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子どもの情景

酒井哲朗

T.はじめに

人はだれでも子供の時代を通過している。だが、過ぎ去った子供時代は、大人にとって追憶のなかにしか存在しない。知識や経験を身につけた大人は、あの体いっぱいで感じた喜びや悲しみ、不安や恐怖などの「原感情」とでも呼ぶべき深い感情を、もはや体験することはできない。大人は自分の子供時代を、そして自分の子供を、さらに子供一般を、もう外側から眺めるほかないのである。子供の「かわいらしさ」や「あどけなさ」は、このような大人の感情の投影であり、子供の属性であっても、子供自身がそう感じているわけではない。子供を「純真」「無垢」として理想化するのもまた大人の感情である。したがって「子供の情景」とは、大人がみた子供のイメージということになる。

21世紀の日本に「少子社会」が到来するといわれる。子供の数が減り、子供はますます大切にされるというわけだ。それにしても今日ほど大人が子供を気に分ける時代はないといっていいだろう。「いじめ」の問題に端的にみられるように、すべての人が教育問題を憂えている。子供の教育に投じられる費用の総額は莫大なものであり、子供のファッション、コミック、CD、ファミコン等々、「子供産業」は一大マーケットを形成し、テレビ番組の視聴率に子供が大きな影響力をもつ。市場は子供の好みを追い分け、大人は子供の顔色をうかがっている。学校や家庭の教育力の衰退がいわれ、いま事実上子供を教育しているのは、親というより社会であるといっていいだろう。無論、このようなしくみをつくったのは大人であり、子供は好むと好まざるにかかわらずこのような環境を強いられているのである。

ところで、美術にあいて子供というものはどのようにみられているのか、あるいはまたみられてきたのか、それがこの展覧会のテーマである。ここではそれを歴史的に跡つけるというより、子供というモチーフが、いまどのような意味をもつのか、それを探ろうとする試みである。そのため、この展覧会を @大人の夢 A子供らしさの魅力 B子どもをめぐる表現の可能性−の3つの部分で構成した。


U.日本の子供観

平安末期の1170年頃、後白河院によつて編まれた『梁塵秘抄』に有名な歌謡がある。

   遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生まれけん
   遊ぶ子供の声聞けば   我が身さへこそ動(ゆる)がるれ

大人(遊女)がみた子供の情景であるが、天衣無縫の子供とそれをもはや外から眺めるし方ない大人、大人と子供の閑係を見事に表現しているために、時代をこえて愛涌されてきた。平安末期から中世に分けての日本の絵巻物に、このような子供の情景がしばしば描分れている。社寺の縁起絵巻、高僧伝、物語絵巻、年中行事絵巻などに、さまざまな階層の子供の姿が描かれている。遊ぶ子供、働く子供、学ぶ子供など、時代の風俗のな方の子供の生態が生き生きと表されている。

絵巻物の子供のイメージには、現実の子供のイメージと別に、「聖なる子供」という主要な側面がある。神仏の化身としての子供のイメージである。『信貴山縁起』の護法童子や『八幡縁起』の竹の葉の上に童子姿で現れる八幡神、『粉河寺縁起』で難病にかかって苦しんでいる長者の娘を助けるのは行者姿の童に化身した観音菩薩であったなど例をあげればきりがない。民俗学ていうように、「七つまでは神の子」という考え方が、日本の子供観の原点にあるようである。

絵巻が描かれた平安末期から中世という時代の現実は、子供にとって苛酷なものであった。『今昔物語』二十九巻二十九話に、乞食に捕まって若い女がわが子を犠牲にして貞操を守った話が出ている。山道でふたりの暴漢に襲われた女が子供を人質にして其の場を逃れ、途中出会った武者に救いを求めて現場に戻ったところ、男たちの姿はみえず、無残に引き裂分れた子供の連休が残っていたという話である。文中「子ヲ捨テ逃ゲタル事ヲゾ、此ノ武者ドモ讃メ感ジケル」と書かれ、編者も「然レバ下衆ノ中ニモ此ク恥ヲ知ル物ノ有也ケリ。此ナム語リ伝ヘタルトヤ」と結んでいる。子供の命よりも女の貞操を重視して、美談として語られている。つまり、子供は親の従属物とみなされているのである。

