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「三重の子どもたち展」を開催し続けることの意味

下 栄子

教育現場でつくられた子どもたちの作品を集めて展示する「三重の子どもたち展」のような展覧会を行っている県立美術館は、全国にどれぐらいあるのだろうか。2年前に訪れた兵庫県立美術館では、「第2回神戸っ子アートフェスティバル」が開催されていた。フロアを埋め尽くす作品群と、それを観にきた大勢の人々の姿からは、復興を進める神戸の熱気や気概が伝わってくるような気がした。担当の学芸員の一人は、同展の開始に先立ち「三重の子どもたち展」を観覧されたそうだ。開館以来の歴史をもつ「子どもたち展」が、全国的にも稀な存在であり、そういった展覧会の一つの指針の役目を果たしていたことを知り、新米の担当ながらも嬉しく感じたものだった。

しかしその意義を認識している人は、三重県内にどれぐらいいるのだろう。恥ずかしい話だが、中学校で長年美術教育に携わってきた私自身、その認識は無かったのである。「子どもたち展」は、「毎年、普通に開催されている展覧会」だった。とは言っても、ある時期、その存続をかけて真剣な議論が成されたことは知っている。地域の美術班研修会で、当時の委員の先生から、「子どもたち展」を美術館で実りある形で開催していくために、図工・美術教育を担う私たちは、どんな意識で臨んだらよいかというような内容の話を伺ったからである。以後、出品は従来の四つ切り画用紙作品を、各校から数点ずつ均等に出すやり方ではなく、もっと柔軟でパワフルな取り組みが求められるようになり、同時に、出品意欲がある人が出品できる場となったのである。

 「三重の子どもたち展」を担当して3年目を終えようとしている。委員や協力員として、作品の集荷・搬入・展示・撤収等々に頑張っている多くの先生方の姿に、いつも頭の下がる思いである。また、意欲的に課題に取り組み、出品されている先生方も素晴らしいと思う。(私は、よりパワフルな取り組みを、という課題をクリアして出品することが、なかなかできなかったので。)

一方、「子どもたち展」から遠ざかり気味の地域のあることが気に掛かっている。美術館への距離的な問題や、ますます多忙で厳しい教育現場の状況の中で、参加しにくい要素が幾つもあることは察せられる。負担を減らせる部分があれば、少しずつでも工夫・改善していかねばと思う。その上で、「子どもたちの造形」を通じて、子どもたちや先生方が全県規模で交流し合える、かつ、広く人々に発信することができる貴重な場としての「子どもたち展」の可能性を信じたいし、教育に携わる人ならば、直接・間接を問わず、その場を育てていく一員であって欲しいと願うのである。そして、少なくとも、子どもたちが保護者の方々と共に美術館に足を運び、様々な作品や体験に出会えるかもしれない機会を、狭めることだけはあってはならないと思う。

神戸が震災に遭ったとき、美術館に駆けつけたボランティアの方々が居たということを、昨年どこかの研修会で聴き、心打たれる思いがした。人が人として強く生きていくためのよりどころの一つである芸術を、守らんとする人の心にである。そんな鮮烈な形ではないが、教育現場の先生方と県立美術館とが連携し、様々な願いを込めて、「三重の子どもたち展」を20余年間、開催し続けていることの意味が、小さいものでないことは確信している。

(しも えいこ・三重県立美術館教育普及担当)

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