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無名であること

東俊郎
(三重県立美術館学藝員)

誰も木下富雄さんのことを知らない。と書くと、さすがに誇張かなとおもうが、ついそんな風にいいつのってしまうのは、端倪すペからざる人格とみあったその木版画がどうも実力どおりに認められていないようだからである。そんなことはよくあることだし、たとえばかすかな含羞とともに沈黙のなかに感情をにじませた木下作品のどこがいいのかなんて、時さえたてば、わかるひとには自然にわかるその自然を尊重して、あえて声高にふれまわることなどしたくないというのは正しい。もっというと、木下さんの作品のまえでおぼえるなにかしみじみした気分はあまりひとに教えたくないということがある。掌中の珠のごとくひとりじめして、とりあえず自分だけその温もりを感じていたいのだ。そういう一対一の親密な気分にとじこめるなにかが木下さんの作品にはある。しかしなにより寡作で、できても手ばなさない。求められても個展をめったにひらかない。だから作品をみるだけでも大変なのだから、知る人がすくないのは自然といえば自然なのである。

ところでいま三重県立美術館には九点の木下作品があって、その片鱗をうかがうには十分のはずだが、それでも常設展示で年中みることができるわけではない。でていないことのほうが多いのだから、それとの出会いはほとんど瞬間的な偶然ということになってしまう。それでもそういうとき、たとえば『空(習作)』でも『落日(黒)』でもいいが、そのまえでふとたちどまったひとはしあわせである。これは一体なんだろうと思うだけでいい。それが二度三度と足をはこぶことになる予徴なので、そのとき気がつかな〈ても、たったいまみているそれは、どこか心の奥のほうに懐かしくはたらきかけていると、そのうちにわかってくるのだから。

どこかに不安と恐怖をにじませてちいさな眼をいっぱいみひらいているのに、それがひとには可憐な滑稽さにみえてしまう「Face(丸と角)』。外に露れれば辛辣な棘ともなるものをユーモアにくるんでとぽけた風情の『Face(白い勲章)』。歌えぬはずの歌を思わず歌ってしまったあとで、自分のしたことにいくぶん照れ気味の『Face(友よ高らかに)』。とおい地平線のむこうに太陽がちいさく沈んでゆく。それに背をむけた人物たちが、どうしても香月泰男の絵や石原吉郎の詩にでてくるシベリア抑留の捕虜たちにみえて、その凍った無口が切ない『落日(黒)』。この世は理不尽にみちているという思いをつきぬけると、こんな風に空もみえるかなと思う、いっけん人を喰ったその表現のはてに、重いはずの感情をふわりと浮かせた一種の抒情詩をかんじさせる『空(習作)』。ほんとうの真実なんて、語らぬことによって語るしかないというのは戦略をこえた戦略だ。でもやっぱりその口をあけて喋りたいことは喋ってほしいな、と、気がつけばそれと対話している『Face(語らず)』。

輝かしく景気よく、生きることのよろこびを手ばなしで語ってくれはしない。派手な身ぶりは苦手のなかの苦手である。けれど一見、いいことなどなにも約束してくれそうもないこの地味でくすんだ作品のなかの人物たちが、みつめるぼくらの視線に応えて、ふと、眼をみひらき口をほころばせてかすかな声を洩らしてくれたような気がするときがあるなら、それこそ、木下さんの絵のまえにたちその声なき声をききたがる人がぽく以外にも何人かきっといるはずだと確信するときでもある。耳を傾けるひとを裏切らないこの声はとおい歴史のむこうからやってくるようでもある。そしてそんな風にして木下さんを愛好するに至ったひとたちは、くちぐちに、「誰も木下さんのことを知らない」とつぶやくのである。

木下さんによると、木版画を本気になってはじめたのは一九五二手(昭和二七)だそうで、けれどこの時期の作品は残っておらず、現在みることができる『手』『首』『Woman』『Cry』「Women』『Love』など、すべて一九五五年以後につくったものである。そのなかでも『手』あたりがもっとも古いんだろうか。ともあれ、写実の訓練からはじめてまだ遠からず、遠近も量感もまだもてあまし気味で、さっぱりとした単純化まではまだまだで、ようするに稚拙さが目立つが、それでもその顔の、とりわけ目と歯をむきだした口元には、表現は未熟でも人間のほうはけっして未熟ではない、そのアンバランスから生じる一種ブリミティヴな「感じ」がないわけではない。

たとえば『Cry』という作品をみようか。その題にもかかわらず、これはcryならぬcannot-cryで、画面のうえのふたりの叫びは内心に響いてもぽくらにじかに届くわけではなく、だからいっそうそのまなざしが悲哀にみちるのである。この感情はむしろPassionというべきかもしれない。いったい、これらの作品に共通しているのは、一歩をふみだしはしたけれど、ここからどちらにむかって歩いてゆくのかまだ自分にもわからないといった風情ではあっても、しかし木下さんの現在から逆にふりかえってみれば、みようみまねの独学の苦心のあとに、すでに不正に敏感で慈愛にみちた木下さんの菩薩心が刻印されているとわかる、いかにもそんな時代の作品らしい。これは武骨な手つきでする労働であっても、藝術などという洒落た遊戯なんかではないのだ。もっとたちいっていえば、木下さんにとって藝術は別の手段をもってする労働に他ならないということだ。これは忘れてはいけない大事なことだし、だいいち、木版画は摺ることじたいが大変な力しごとである。摺るのに足もつかいますと笑いながらいった木下さんをぽくは憶えている。

