とかではなかったかと。いまあらためて日本での朝鮮絵画史について研究をたしかめてみると、日本での朝鮮絵画に対してあらたな認識をもとめた最初の論文は、1934年(昭和9)の脇本十九郎氏の「日本水墨画壇に及ぼせる朝鮮画の影響」(『美術研究』第28号)であったようである。脇本氏はそのなかで初めて相国寺の画僧周文が朝鮮に渡った事実を紹介し、「朝鮮画を度外視して日本水墨画の全問題を解決することは不可能である」と指摘した。そして室町水墨画の中期(15世紀半ば)は、初期、後期の中国系にはさまれた「朝鮮画時代」としている。同論文のなかで朝鮮画は「粗漫の気」があるともしている。しかし朝鮮画は中国を父として日本水墨画の兄にあたるという。ずうっと後年、松下隆章氏は、脇本論文以後の研究成果にたち、「李朝絵画の特色を考えるに、まず中国や日本と異った異常に強い筆力があげられる。用墨上白黒の対照を強くし、そして筆致にも特独な癖がある。結果としてやや粗野の感をまぬがれ難いが、きわめて強い表現力をもっている。反面、日本や中国の絵画にはみられない素朴さがあり、それがまた一種の魅力となっている。典雅さ巧緻さとはおよそ縁遠いものであり、それだけ生命力というか活力にみちている。この特徴が曽我派に吸収されていることは疑いないところであろう。」(『李朝絵画と室町水墨画』)と書いている。強い筆力、白黒の対照の強さ、素朴さ、そして生命力と活力。それは、日本とともに中国文化の大きな圏内にありながら、中国とも日本とも異った朝鮮絵画の独自の魅力をつくっていた。100点にもおよぶ韓国現代絵画をみながら、現代絵画というのは、種々多様でありながらそれはどれもがそれぞれに一種の国際様式ともいっていい共通の様式を形成しており、従って日本の現代絵画とも共通するが、それでいて、他とは異った魅力、韓国の現代絵画にもそれを感じさせられる。つよい表現力、剛さ、さらにいえばやはり活力、満ち満ちたエネルギーのようなものなのである。

周文の時代(15世紀)に朝鮮の画家李文清の来日説もいわれているようであるが、近世、日本の徳川幕府の政権下にあっては、朝鮮通信使の来日は12回に及び、吉田宏志氏によれば、通信使には必ず1、2名の画員が随行して来日し、合計すれば13名の画家が来日したという(「我国に伝来した李朝水墨画をめぐって」)。しかし、今日、彼らの画家として力量を示すほどの作品は残存せず、その日本絵画へ影響を示す資料もほとんどない状態のようである。それにしてもこうした交流がなされていたことは記憶されてよいであろう。
 李慶成館長がかつて日本でおこなった講演(「現代美術の現場から−一韓国の場合」)によれば、「韓国の現代絵画はふたつの流れによって形成されているということができます。そのふたつとは、朝鮮時代の絵画を源流とする伝統絵画と、開化以後新しく受け入れた西洋画の影響によって始まった油彩画であります。」ということである。中国から北東回りでもたらされたヨーロッパ文化のごく少量の情報から始まったとおもわれるが、近代化の過程では、歴史的には多少の前後のずれがあったとしても韓国と日本とは相似した状況がみられるようにおもわれる。「韓国の場合には、言うならば、19世紀の開港を以って近代化の始まりと考えることができる」と李館長は述べている。そして近代以後の時代区分をつぎのようにしている。

 第一期 開化期−1910年
 第二期 1910年−1945年
 第三期 1945年−現在

この第二期について、「世界列強の韓国侵略が日本の支配確立によって遂に終結し、日本軍国主義の支配下となったこの時期は、時間的には韓国の近代に該当するわけですが、経済的、社会的、文化的状況からみれば、悲惨な植民地的毒性に満ちた歪曲と不幸の時代であったということができるでしょう。従って、この時期の美術が日本の植民地政策による変形のなかで形成されたことは当然のことでありました。」と語っている。控えめな言辞ではあるが適確な指摘とその奥にある深い不幸をわたくしたちは読みとる必要があるであろう。日本の侵略による植民地支配は韓国の文化のなかから、「近代」を剥脱してしまったという事実をである。

わたくしは、国立現代美術館での会合のあとは同行者たちとともに湖巌美術館を訪問した。三星企業グループによるこの美術館で、陶芸品をはじめ朝鮮のすぐれた古美術展をみることができたが、同時に開催されていた「近代油画名作展」をもみることができた。朴壽根、李仲燮、金煥基、李仁星という四人の画家たちの作品によるもので、1930年代から60年代の制作のものであった。この四人の画家たちは、いずれも1910年の生まれ、すなわち日本の植民地支配下に育ち修学した画家たちである。李仲燮のフォーヴィスムふうの作品、金煥基のいく分抽象化したモダニスムふうの画面、朴壽根の厚塗りのマチエールに素朴な形象を描きだした画面、李仁星の、日本でいえば牧野虎雄に代表されるような槐樹社ふうの画面など、表面的にみればこのようにいうことができる作品であった。事実、李仁星は帝展などに出品、金煥基は二科会展(いずれも1930年代)に出品している。この時期、画家たちは日本の美術学校に学んでいる。試みに東京美術学校の卒業生名簿を繰ってみると、1915年から45年までに朝鮮人学生を見出すが、なかでも1930年代前半にもっとも多い。東京美術学枚だけではなく、太平洋美術学校や文化学院などに学んだ画家たちもいたという。表面的にはどうであれ、先に引用した講演のなかで李館長は、「この時期は美術家たちが意識的であろうと無意的であろうと、与えられた歴史的現実に対して目を向けようとしていたことは特徴であったということができます。」と語っているように、画面の奥にひそんでいる画家たちの感情と思想をみない訳にはいかない。その感情と思想の表出の、なんとおだやかで、秘めやかであることか。しかし朝鮮絵画のもつ、あの素朴で、あらい強さは、そこにも在るようにおもえてならなかった。

一方でわたくしはまた、ひとりの日本の画家を思いだしていた。日本の植民地支配が始まって間もない時期に、藤島武二は美術展の審査員として朝鮮半島へ行っている。ヨーロッパ留学から帰国した藤島は、彼自身もいっているように空白(スランプ)の時期にあった。藤島に再び画家としての眼を開かしめたこの朝鮮旅行であった。朝鮮の自然風土に大陸的なるものを藤島は見たのであり、人々の街頭での風俗と振る舞いが藤島の芸術的意識をつよく刺激したことは疑いない。この朝鮮半島文化や自然からえた霊感なしには藤島の後半期の「横顔」シリーズも、風景画の連作もありえなかったかもしれない。植民地支配の非を隠蔽してはならないが、両国の交錯する文化のなかでわたくしには見逃しがたいことのひとつである。

1945年以後、とくに60年代以降、美術の動向は、世界的にどこにおいても同時代的現象として出現してきている。多少の時間的差や模倣の時期をもったとしても、より以上に共通する視覚体験や技術によってならされてきているようにみうけられる。しかしそれでいて歴史的に練磨されてきた資質は、継承の意識がなくても表現のなかに含まれて観者に感じとられる。韓国の現代美術もまた例外ではない。

(三重県立美術館館長)

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