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いきなりワークショップ!

下 栄子

これまで、ワークショップというものに参加したのは、カウンセリング関係の研修会のみだった。実際に体験することで学ぶといったような内容で、そこではどうしても自分の内面をさらけ出さざるを得ない場面もあり、一歩踏み出すまでには幾分エネルギーを要した。数年前、「美術館のワークショップがあるから、よかったら子どもさんと一緒に参加して」と知り合いの人から何度か誘っていただいたことがあった。当時、娘も息子も部活動で多忙だったが、私自身の中にも「ワークショップ」というものへの漠然とした気後れやらがあったのだろう、ついに足を運ばず終いとなった。そのことを今、ずいぶんと後悔している。

美術館で私が担当することになった最大の仕事は、「三重の子どもたち展」である。ワークショップは、その2部構成の「子どもたち展」の、一方の重要な柱となっている。幾つかの理想のもとに、三重県内各地域で8年前から実施されてきた取り組みである。そのワークショップの灯を消さぬよう遂行していくのが課題だった。前任者で、今回のファシリテーター(進行役)である近藤真純さんの作成された大まかな計画書もあるが、自分なりの全体のイメージが創れないのが不安だった。

こんな状況の中でとにかく「ワークショップを実施していく環境を整える」を事務局の役割と考え、取り組むことにした。大切なのはそれだけではないのだろうという思いもあったが、目標を絞ることで、気持ちを少しでも楽にする必要があった。

環境の最大のものは『人と人とのネットワーク』であると思っている。今回アーティストとして参加してくださった半谷学さんは、ホソジュズモという海藻とサイザル麻から成る独自の紙を主として使った造形活動で活躍されている方である。ワークショップ及び美術館での展示における技術面での支援・指導以外に、近藤さんや私の事前の技術研修をしたいという申し出にも応じてくださったり、本当に多方面でお世話になったし、多くを学ばせていただいた。

スタッフとして参加を希望してくださった方も多かった。JAMM研究会(展覧会のワークシート作りなど、教育普及に関連した活動を実践)の有志や、美術館のボランティア団体「欅の会」の有志のように、ワークショップに何度か参加されている人もあれば、誘われて初めて参加という人もあったが、いずれにしろ美術館ワークショップが何年か積み上げられてきたからこその人脈だと思う。若い学校の先生や学生さんの中には、ワークショップ当日だけでなく、事前の雑草紙作りの実験、美術館での展示作業、9月に熊野の子どもたちが見学に来館した時の案内役などの活動にも参加してくださる人もいて、その積極的な姿勢には頭が下がった。

共催の「三重県立熊野少年自然の家」の方々にも、大変お世話になった。参加してくれる子どもたちやスタッフの募集、木や網などの材料やベニヤ板など大型の用具の調達、電気・水道の使用許可の取り付け、傷害保険の手続き、子どもたちを熊野市駅から会場まで送迎するバスの手配等々、多方面に渡って足を運び、手を尽くしていただいた。

少年自然の家を介してスタッフとして参加してくださった、地域の方々の存在も本当に嬉しかった。子どもたちの制作活動の支援や送迎バスの付き添い等をしていただくことができたし、何より共にワークショップに取り組む仲間がその地域に居てくださるという事に励まされた。
環境として、次に必要なのは『施設』及び『物』である。

一日目の会場は少年自然の家である。前日に、竹や雑草の調達・麻ほぐし・和紙の貼り合わせ等、材料がすぐ使えるよう、スタッフの皆で懸命に準備をした。また、事前に買い揃えておいた種々の用具も、子どもたちの班の容器に分け、万端のつもりだった。が、実際には予測できない事態が多く起こった。ミーティングをしている頃に既に早い子らはやってくる。活動中のスタッフの係は決まっていたが、受付など活動前後の係は決めてなくて焦った。トラブルも発生した。例えば、雑草や海藻を煮るときに苛性ソーダを少量使用するのだが、アルミの鍋では溶けてしまうのだ。迷っている暇はない。急きょステンレス鍋を購入した。また、子どもたちが帰った後、翌日の会場に運んでもらう荷物をトラックに積み込む作業をしたが、それも予想以上に時間がかかった。スタッフの顔に疲労が浮かび、宿泊所に帰るのも大幅に遅れた。『物』を動かすのはやはり人である。どの場面で何が必要か、誰が担当するのか等もっと話を詰め『きめ細かく計画しておく』ことの必要性を痛感した。

二日目の会場は、内陸部の和歌山県寄りにある大森神社で、年に一度どぶろく祭で賑わうという由緒ある場所だ。子どもたちは熊野市駅から貸切バスで1時間余かけてやってきた。広場に広げた巨大な和紙の画面に、刷毛や手足を使って、思い思いに熊野の海を描く。羊歯による紙漉きをする。神社横の河原で、石や岩を型に、麻と海藻でできた張りぼてのような立体を造る。そうした活動を次々とこなしていった。その間に子どもたちの班担当とは別のスタッフは、ガスと電気が使える広場の方で、補助用の雑草紙をひたすら作り続けた。時に少し離れた水道に水を汲みに行ったり、そこで洗い物をしたりした。

三日目の午後、個々に別物だった紙の立体たちが竹の枠組みの導入によって急速に大きな形を成し始め、夕方にはついに熊野をイメージした堂々とした造形物となった。

便利さからは遠い環境だったと思う。しかし、創造するという行為は、便利・不便といった次元とは別の要素を必要とするものなのかもしれない。近藤さんの言う、『その地の放つエネルギー』を感じ取れるまでには私自身至っていないが、暑さと疲労の記憶が遠ざかりつつある今も、作品たちが並んだあの河原の風景と、それらを前に誇らしげな子どもたちの表情は鮮明に焼き付いている。

(しも えいこ・三重県立美術館教育普及担当)

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