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華麗なる世紀末・ロンドンとパリ ジェームズ・ティソ展 図録 作品解説 石崎勝基編

作品解説はクリスティーナ・マティヤスケーヴィッチの資料をもとに翻訳・執筆された。

石崎勝基・編

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ジェームズ・ティソ ひじ掛け椅子で眠るニュートン夫人
ひじ掛け椅子で眠るニュートン夫人
1878−79年頃
油彩・カンヴァス
52×44.5cm
左下に著名:J.J.Tissot
ロンドン,ピーター・ネイアム蔵

Mrs Newton Asleep in an Armchair
c.1878−79
oil on CanVaS
52×44.5cm
signed lower left:J.J.Tissot
Peter Nahum,London

 

画面いっぱいに,大きな枕を背にゆったりした捧椅子に腰掛け,開いた本を膝にのせたまま眠りこんだニュートン夫人が正面からとらえられている。籐椅子は他の作品にもしばしば登場する。油彩スケッチ特有のすばやい筆致と色数の少なさは,ティソの制作過程をうかがわせるとともに,精緻に仕上げられた完成作以上に今日の嗜好に訴えるところが大きいとマティヤスケーヴィッチはいう。ティソはその初期からくりかえし大気の描写の欠如を批判されてきたが,ここでは大づかみな把握によって光と空気の感覚が得られている。完成作と習作との様式の落差は特に19世紀において前面に浮上してきた問題で,この作品もまたそうした例のひとつといえる。《7月》(参考図版74)や《テムズ河の岸辺》(図版45)その他に見られる逆光になった顔というモティーフは,このような習作から出発しているのであろう。このスケッチから仕上げられた油彩の存在は知られていない。 ティソは1870年の《ひじ卦け椅子の娘(病みあがり)》(トロント,アート・ギャラリー・オヴ・オンタリオ)をはじめとして,ひじ掛け椅子や長椅子でからだを休める人物,特に女性のモティーフをくりかえし取り上げている。《最後のタベ》(ロンドン,ギルドホール・アートギャラリー)や《病みあがり》(油彩:図版27)などのように逸話的な構想の一部に用いられることもあれば,《病みあがり》(版画:図版57),《眠り》(図版63),《夏のタベ》(図版86)等の一連の構図や本作品のように,女性を膝から下まででトリミングした近接描写によるものもある。後者についてウェントワースは,写真あるいは浮世絵の構図法との関連を見ている。一方眠りや休息の主題に対してはアルパート・ムーアの影響が指摘されている。

 

またウェントワースは,もともとラファエル前派に触発されたと思われる病気の主題も,《病みあがり》などにおいては楽観的なニュアンスが濃いが,本作品のようにモデルがもっぱらニュートン夫人となり,彼女の病状が進行するにしたがって厳しいドキュメントとしての性格を増すと述べている。本作品と似た構図のバロン・マルタン美術館の作品がそうした相の項点となる《長椅子で休むニュートン夫人》(1881−82年頃)。本作品では,白と暗部の対比によって得られる光の描出や左下に見られる筆致の激しさが,いっときの視覚的な印象の記録という性格を与えている。

 

来歴・参考文献

 

PROVENANCE:Leicester Galleries;sold Christie’s London, 24 june 1983(82)as A Lady asleep in an armchair,bt.Chiristopher Wood.

LITERATURE:Barbican 1984-5,note to cat.135.

38
ジェームズ・ティソ さようなら,マージー川にて
さようなら,マージー川にて
1881年頃
油彩・カンヴァス
83.8×53.3cm
右下に署名:J.J.Tissot
ニューヨーク,フォーブズ・マガジン・コレクション蔵

Goodbye,on the Mersey
c.1881
oil on canvas
83.8 ×53.5cm
signed lower right:J.J.Tissot
The FORBES Magazine Collectlon,New York

 

前景の空になった椅子は不在を感じさせ,描かれた人物のほとんどが画面に背を向けていること,さらに椅子から主要な人物たち,彼女たちから一段低くなったところにいる人々,そして海をはさんで旅立つ蒸気船にいたる幾段階ものへだたりが別離の主題を強調している。船の甲板にもハンカチを振る人物が小さく描かれている。ハンカチと鳥の白をアクセントにしつつ,全体の色調は抑えられている。

 

船と波止場のモティーフはホイッスラーの作品に触発されてかティソが好んで取り上げた舞台で,《船長の娘》(1873年,サザンプトン・アート・ギャラリー),《つかの間の嵐》(図版28),《港を望む部屋》(図版34),《連絡船を待つ》(図版31〉,その他多くの作品に現われる。79年頃から82年にかけてティソは,ニュートン夫人をモデルにした旅と別離を扱った作品を多く制作する。《海峡を越えて》(1879年頃,所在不明),対をなす《水路で》(1881-1882年頃,所在不明,レプリカ:個人蔵)と《陸路で》(1881-1882年頃,所在不明)────両作品でのキャスリーン・ニュートンの衣裳は本作品のものと同じである────など。また「ヴイクトリア朝におけるもっとも大きな社会問題のひとつ」(ウェントワース)であった移民の主題を,ティソは《移民たち》(1873年頃,所在不明,レプリカ:個人蔵)と《ふたりの友》(1882年頃,所在不明,油彩習作:ロード・アイランド・デザイン・スクール附属美術館〉で扱っている。ただしウェントワースによれば,70年代前半の船や港が逸話や風俗を描写するための舞台背景にとどまっていたのに対し,本作品や《ふたりの友》においては,別離そのものが主題化されるにいたる。そのため人物は画面の中央からはずされ,前者ではハンカチ,後者では握りあう手が焦点となる。中心をあける構図をティソはしばしば採用しているが,ここでの地面が立ち上がってくるような俯瞰する視点とあわせて,写真あるいは浮世絵の影響を考えることができる。

