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伝統的空間の解釈−清水九兵衞の彫刻

土田真紀

当時、そのフォルムの受け入れ方は人それぞれに違いはあったと思うが、私としては住空間との関わりの中で鍛えられてきたフォルムとして一つの具体的な暗示を与えられたような強い印象があった。どの作品にもごく自然な雰囲気(私はこの言葉を・周囲に結び付く力感・という意味で使っている)があって……私はその雰囲気性をなんとしても身につけたいものと思ったものである。(註1)  1. 「私の彫刻」『京都市美術館ニュース』no.159,1989.9,p.4。

 戦後、日本の彫刻界に紹介され、大きな影響力を及ぼした現代イタリア彫刻について、清水九兵衛はこのように語っている。清水が抽象彫刻を始める以前、陶芸の世界に足を踏み入れつつも、彫刻への夢が捨てきれず、加藤顕清のアトリエの内弟子となったり、東京芸大の専攻科に籍を置いたりしていた頃のことである。1950年代の末から60年代の初めに、マンズー、マリーニ、グレコ、ファッツィーニらのイタリアの具象彫刻が日本で実際どのように受容されたのか、その問題はここでは脇におくとしても、清水のように、それらの彫刻に「住空間との関わりの中で鍛えられてきたフォルム」を読み取った者はそう多くはなかったのではなかろうか。

 もともと清水には、造形作品そのものに対してと同等に、あるいはそれ以上に、造形作品と周囲の空間との結び付き、彼自身の言によれば「雰囲気=周囲に結び付く力感」の方に魅き付けられるところがあるようである。たとえば、学生時代、研修旅行で出かけた奈良でも、唐招提寺千手観音像の「周りをだきこむような強い同化力」をもった造形性にひかれたというし(註2)、ある機会には、関心のある現代作家としてヴァザルリの名を挙げ、「はじめて実物に接した時、作品空間が四囲の空間に強く結びついているのを見て、ハッとさせられたことが強く印象に残っている」と述べている(註3)。また、清水九兵衞の彫刻の展開にとって、非常に大きな意味をもっていたと思われるイタリア滞在についての回想でも、しばしば登場してくるのが、風景と造形物との相即不離の関係に出合ったときのことである。  2. 「私の一体−唐招提寺千手観音像」『現代の眼』no.361,1984,12,p.6。
 3. 「感動詣での地中海」『美術手帖』no.423,1977.8,p.147。

 しかしながら、「雰囲気」という多分に情緒的な要素を含む言葉を用いているものの、清水の場合は、もちろん最初は感覚によって瞬時に感じ取られたものにちがいないが、同時に、知的な分析によって、そうした雰囲気を生み出しているところのものが裏付けられているという点に注意しなければならないように思う。すでに触れた唐招提寺の千手観音像についても、彼は、その雰囲気が一体どのようにして生み出されているのかという点を、像に即して分析している。また、次に述べるように、清水がヨーロッパ滞在を経て獲得したものも、きわめて独自の知的な分析のフィルターを一旦通ることによって初めて、一つの確固とした造形原理となりえたのではないかと思われる。そして実は、こうした態度こそが、今日に至るまで、清水の造形の骨格を堅固に支えてきたものにちがいない。

そう言えば、以前から黒瓦の屋根に興味をもちながら、それは、個々のフォルムへの関心にすぎなかった。しかし、イタリアの古い街を歩いているうちに、最初は味もそっけもないと思われた平板な屋根の連なりに次第に愛着をおぼえるようになった。そうして帰国した時に、黒い甍の波の広がりの中に気がつかなかった感覚を思いしらされたことがある。(註4)

この「気がつかなかった感覚」とは何だったのであろうか。

日本の民家の黒瓦の屋根というのは、ひじょうに直線構成なんだけれども、何かこう……。それは波があるからということではなくて、あの黒瓦の質感からくるものじゃないかとおもうんですけれども、カーヴを感じさせてくれるものがあって、そういうものにひどくひかれてたために、ああいう表現になってきたところはありますね。(註5)
 4. 「(アンケート・誰が最も影響を与えたか)」『美術手帖』no.431,1978.3,p.86。
 5. 「作家訪閑 清水九兵衞」『美術手帖』no.533,1984.10,p.127。

 黒瓦のもつ茫洋とした質感、この質感から生じるフォルム、すなわち直線のなかに感じられる曲線。これらが、清水がヨーロッパ体験の後に、日本の空間、とりわけ京都の空間に見出した雰囲気の独自性の核にあるものであった。

