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アウトサイダー・アートと「アトリエ・エレマン・プレザン」の作家たち

酒井哲朗

 アウトサイダー・アートという言葉を最近よく聞くようになり、この種の展覧会が開かれる機会がふえた。アウトサイダーとは、インサイダーすなわち美術学校や展覧会、美術館、画廊などの美術の諸制度のなかで社会的に認知されて創作活動を行う芸術家に対して、それらの外側にいる独学のプリミティヴ・アーティストや精神障害者や知的障害者など、一般社会が正常とみなす枠組みから疎外された人々のことををいい、アウトサイダー・アートは、インサイダーがアウトサイダーの芸術家の表現にみられる純粋で根源的な魂の力に敬意をこめて使いはじめた用語である。「アトリエ・エレマン・プレザン」の人々の作品も、アウトサイダー・アートとして包括されるもののひとつである。

 この言葉は、1972年にイギリスのシュールリアリズム研究家のロジャー・カーディナルが自著の標題にはじめて使ったといわれるから、比較的新しい用語である。カーディナルは、1979年に友人のビクター・マスグレイヴとロンドンのヘイワード・ギャラリーで、「アウトサイダーたち−先例もなければ伝統もない芸術」と名づけた展覧会を開いた(l)。アウトサイダーの作品は、シュールリアリズムなどの展覧会に出品されたり、それ自体としてとりあげられることもあったが、何といってもアウトサイダー・アートにとって画期的な出来事は、1992年秋ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムを皮切りに、翌1993年にマドリッドのレイナ・ソフィア国立美術館、そして同年秋、東京の世田谷美術館で開かれた「パラレル・ヴイジョン−20世紀美術とアウトサイダー・アート」展である。

 この展覧会は、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムが、「芸術における霊的なもの:抽象絵画1890、1985」(1986年)に続いて、同館の歴史を画する展覧会と自認して取り組んだ企画だった。この展覧会では、アウトサイダー・アートを精神障害者の美術と独学の幻視者の実術、まとめて強迫的な幻視者による美術と限定し、パウル・クレーやアルフレート・クビーンらドイツ表現主義系の画家たち、アンドレ・ブルトンやマックス・エルンスト、サルバドール・ダリらシュールリアリスト、カレル・アペルらのコブラグループ、「アール・ブリュット」を主張したジャン・デュビュッフェ、レオン・ゴルプらシカゴの美術家、アルヌルフ・ライナー、ゲオルク・バゼリッツらウィーンやベルリンの画家たち、ジャン・ティンゲリー、ジム・ダイン、クレス・オルデンバーグ、ニキ・ド・サンフアール、ジュリアン・シュナーベル、ジョナサン・ボロフスキー、クリスチャン・ボルタンスキー等々、今世紀の著名な40人のインサイダー・アーティストと34人のアウトサイダー・アーティストの作品を、同等の芸術という次元でとりあげてその影響関係を検証し、アウトサイダーの人々の実術が、20世紀の実術の深い部分で重要な役割を果たしていることを明らかにした(2)

 だが、アウトサイダー・アートについて語るとき、デュビュッフェに言及しないわけにはいかない。デュビュッフェはそれを「アール・ブリュット」、加工されていない「生の芸術」と呼び、部族芸術や子供の作品とともに、精神障害者の作品に芸術のもっとも純粋な原初的状態をみて深い啓示を受け、彼らの作品を熱心に収集した。デュビュッフェのコレクションは、一時アメリカに渡り、デュビュッフェが「反文化的態度」といった芸術信条は、シカゴのイマジストといわれる芸術家たちに大きな影響を与えた。コレクションは一度パリに戻されたのち、スイスのローザンヌ市に寄贈され、デュビュッフェの死後もその遺志はアール・ブリュット美術館に継承されて発展し、世界のアウトサイダー・アートの拠点となっている。