服藤早苗氏(『平安朝の母と子』中公新書1991年)によれば、当時の日記類に、児童の死体を犬が内裏や貴族の邸宅にくれえてくるという記事が散見されるという。たとえば、長保元年(999)九月八日、八、九才ばかりの童の死体が内裏の道長宿所の下にあり、ところどころ犬が食っていた。内裏が穢れたので伊勢神宮への奉弊が延期された(『権記』)。

長和二年(1013)二月二十三日。故藤原説孝の家の遣り水に童の死体が流れてきた。その家の人たちがそれを杖で押し流し、そのまま道長家に行った。道長家もそれを知らずに内裏に行ってしまったので、内裏が穢れた。そのため祈年奉弊や臨時祭が延期され、道長の石清水参詣も中止された(『小石記』など)。日記では、子供の死よりも死体による穢れが関心事である。当時、路傍の子供の死体が多かったようだが、それらは路頭に窮死した子供ばかりでなく、七才以下の子供は火葬も埋葬もしないで布にくるんで河原や基地に捨てる見習があったせいでもあるという。

乱世の子供たちの運命の一典型は『山椒太夫』の安寿と厨子王である。人さらいにさらわれ、売りとばされて姉弟が苦難の人生を送り、最後に主人公の厨子王が志を遂げる貴種流離譚で、御伽草紙の『さんせう太夫』が流布し、森鴎外の『山椒太夫』が知られている。子供の誘拐や小児売買は横行したらしい。御伽草紙の『小敦盛』によれば、「平家の末をば堅く探し出し、十歳以後は首を切り、二歳三歳をば寺に入れ、七歳ハ歳をばさし殺す」とあり、さすがに物心つかぬ幼児は見逃されたが、戦乱の世の子供にはこのような苛烈な運命が待ち受けていた。

近代以前の子供は、小さな大人とみなされてきた。「男女七才にして席を同じうせず」という武家社会の道徳律があったが、武士の子は主君への忠誠と親への孝行を至上の道徳として、七才頃から教育がはじまり一五才頃元服して一人前になる。七才になると、武士としての自覚をうながされるのである。近代以前は身分社会であるため、貴族、武士、庶民などそれぞれの属する階層によって子供の境遇も異なる。伝統文化の担い手であった貴族の子供たちも、やはり七歳頃から手習始(書道)や読書始を行ったといれれ、テキストは和漢の古典であった。庶民の子供たちの様子は絵巻物などにうかがうことができる。牛童や僧侶に随行する稚児姿の童、建築現場で働く子供たちも描分れている。子供たちは大人の社会のなかで、子供にできる仕事を分担しながら、職業を身につけていった。

近世に入って町人が経済の実権をにぎり、富裕な町人が文化の担い手となり、商品経済の進展とともに、庶民も読み書き算盤などの実用技術が必要になり、寺小屋のような民間の教育機関が発達した。また、中江藤樹、貝原益軒、室鳩巣、大原幽学らによる育児論が現れ、地域の共同体には子供組のような組織もつくられた。だが、「小さな大人」としての子供の存在のあり方自体に変わりはなかった。

子供の歴史の研究において画期的な著作といわれるフィリップ・アリエス『アンシャンレジーム期の子供と家族生活』(邦訳『〈子供〉の誕生』みすず書房1980年)のなかで、アリエスは、西洋の中世には子供期に相当する期間は「小さな大人」がひとりで自分の用を足すまでのごく短い期間であったといい、「子供の発見」は近世以降、さらに近代の国民国家による学校制度と兵役制度のなかで子供期という概念は発達したという。

日本における「子供の発見」も、西洋の近代約諸制度を移入して近代国家をめざした明治以降である。学校制度によって子供たちは大人の社会とは異なった固有の社会をもつことになった。学校における教育内容は、それまでのような読み書き算盤などの実用技術ではなく、知性を育てるものとなった。児童文化といれれる子供独自の領域も認知される。印刷物が普及し、明治10年に『頴才新誌』という少年少女の投稿雑誌が創刊され、明治20年代には『少年園』『日本之少年』『こども』『少国民』など子供のための出版物が次々と現れ、明治24年のは博物館から『少年文学』や『幼年文学』などの児童読物叢書が刊行されるようになる。さらに明治末期から大正期にかけて、大正デモクラシーの風潮のなかで日本の子供のあり方は大きく変わり、子供期の価値が認識される。