 京都やその他の古都の黒瓦の家並や、古びた塀の美しさには、たいていの感性の持ち主であるなら、誰もが強く魅きつけられる。無秩序と不統一ばかりが目につく現代の日本の生活空間の中で、多少とも統一感や雰囲気を感じさせてくれるところといえば、黒瓦や白壁、土塀の残る昔ながらの街並みであり、幾分懐古の情を交えて、我々はこうした街並みにほっとするものを覚える。いうまでもなく、清水の黒瓦や塀への関心は、こうした月並みの共感とははっきりと区別すべきものである。イタリアを初めとするヨーロッパ各地の屋根や塀や壁を徹底的に見て回った後で、清水が黒瓦の屋根に発見したのは、日本の伝統的空間の中に隠された造形原理であった。屋根や窓、扉に対しては、ヨーロッパに行く前から関心を抱いており、すでに出発前に、そういうものを見てきたいと語っている。しかし、質感や質感と一体化したフォルムという問題に気づいたのは、少なくとも帰国後であった。そして、造形の上では、帰国後、質感とフォルムに加えて、彫刻と空間との関わりという問題に清水は徐々に着手し始める。

 1971年、すなわち帰国の翌年の暮れに南画廊で発表した作品(cat.no.4,5)は、初めてアルミニウムを素材としている。軽量性と経済性にひかれてしぶしぶ使い始めたアルミニウムが、磨いているうちに、黒瓦の茫洋とした質感に共通するものをもっていることに気づいた清水は、以後もっぱらアルミを用いることになる。繰り返しになるが、この時発表された作品を見るとき、清水が黒瓦に見出したものが、いかに単なる情緒的、感覚的なものを超えた、一つの確固とした造形原理へと昇華されたものであったかが明らかになるのではなかろうか。茫洋とした質感は共通しているとはいっても、これらの作品は、日本の伝統的な空間とはやはり全く異なる外観となっている。というか、およそ正反対のきわめて現代的な質感とフォルムをもっているからである。

 1968年にやはり南画廊で開いた最初の個展の出品作(cat.no.1,2,3)は、真鍮を素材としていた。床に接する面が曲面である点、幾何学的な形体の一部を切り取ったフォルムと円管状のフォルムの組合せなど、68年の作品と71年の作品の共通点は多い。ただ、前者では、幾何学的なフォルムと円管との微妙なバランスに重点が置かれているが、後者では、円管が、基台となっているフォルムと関係づけられることによって、どのような表情を生み出すかに重点が置かれている。円管の先と床との微妙な関係、また床に接する面が曲面である点に、床に対する意識が窺える。これらの作品は、68年の作品との連続性を保ちつつ、少しずつ新しい方向を模索し始めたものといえよう。71年の個展には、まだ、木や鉄による小品も出品されている。

 アフィニティ(親和)という概念が明確な形をとり始める74年頃から、突如として、フォルムの点でも、彫刻と空間の関係という点でも、きわめて明快で独自のものが登場してくる。この年に南画廊で発表された〈affinity〉と題された作品群は、いずれも薄板から生み出されるフォルムとヴォリュームが主題となっている。小品では、板同士の、時に寄り添い、時に反発する様々な関係のヴァリエーションが展開されているのに対し、大作では、薄板がかたちづくる偏平なフォルムと床との間に、従来の彫刻に見られない関係が生じてきている。こうした点で、2カ月後に第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に出品された〈AFFINITY−D〉(fig.2)は、まさに画期的なものである。清水は、前年に第1回彫刻の森美術館大賞展に出品しているが、その時の出品作は室内作品であったから、これが初めての野外彫刻の制作であり、出品であった。このとき、指定地域となっていたポートアイランド、新神戸駅、六甲牧場の3箇所を、清水はそれぞれ見て歩いたという。

ポートアイランドや新神戸駅では、まったく何を頭に描いてよいかわからないような状態だったのですが、六甲牧場へ行きましたら、とたんにこれはできると直観しました。(註6)  6. 乾由明「アルミニウム−清水九兵衞」『いけ花龍生』no.237,1980.1,p.31。

 ある対談で清水はこう語っている。〈AFFINITY−D〉は、見たとおり、牧場のなだらかな起伏そのものに彫刻のフォルムを完璧に添わせた作品である。小さな試作品から試行錯誤を重ねて実現されたという。アフィニティと名付けられた彫刻と空間との関係がいかなる内容をもつのかが最もわかりやすい形で示されているといってよいであろう。競って自らの存在を主張する作品が大半を占める中で、清水の作品は当時少なからぬ衝撃を与えたのではなかったろうか。