ところで、一九五五年と五七年のあいだに木下さんの画境はいちぢるしく深まったようだ。それはたとえば『Love』のふたりの男と『仮面3』の右二人の人物をくらべてわかるので、たった二年のあいだに、表現するちからは勁さをまし、よけいなものをふきとばしてしまっている。ちょっと劇的な羽化である。このせかいをみつめる視線の深まりと、みつめられる対象のほうの単純化はきれいに対応しているから、すっかり面目は一新され、顔といえば木下さんという誰もまねのできないスタイルが、ここにはっきりと姿をあらわすことになった。それは同時に木下富雄という藝術家/労働者が誕生した証でもある。このあと一九六○年前後の油ののった時期がくるが、そのときをこえて近年にいたるまでこの『仮面3』『仮面4』でつかみとった骨法はどうやらそのまま継承されてきた気配である。

いったん様式ができあがれば、あとはその鋳型による大量生産がまっている利口で怠惰な作家はすくなくない。できあいの木で家をつくるが、その木を育てるということはしない。もちろん木下さんはちがう。あとで思い出そうとするとどれも似てしまう木下さんの作品だが、いったんそのまえに立ち、その目や鼻や口がどんな風にできあがっているかと注意してみると、これが驚くことに、作品ごとにみんな微妙にちがっていることに気づく。様式という名の反/様式。ようするに、つねに実験をやめなかったということだろう。じつにさりげないかたちで。精神はくりかえすが、表現はくりかえさない。それこそ木下さんにかぎらずみずみずしく成熟するためのアルファでありオメガである。

たとえば『習作』『習作2』『空(黄)No.2』『習作(赤い日)』『習作(B)』『無題』『習作(黒B)』『空(習作)』『空(習作)』とならペてみると、ふつうの木下さんとちよっと調子がちがう。だいいち顔がないではないか。はじめてみたときから、これらの作品はなんだかよくわからない、わからないけれど、おもしろいなと思いつづけてきた。ユニークをいうならこっちのほうがもっとユニークだ。けたが外れた突拍子もない空想のようで、あんがいこの空想のなかみは現実に根をはっているようでもある。ただの思いつきとはおもえない、などといいながらみていると、黒い大地のうえに浮かんでいるものになにかしら郷愁のようなものさえ感じられるのが不思議である。現実でも非現実でもなく、重いものが浮き軽いものは沈むかもしれない、そんな夢のなかの風景。ぼくはかってに、これは青春の数年を木下さんがすごすことになった満洲の空と大地の生れかわりだときめて、それにしても変わっているなあといつまでも感嘆している。そのとき例のあの人物たちは木下さんの胸のなかでどこへいっているんだろうか、などと一瞬もおもわず。

木下さんは世間虚仮の思想をかかえて生きてきた。身体のすみずみまで浸透し生活する感覚をつらぬく−ようするに呼吸することと区別がつかないまでに腰のすわったこの思想にくらべれば、知識人のニヒリズムなど泡よりもはかない感情にすぎない。そんなことはとっくに分かっているさと、海にちかい故郷の、かくれ家の風情のあるちいきな家で日々の仕事をしながら、木下さんは戦後日本社会のからっぽの空騒ぎをみつめてきた。自己流謫なんてかっこよすぎる高村光太郎である。もっとつつましく、身丈にあった自然さをだいじに、肩をいからせず眼の色を変えず、しみじみした気持で生きてゆくこと。これは一種の勇気である。そんな姿勢はすでにそれだけで無名であることの光にみちているし、そこから溢れた光が温かなまなざしとなって、思いの大部分は胸にたたんでおくしかない無名の人々のほうへむかうのも、けだし当然ではないか。思い切っていうしかないが木下さんは愛の人、愛深い人なのだ。 なにを表現するといって、その当の表現という手段をもたない又もてない人々の声なき声を、藝のちからで空無のなかに現成させること以上に作家冥利につきるはなしはないだろう。

ためしに『仮面たち(B)』という作品をみてもいい。なまじすぐれた作品より、こっちのほうが、木下さんの心のありどころがわかりやすい。いったい人間とはなんだという木下さんの天問の飾らない祖型になっているからである。そして、こんなものさといいきれば諦観ときこえるところを、底の底で救っているのは、無信仰の信仰にくるんだ木下さんの祈りかもしれない。ついでにいうと、このとき木下さんは単なる媒介にすぎない、とはつまり、木下さんはそこにいて、そしていない。そんな藝によって、人間ひとりなんて歴史の大海に浮かんだ波のひとうねりにすぎないという真理が、厳粛に、かなしく、やがて懐かしくぽくらの胸にせまってくるのである。

それでも、こんなばあいに懐かしいなどというのが腑におちないというなら、木下さんのせかい/舞台に顔だけみせて科白をもたないひとたちは、たとえば宮本常一さんの『忘れられた日本人』に登場するあの日本人たちも同様に懐かしいといいかえよう。営々と生きてきた人たちを固有の名にかえすのではなく、もっとおおきな存在でつつむことで無名のものを無名のゆえの懐かしさにかえたのは、やはり諦念とも慈悲ともみえる宮本さんの愛するちからであった。そのおなじちからは木下さんの「常民」の顔つきにも負けずにはたらいている。木下富雄の版画をみることはこの遠くからのちからに貫かれることに他ならない、とは、ぼくらはすべて本来無名であることを懐かしむということになるだろうか。

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