 日本では、1920年代に前衛画家として知られる古賀春江が、ドイツの精神科医ハンス・プリンツホルン博士のコレクションのなかの精神障害者の絵に注目し、自らの制作に生かした例があるが(3)、精神障害と芸術の関係に本格的に取り組んだのは式場隆三郎である(4)。式場は、1930年代に「芸術病理学」的観点からゴッホを研究し、美術と精神医学の境界領域で活発な執筆活動を展開した。式場は芸術療法のパイオニアのひとりであり、精神障害者の作品を収集していたようだが、現存しない。式場は、「放浪の天才画家」として一時もてはやされた山下清の発見者としても知られている。

 山下は知的障害児の施設「八幡学園」にいたが、この学園のカリキュラムの貼絵が「特異児童作品展」〈1937年)として公開され、山下清が一躍脚光をあびた。式場はこの学園の顧問医をしており、山下の作品に注目した。もうひとり『特異児童作品集』(1939年)刊行に尽力した早稲田大学教授の戸川行夫も、山下清にとって大切な人物であった。

 日本のアウトサイダー・アートは、精神障害者の美術よりも知的障害者の美術の方が知られている。京都の前衛陶芸家として知られた八木一夫は、滋賀県の知的障害者施設「一麦寮」や「近江学園」で粘土による造形活動を指導し、障害者の純粋な感性から八木自身が刺激を受けるとともに、彼らの隠されていた才能を発現させた。1964年に「一麦寮」初代寮長田村一二がはじめた粘土による造形活動は、その後関係者の努力によって「びわこ学園」や「もみじ寮・あざみ寮」などに広がり、滋賀県の知的障害者施設が、この種の造形活動のひとつの拠点となっている。

 同じ年、京都府亀岡市の重度知的障害者の施設「みずのき寮」では、日本画家の西垣籌一氏による絵画教室が創設され、ここからもすぐれたアーチストが生まれている。昨年、ローザンヌ市のアール・ブリュット美術館で、京都と滋賀の五つの施設の知的障害者11人の絵画と粘土の造形200点の作品による展覧会が、「アートインコグニト」(匿名の美術)と名づけられて開かれた。また、アール・ブリュット美術館に「みずのき寮」の作家たちの作品32点が収蔵されるなど、近年、世界のアウトサイダー・アートのネットワークのなかで、日本の知的障害者の作品がしだいに認知されつつある。

 「アトリエ・エレマン・プレザン」(佐藤肇氏主宰)は、三重県大王町と東京代々木に知的障害者を対象とした造形教室をもち、大王町で彼らの作品を収蔵し、展示している。佐藤氏は10数年前、東京でこどもの絵画教室を開いていたとき、ひとりのダウン症の少年の鋭敏な感受性に驚かされ、さらに1990年に三重県に越してきて、絵を習いたいというもうひとりのやはりダウン症の少年に出会い、この人たち特有の深い感性に触れ、現代のインサイダーの美術が失ってしまった可能性を見いだして「アトリエ・エレマン・プレザン」を創設したという。

 ダウン症候群は先天的染色体異常、つまり21番目の染色体の数が1本多いという生物学的特徴があり、一般に身体が弱く、精神や言語の発達に遅れがみられるという。あらゆるものに悪意をもたないおだやかな性向のため、エンジェル・ベビーともいわれる。何ものをも傷つけない純粋無垢な感覚と自由な精神をもつ人々と佐藤氏がいうが、「エレマン・プレザン」(現代の要素)というアトリエの名前は、現代の人間社会においてこの点をもっとも重視する佐藤氏の考えに由来するもののようだ。

 「アトリエ・エレマン・プレザン」には18人の作家がおり、ひとりを除いてダウン症の人々である。リトグラフと粘土を佐藤氏と敬子夫人が、エッチングを尾上隆三氏が担当している。絵画は線描と色彩の両方を生かすため、また経験上ダウン症の人々にもっとも適した素材と佐藤氏が考える透明フィルムに描かれ、版画として保存されている。ここでは制作の過程で一切手を加えず、表現が内から湧き出してくるのを待つ。彼らは描きたくなれば描く。何故なら、描かずにはいられない人たちだから。被らは本来的に自由であり、内面に調和する精神があり、それが自然で独創的な作品を生みだすのだ、と佐藤氏はいう。