 この後しばらく、アフィニティという主題は、室内空間、屋外空間のそれぞれで展開されていく。室内空間においては、彫刻と床との関係が、さらに壁や天井をも意識したものに発展して〈AFFINITYの継続〉シリーズ(cat.no.10,11,12)が誕生してくる。ここでは、これまでの偏平なフォルムから一転して、一挙に豊かなふくらみが獲得されていることに驚かされる。もっともそのふくらみは、中身のつまった西洋的なマッスによるヴォリュームとはおよそ異なっている。一方、屋外彫刻では、引き続き、もっぱら地表との関係に焦点があてられている。ゆるやかにカーヴしたフォルムが長く水平に広がり、地表と確固とした関係で結び付きながら、同時に響き合っている。

このように漠然としたテーマなどより、具体的に場をあたえられる方がつくりやすく、そういう面で野外展には興味をもっています。……しかし画廊で個展をやる場合には、これでなければいけないという風には、私は限定しようとは思いません。その空間のなかに作品によってある種の雰囲気を生み出すことができれば、それでよいのです。(註7)  7. 同上。

 地面の起伏や樹木を初めとする周囲の風景がすでに固有の表情をもっており、また逆の面からみれば制約にもなる野外展の会場と、ニュートラルな画廊の展示空間とでは、おのずと彫刻との関係も変わってくることを、清水は意識している。

 会場にあった樹木を彫刻の中に取り込んだ〈樹と4つの立方体〉(fig.7、第7回現代日本彫刻展出品〉、角の空間にまるで建築空間の一部のように張り付いた福岡相互銀行の〈AFFINITY−M〉(fig.11)など、空間と彫刻とのまさに「なじみ」としての親和的な関係を意図した作品がこの頃次々に発表されているが、70年代末の野外彫刻展出品作品から、これまでのような文字どおりの親和関係では捉えきれないもの、すなわちはっきりと垂直性を志向したものが現れてくる。地表との関係からいえば、これは明らかに親和ではなく、むしろ対峙ともいえる関係への移行である。具体的には、1978年の第6回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に出品し、現在神奈川県立近代美術館の所蔵となっている〈BELT〉(fig.10)、翌年の第1回へンリー・ムア大賞展に出品した〈BELT U〉(fig12)、第8回現代日本彫刻展の〈WIG−A〉(fig.13)あたりからで、タイトルも同時に〈AFFINITY〉に代わって、〈WIG〉〈PROTECTOR〉、〈MASK〉など、具体的な物を指すタイトルがつけられるようになる。

私は前々から屋根とか面とか鎧等の様に物になじんで個性を出す様なフォルムが好きでしたから数年前から、それに関わりのある題名に代えて来ましたが、題名は具象的でも、決して具象体からヒントを得てつくって来たのではありません。全く抽象的な発想から出発しています。だから、私には題名はどうでもいい事ですが、雰囲気の一端でもつかんで頂ければと思ってつけて来ました。(註8)  8. 『現代日本の美術』展カタログ、宮城県美術館、1980.11。

 彫刻とそれが置かれる空間とがいかになじむことができるかの追求という点では、恐らく清水の姿勢は今日まで一貫しているであろう。しかし、〈AFFINITY〉以外のタイトルを用い始める頃から、これまでのような文字どおりの親和的関係だけが、彫刻と空間とのなじんだあり方ではないことを、清水は意識し始めたように思われる。70年代の終わりから80年代の初めにかけての作品は、いずれも地表にすっくと立ち、一転して、風景の中に孤立した姿を晒すことによって、意図的に風景に対峙することを目しているような感さえある。そこに、彫刻と空間との関係の点でも、またフォルムの点でも、大きな変化を感じないわけにはいかない。また、現在では清水作品と切り離して考えることができないほど大きな特徴となっているあの朱色も、ちょうどこの頃初めて使われている。

とにかく野外彫刻としては、どうしても耐久性ということが要求されますから、耐久性を考えた上で、どうやってアルミの質感をとどめておくかということが課題だったわけです。私の作品のフォルムはブラウン系には合いませんし、それで朱色をその後の作品に使うようになっていきました。(註9)  9. 『都市の指標 現代彫刻と環境展』カタログ、日本橋高島屋、1992.3、p.16。

 あるインタビューで清水はこう答えている。意外にも、朱色の使用は、積極的な動機から始められたものというより、野外での耐久性の問題を、アルミの茫洋とした質感を失わずに解決しようとした結果であったということになる。それによって、清水の彫刻にもたらされた変化は、あるいは垂直性への志向以上に大きかったのではないかと思われるが、ここでも注意したいのは、朱色の選択が、きわめて知的な試行錯誤を経た結果であったということである。