だが、身分制社会が近代化されても、日本の子供たちは依然として「家の子」であり、農村では「ムラの子」であり、やがて「国家の子」に収斂した。第二次大戦後、それまでの国家や社会の制度が解体し、その後の経済の高度成長のなかで、社会や学校や家族の構造や意識が大きく変わり、大人の環境も子供の環境も一変して、今日の状況を迎えるにいたる。


V.美術のなかの子供

1.大人の夢

「子供期の発見」には、家庭内にあける重要な意識の変化があったことを、アリエスは『〈子供〉の誕生』のなかで指摘している。それは家庭が夫婦の間、子供の間の「感情の場」になったことである。学校制度をはじめ、西洋の近代的諸制度をとりいれた近代以降の日本でも、「家」という前代からの制度を引きずりながら、家庭という「感情の場」は変化し、子供の地位は変わった。夫婦と子供が社会の基本ユニットとみなされ、子供は子供であることにおいて価値があると考えられるようになった。「個の意識」が重視され、生命感情の直接的表現を志向した1910年代以降にこの傾向は顕著となり、「純真」「無垢」「未来」「希望」などの表象として文学や芸術の各領域で子供のイメージは多出する。それを日本絵画についてみるとき、子供に対する大人のまなざしは、愛と幸福の感情に浸潤され、そこに出現するイメージは「大人の夢」の投影である。

青島生馬の《病児》、椿貞並の《朝子像》、辻晉堂の《こども》などの子供の肖像は、それぞれに表現のスタイルや制作意図が異なっているが、対象に寄せる画家の感情の深さが共通しているために、その違いがかえって興味深い。同じような単独像でも、麻生三郎や佐藤忠良らの戦後の子供像には、子供の純真さに対する抒情の背後に、戦争の悲惨さに対する記憶や悔悟の感情が存在している。脇田和にとって、子供はその絵画を純化し、熟成するための重要なモチーフであった。

母子像は古くて新しい主題であり、子供のイメージとしては画中における母と子の感情の交流が特色といえる。秦テルヲの《眠れる子》は、デカダンで知られたこの画家の「倫落の女」が聖化された南国の楽園における母子の至福のイメージである。小関きみ子の《かおそり》は、東北の農村の母娘の素朴な情景を表し、沢宏靱の《牟始風呂》は、関西の農家の母子の入浴場面のしみじみした情感を伝えるが、この画家たちの属する風土や感性が対照的に異なる点がおもしろい。福田豊匹郎の《秋田のマリヤ》は、戦後日本画の再出発のマニフェストというべき作品である。秋田の農村こおける母と子を聖母子に擬し、自然と人間が共生する原初的な人間の姿に平和と再生の夢を託している。

洋画の母子像として、今西中通の《子供を抱<女》は、戦時下における母と子の生命力をモニュメンタルに表現しおり、中谷泰の《病児と母親》は、愛らしく保護されるべき少年とたくましい母親、この母と子の情愛のシーンを通じて、画家はヒューマンな人間感情を表出している。森芳雄にとって、母子像は生涯にわたる重要なモチーフであったが、パスタオルで湯上がりの子供を拭く母親を描いたこの《母子像》は、明暗を強調した量感豊かなフォルムと緊密な構成lこよって、普遍的な人間感情を表現している。

吉原治良の《小さな噴水》は、元気よくオシッコを飛ばす幼児と驚く母親の姿を曲線的なフォルムによって表すが、戦後一時期描かれたこの前衛作家の具象作品における機知とユーモアの感覚、そして子供に向けられたまなざしは、自由な精神への共感であろう。北川民次の《哺育》は、メキシコ美術のたくましい造形性を日本の風土に融合させようとしたこの画家が、母親と二人の子供と瀬戸風景をレジェ風の黒い線によって画面を区画して合成した母子像である。