 アウトサイダー・アートの研究者であり、「アートインコグニト」展をオーガナイズした小出由紀子氏が、興味深い指摘をしている(5)。知的障害者施設で造形活動が行われることは珍しいことではないが、「作り手が自分自身の内的世界の深みに到達し、それを視覚化するため、独自の造形言語を獲得することはきわめて稀だ」という。造形活動が療法であれば、そのマニュアルが作り手の自発性を封じ、社会参加の手段であれば、社会に容認されやすい方向に偏向しがちだというのである。この点について、「障害者が絵を描くのではなくて、障害者の中に芸術家がいる」、と佐藤氏の答えは明快だ。

 このプライヴェートな「アトリエ・エレマン・プレザン」の活動は、近年各方面から注目され、昨1997年に川崎市民ミュージアムで、「無垢なる魂−アトリエ・エレマン・プレザンの作家たち」という展覧会が開かれた。ローザンヌのアール・ブリュツト美術館のジュヌヴイィーヴ・ルーラン氏も支援者のひとりである。ルーラン氏は、「アトリエ・エレマン・プレザン」の作家たちの作品について、「知的障害者の作品からは自然が醸し出す心地良い調和と同質の快さが感じられる」と語っている。たしかにダウン症の人々の表現は、精神障害者の何ものかにつき動かされるような強迫的な衝動による表現とは対照的である。アウトサイダー・アートに属するとしても、もうひとつの「アール・ブリュット(生の芸術)」、この静かな「アール・ブリュット」は、「アール・イマキュレ」(無垢の芸術)とでもいえばよいのだろうか。

 志摩半島の先端に位置し英虞(あご)湾を望む大王町ともやま、自然環境に恵まれたこのアトリエでは、海岸で拾い集めた流木、石、貝殻、海藻、木の枝や植物の実、縄、スプーン、フォークなど、さまざまな素材や道具を利用して制作する。ここでは生活と表現が密着しており、自然のリズムにしたがって、心のおもむくまま、生活のなかからごくあたりまえに表現が生まれてくる。佐藤氏らは、外部の社会の価値観や芸術の観念の束縛をもたない知的障害者の自然で自由な振舞い、そこにみられる無垢の力に、芸術に望みうる本然のあり方を見いだし、病める文明や社会を治癒する要素(エレマン)となることを期待するのである。

 三重県立美術館では、「アトリエ・エレマン・プレザン」の作家たちの作品を、「三重の子どもたち」展と併設の形式で展示することにした。いま高度情報化社会といわれる環境のなかで、競争を強いられるこどもたち、こどもたちとの断絶がいわれている小、中学校の先生たち、こどもたちのすこやかな成長を願うお父さんやお母さんたちに見てもらいたいと希うためである。

(三重県立美術館長)


(1)モーリス・タックマン「序文」『パラレル・ヴイジョン−20世紀美術とアウトサイダー・アート』展図録 淡交社 1993 p.10


(2)前掲『パラレル・ヴイジョン−20世紀美術とアウトサイダー・アート』展図録


(3)『古賀春江−前衛画家の歩み』展図録 石橋美術館 1986 pp.148〜149
小泉淳一「渡しなき逃避−狂人のデッサンによる絵画とは」『美術手帖』566号1986/8 p.131
塩田純一「異界の人−日本のアウトサイダー・アート」『日本のアウトサイダー・アート』展図録 1993 世田谷美術館 pp.7〜8(前掲『パラレル・ヴイジョン』展併設)


(4)前掲『日本のアウトサイダー・アート』展図録 p.12


(5)小出由紀子「アートインコグニト−もうひとつの『生の芸術』」『ART BRUT』展図録京都新聞社 1997 pp.58〜59

参考文献

『無垢なる魂−アトリエ・エレマン・ブレザンの作家たち』 川崎市民ミュージアム、アトリエ・エレマン・プレザン 1997

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