 こうした変化には、実際の設置作品を手掛ける機会を重ねるうちに、樹木と芝生に囲まれた野外展の環境とは明らかに異なる、現代の都市環境というものを、清水が意識せざるをえなくなったことが関わっているのではなかろうか。80年代に入ると、野外展以外の屋外彫刻の仕事がかなりの数に上っている。石やステンレスなど、アルミとは全く異質な質感をもつ素材を、台座部分に用いたものも目だってくるが、別の質感を介在させることによって、彫刻と空間との関係にも新たなヴァリエーションが生じてきている。一方、室内作品でも、平面と曲面とで、はっきりと質感を変えた作品が登場する。朱色による〈FIGURE〉のシリーズは、曲面と平面との質感の相違によって、空間そのものをつくっていこうとするきわめて独創的な試みではないだろうか。

私には、日本人の立体造形感覚というのは質感のバランスを考える中で育てられてきたような気がしてならないのである。この資源に乏しい国で立体造形に使われてきた素材と言えば、…ほとんど土、木、藺草、和紙、漆、自然石等のように非常に質感の強いものばかりであった。このように質感の強いものを組み合わせて使ってゆくうえには、その強弱をうまくコントロールしながらバランスを考えなければならないわけで、このあたりに数学的に割り出されたものといささかちがう美がつくり出されるのである。(註10)  10. 「野外造形への意識」『中部讀賣新聞』、1984.5.18。

 黒瓦に関して展開された清水の質感論が、ここではさらに深められている。かつて清水は陶芸の世界に足を踏み入れ、土のあまりにも強烈な質感が自分の肌に合わないことを感じたという。ヨーロッパ体験を経て再発見された黒瓦は、それとは別の質感もまた日本の伝統的な美意識として根付いていることを、清水に気づかせてくれた。黒瓦の寡黙でいてどこか茫洋とした質感、またこの質感そのものに由来する、直線に内在する曲線というフォルムが、その後のアルミによる作品の出発点であったことはすでに述べた。しかし、ここに引用した文章からは、清水が、もともと自身の嗜好にかなった美意識の領域に留まらず、さらに日本の伝統的空間のもつ独自の美への解釈を深め、これまで苦手としていた質感の強い素材をも、自らの作品の中に取り込む糸口をつかんだことが窺われる。石やステンレスを用いたり、曲面の部分に強い質感を与えたりを始めたのは、恐らくそのためであろう。と同時に、彫刻と空間との関係については、両者をなじませることから、彫刻によって積極的に空間に雰囲気を生み出す方向へ、展開してきているように思われるのである。

 清水九兵衞は、恐らく、その感性の点で言えば、むしろ日本的なものから遠い人であるにちがいない。少なくとも、土に限らず質感の強い素材に囲まれた日本の空間に、ある種の居心地の意さを感じているのではないか。初めて五条坂の自宅を訪れたとき、典型的な京都の町屋の空間に、モダンな家具と、無装飾のクリスタルガラスのグラスばかりが収められた棚が置かれているのが大変印象的であった。そこに、ある断固とした嗜好の表現が感じられたからである。しかし他方で、彫刻が周囲の生活空間と不可分の関係にあることに早くから気づいていた清水は、自らの彫刻はあくまでも日本の生活空間になじむものでなければならないことを強く意識し続けてきたにちがいない。ヨーロッパ体験を経て、黒瓦の屋根に、日本の空間の中で彫刻をつくっていくためのヒントを見出すことができた清水は、それをいまさらに「質感のバランス」という原理へ展開しつつある。清水の彫刻が日本的であるという指摘はしばしばなされてきたが、その「日本的」なるものが、きわめて独自の知的な分析を通して、日本の空間の根本にある原理を突き詰めた結果生じていることに、我々は留意すべきであろう。いわゆる「日本的」なるものからは、清水九兵衞は全く遠い人であることはまちがいない。

 清水の屋外彫刻の中で、モニュメンタリティーの点でも、また建築空間との関係の点でも、最も優れた作品の一つ、三井海上火災東京本社ビル中庭の「朱龍」(fig.19,20)は、ややもすると無味乾燥に陥りがちな現代の日本の建築空間を、彫刻の存在によってこれほどまで表情豊かなものにすることができるのかということを教えてくれる。基礎工事の段階から参加し、瓢●(たん)型の池をも清水自身が設計したというこのケースは、清水にとっても最も恵まれた機会であった。馬蹄形の中庭は、かなり広く、またU字部分の壁はそれほど高くないとはいうものの、やはり閉じられた空間という印象を与える。彫刻は独立した二つの部分からなり、一方がどちらかといえば水平に伸びることによって建物との結び付きを強調しているのに対し、他方はまっすぐに垂直に伸びる部分と、いったん池に触れそうなほど近づいて再び上昇していく部分とに分かれているが、いずれも中庭の上にぼっかりと開いた空を志向している。閉じた空間であることを利用して、親密性と開放性がともに実現されている。大きさといい、色彩の効果といい、日本の都市空間の中でこれだけの力をもった彫刻はそうそうないのではなかろうか。

(つちだ まき・三重県立美術館学芸員)

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