母子像にくらべると父と子の作例は少ないが、そこには母子像とは異なった情感表現がみられる。田中阿喜良の《父子》は、北川とはまた別種の強い造形性を示す作品である。子供を肩車にのせる父親の姿は、日常的にみなれた光景であるが、父と子の顔と手を塊量的に積みねた力強いモニュメンタルな構図と重厚なマチエールによって根源的な存在感を表し、決然と世界に対峙するかのようである。

17世紀のオランダを起源とし、18世紀のイギリスで盛行し、19世紀にヨーロッパ全土に広がったといわれる「家族団欒図(conversation piece)」は、近代日本においても市民社会の一種の理想像として描かれ、幸福な子供のイメージが現れる。清水登之の《池畔》や玉村方久斗の《休日》は、モダンな都市生活者の幸福の表象である。だが戦時下ではヽ子供を中心にした「家族の肖像」は、松本竣介の《五人》にみられるように、幸福のイメージというより、暗い、不吉な時代に抗したヒロイックな相貌を示している。香用泰男の《父と子》《母と子》《母と子と犬》《ママごと遊び》など一連の作品は、全体としてみればファミリー・ポートレートといえるもので、これらの作品はシベリア・シリーズと平行して描かれ、光と影、天国と地獄のように対をなしている。

日本画の三谷十糸子の《朝》は、夫と子供が描分れ、画家である妻が欠けた「家族の肖像」である。この作品によって再生の契機を見いだしたと画家自身がいう記念作である。朝露のなか鴨川べりの叢で虫と戯れる夫と幼い娘たちの情景が、対象と作者がー体化して清爽に表現されている。

2.子供らしさの魅力

子供を「大人の夢」としてでなく、子供を子供自体として、子供の世界そのものを表現しようとする立場がある。大人の世界よりも、子供の世界に価値を見いだす立場といってもいい。土田麦僊の《罰》は、泣きじゃくる少女と廊下に立たされている二人の少年を描く教場の光景だが、このような子供の世界の表現は、明治末期の日本画においてまったく新しい主題であった。だが、麦僊の清新な抒情には、失われた世界に対する大人のノスタルジーが浸透している。野長瀬晩花の《被布着たる少女》は、この麦僊の作品の延長線上にあり、洋画的な新しい手法で描かれたものであるが、ここにみられるのは大人の感情というより、子供の世界に共感する純朴な画家の資質である。

福田豊四郎の《雪のきた国》の牧歌的な表現世界は、秋田県で生まれその風土と深く結ばれていたこの画家のアイデンティティを示すものである。小川芋銭の《魚鳥と童子》《水村童子》は、牧歌的であるが福田のような風土性はみられない。芋銭は茨城県牛久の水郷に文人的理想世界のイメージを重ねたが、闊達自在な「童子」の存在は、「鳥啼き魚踊る」理想境に不可欠である。田代正子の《街角の夕》は、夏の夕方街角で紙芝居を観る子供たちという生活情景を描いたもので、近代日本画に多くみられる都市風俗図の一種だが、この作品はさまざまな年齢、服装、姿態の子供を群像として構成しており、主題が子供であることによって生彩を放っている。

『梁塵秘抄』にみられるように、子供がいちばん子供らしいと考えられてきたのは、遊ぶ子供である。したがって、遊ぶ子供、あるいは学ぶ子供など、何かのしぐさに興じる子供を描くことによって、「子供らしさ」が表現される。清水登之の《メリーゴーラウンド》もまた適ぶ子供の典型例である。小出楢重《ラッパを持てる少年》は、ラッパというアトリピューションによって、単なる子供のポートレートから遊ぶ子供に変身する。

北川民次の《作文を書く少女》は、林檎、花、鳥篭に組まれて配置され、つまり大人の情愛に包まれて見守られているが、そこに表現された少女のプリミティヴな生命感情は、大人の思惑をこえたヴァイタルな力をもって観音にせまる。国吉康雄の《カーテンを引く子供》は、子供が単に可愛いだけの存在ではない何かミステリアスな気配がこの画に感じられる。国吉と同じくアメリカに生きて都会の憂愁を表現した野田英夫も、《二人の子供》のような子供の作品においては、メランコリーよりも子供の純真な生命感を詩情豊に描いている。

