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あとがき

シャイな子どもたちが、徐々に元気になっていく姿が手に取るように分かる。拘束されていた固定概念を振り払い、参加した子どもたちが自分で見て、開いて、そして感じ、自分で考えて行動を起こしていく。子どもたちの目が輝いていく状況に接したとき、ワークショップをやってよかったと思う。当館にはワークショップを行う場もなければ専門のスタッフもいない。ワークショップの意義を理解するなら、場も人もいないことを逆手に取ればできるという酒井館長の発想に、仰天していたのが当初の私の姿だった。逆に考えれば、美術館が主催して館外でワークショップを実施しているところは皆無なのだろうと単純に想像できる。

美術館教育活動と一口に言っても,体験を重視するワークショップは他の活動とまったく違うものであるが、ワークショップの根源的な部分を身体で分かっているかどうかがあらゆる美術館教育活動にとって根幹をなすように現在私は考えている。しかしまだプログラムを構築するあたりになれば私の頭は暗中模索の状態に突入してしまう。残念ながらまだわからないというのが現状と言わざるをえない。

多分、多くの方々に迷惑をかけたことでしょう。当館にとっても、私にとっても、まったく始めての体験ということで特別のご理解とご協力を関係の方々からいただいたことでしょう。気がつくこともあるが、気がつかないことも少なくないように思っている。

子どもが元気を出す前に、大人が元気にならなくてはならない。広く教育というポジションに関わる大人は元気回復が何より必要なことと思う。子どもたちにとって本当に何が重要なことなのか、そしてどうすればいいのか、本展開催がこうした問題を考える契機となれば開催の意味も大きくなるように思う。

第2部の教育の現場からの出品について、企画運営委員を中心に多くの方々と何度も議論を重ねてきた。しかしまだ議論が尽きたというような状況とはかなり違っているように思う。展覧会開催を準備していかなければならないということから議論が段取りという方向に向かってしまうのは避けられないことなのかも知れないが、現象面についての考察ではなく、もっと根本的なところをはっきりさせていくことにもっと努力する必要があるのだろう。

難しく考え始めると、元永定正さんの「好きにやってええんやで」という言葉が頭に浮かんでくる。

最後になってしまったが、武蔵野美術大学の学生2人が夜遅くまで、しかも初日は徹夜して作成した記録が翌日に発刊されて、参加している子どもだけでなく、このワークショップに集う大人にも元気を与え、特に毎日参加者が変化する上野市の場合、ワークショップにつながりを強くする効果があったように思う。

ご協力下さいました皆様に厚くお礼申し上げます。

(森本 孝)

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