童画家といれれたいわさきちひろは、子供の情景の表現をひたすら追求してきた画家である。水彩やパステル、クレヨンなどによる澄明な色彩とすぐれた素描力によって、純粋無垢な独自の子供の世界を表現している。それはもとより大人が子供に向けたまなざし、大人の夢ではあるが、その子供の世界は大人が子供とともに共有することを願った、地上的な子供たちの絶対的世界というべきものである。

3.子どもをめぐる表現の可能性

子供のイメージは、子供自身が表現したものでない以上、大人が見た子供のイメージであることはまぬがれようがない。しかし、子供期を経験した大人が、子供というモチーフを契機に、自らに内在する子供の心性に着目し、原初的感性の再生を企てる。

写真家荒木経惟の《さっちん》は、東京三河島の小学4年生の少年とその仲間をモデルにした達作であるが、ヴァイタルな生命感が躍動する子供の世界は、映像表現の世界に鮮烈な衝撃を与え、この作家を一躍有名にした。ここには写真家と下町の子供たちの感性の見事な共振現象みられる。現代の物質文明や情報社会に対峙して、東洋の神話や物語を現代に再生させる藪内佐斗司の木彫の世界では、子供や動物は重要な位置を占めている。時空を超えたアニミステイックな不思議なその作品世界で、人をくったユーモラスな《座敷童子(ざしきわらし)》のような土俗的な小さな超能力者(マイナー・ガッド)たちが活躍する。

ニューヨークに在住し、テクノロジーを重視する太郎千恵蔵の《プリンセス・パーティーT》の場合も、子供が文明批評の素材となっている。あるいは子供の不在といった方がいいのかも知れない。電気じかけの首のない子供服のロボットたちが無秩序に動き回る作品は、自分の子供をプリンセスのように飾り立てることを競う、日本の親たちの盲自的な偏愛、画一的な欲望のシステムに支配される消費文明、さらにまた子供の肉体の無化を表象している。

「障碍の美術」を提唱する和田千秋は、悩に障碍をもつわが子のリハビリテーションを通じて、「障碍の様々な問題を美術家として受け止め、それを美術として社会に送り返せないだろうか」という、いわば「美術の社会復帰」を試みている。《床の生活》など一連の作品は、子供と障碍を共有するなかから生まれた芸術表現である。

かなもりゆうこはクローンのように増殖する子供の写真、子供服、ぬいぐるみ、家具など子供にかかわる素材を用いてインスタレーションを制作している。子供の世界に根源的なインスピレーションを求め、大人である自分との共通点を見いだすが、その作品世界は社会性よりも文学性を重視し、社会的であるよりも私的である。

現代の作家たちは、子供が純粋、無垢であるとともに社会的に弱者であるがゆえに、子供のイメージをそれぞれの制作の重要なモチーフとする場合が多い。公的な現代美術、変ないい方だが、歴史的な正当性を主張する現代美術に対して、私的な美術、子供という小さな具象的世界の私性にこだわるのである。奈良美智や中澤英明、吉本作次らについてそれがいえるであろう。だが、たとえば奈良の童画的な子供の表現は、可愛いばかりでなく、どこか不気味な攻撃性をもっており、必ずしも予定調和的な親和関係の上に成りたつものではない。

現代は子供期が拡大した社会だといえるだろう。衣食住や教育などはもとより、テレビ番組や芸能・娯楽産業の有力な顧客は子供である。大学生の幼児化がいわれたが、いまや子供たちの両親が幼児化している。早く大人になることを願った過去の社会とは逆に、現代の若者は大人になることを拒否する。現代美術における子供の登場は、このような社会現象と無関係ではない。こういった事態を、単純に退行現象と片づけるわけにはいかないだろう。大人の文明や強者の文明が破綻していることはだれの目にも明かであり、人々はもはや「大きな物語」を信じない。むしろ弱者の文明に積極的意義を認め、個人的な内面の世界にこだわる「小さな物語」のなかに真実を認める。既存の文明に汚染されない子供のまなざしによって世界を眺めようとする、「内なる子供」の復権を求めるのである。

(三重県立美術館長)

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