 

作品の舞台はリヴァプールで,ティソは肖像画の依頼をうけて1877年にこの町を訪れている。マティヤスケーヴィッチはそのおりの習作が背景に用いられているのであろうと述べている。主な人物はアトリエでポーズさせたものと思われる。ニュートン夫人がティソとともにリヴァプールに行ったことがあるかどうかは知られていない。前景の椅子はティソの所有品で《静かな午後》(1879年頃,個人蔵)など他の作品にも登場する。

 

この作品は1881年のロイヤル・アカデミーに出品された。油彩とグワッシュによるレプリカの存在が知られている(ともに所在不明)。

 

来歴・展覧会歴・参考文献

 

PROVENANCE:Christie’s London, 10 July 1970(151).

EXHIBITIONS:Royal Academy,London,1881(981);? Glasgow Institute of Fine Arts,1881(910),for sale at £85;? Palais de l'Industrie,Paris,1885(9)as Le Départ d'un Cunard (Liverpool); Leicester Galleries, London,Victorian Life,1937(118)as Départ du Paquebot; Barbican 1984-5 (139); Petit Palais 1985(124).

LITERATURE:Providence/Toronto 1968,note to cat.33;Misfeldt 1971,pp.196,198−9 & fig.113;Wentworth 1978,pp.236,238 & fig.55b;Wentworth 1984,pp.105,116、132,148,155,201 & pl.147;Wood 1986,pp.93,113 & pl.114.

41
ジェームズ・ティソ 気を失った女
気を失った女
1880-82年頃
油彩・パネル
31.7 ×52.1cm
左上に署名:J.J.Tissot
北アイルランド,個人蔵

Woman Fainting
c.1880−82
oil on panel
31.7×52.1cm
signed top left:J.J.Tissot
Private collection,N、lreland

 

地面に倒れている人物というモティーフを,ティソはかつてパリ・コミューンに取材したドライポイント《殺された男》(図版65)で扱ったが,本作品はゴンクール兄弟の小説『ルネ・モープラン』のための挿絵(参考図版87,88)のうち,第7番目の《兄弟が決闘で死んだことを聞いて気を失ったルネ》と関連づけられている。10点からなる挿絵に登場するルネはこユートン夫人をモデルにしており,ポーズのために用いられた写真が残っている。ウェントワースは主人公ルネの運命に,ニュートン夫人のさしせまった死の残酷な予型を読み取っている。奥に見えるおなじみの籐椅子が示すように,ティソのアトリエを舞台にしたこの油彩は,ニュートン夫人が実際に病いのため失神した場面に想を得たのかもしれない。彼女は午前の家庭着を着ている。

 

マティヤスケーヴィッチは,油彩を版画から展開させたヴァリアントとして,版画が油彩より先に制作されたと考えている。両者の順序はともかく,構図はかなり変化している。版画では画面の下をあけて絨毯をほぼ正面に配していたのが,油彩では視点が低くなり絨毯は斜めに見られて,版画の視角の鋭さはやわらげられている。その分画面は横長になり,人物が大きく描かれている。版画では奥に戸口が開いているが,ここでは暖炉が構図を閉ざし,息苦しさを感じさせる。第一期ラファエル前派以来の甲高い色彩と精緻な描写が密室的な印象をさらに強めている。胸にあてられていた右手が背後の椅子にかけられているのは,手前に開いたまま落ちている本とあわせて,逸話的な時間の推移を画面に導き入れる役割を果たす。

 

この作品は別題を《見捨てられて》とも《病みあがり》とも呼ばれている。

 

来歴・展覧会歴・参考文献

PROVENANCE:Sotheby's London,18 Feb.1970(95);H.Shickman Gallery,New York;Dr and Mrs John P.Bradbury by 1975;Roy Miles Fine Pajntings.

EXHIBITIONS:Shepherd Gallery,New York,The Figure in French Art 1800−1870,1975(139)as Wbman Lying in Front of a Fire;Barbican 1984−5(144);Petit Palais 1985(129).

LITERATURE:Wentworth 1978,p.270 & fig.68 a;Preston 1984,p.444n;Wood 1986,pl.125.

42
ジェームズ・ティソ 無為の楽しみ
無為の楽しみ
1880−82年頃
油彩・ボード
27.9×41.9cm
左下に署名:J.James Tjssot
ロンドン,ハンフリー・フルックC.V.O.蔵

Dolce far niente
c.1880−82
oil on composition board
27.9×41.9cm
signed lower left:J.James Tissot
Humphrey Brooke C.V.O.,London

 

池のほとりに太い木が斜めに生えていて,肩掛けにくるまったキャスリーン・ニュートンが身を寄せかけている。マティヤスケーヴィッチは,他の一連の作品同様この作品もニュートン夫人の病状に想を得たものと見て(《ひじ掛け椅子で眠るニュートン夫人》(図版36),《気を失った女》(図版41)の解説を参照),秋を思わせる色調は1880年代初頭のティソの作品のいくつかに現われる憂鬱な気分を反映しており,彼が彼女の健康の悪化を意識するようになったためであろう,そして「ここに見られるようにティソは彼女の唇をしばしば明るい赤でいろどったが,それは彼女の健康が悪化するにつれてふさわしからざるものになった,もっとも結核病みはよく一見健康的な血色をしているものだが」と述べている。しかし必ずしもこの作品をニュートン夫人の病いに結びつけなければならないわけではあるまい。まず一連の「病みあがり」や「眠り」の主題,次いで《春》(1865年頃,個人蔵)やグローヴ・エンド・ロードの庭園を舞台にした園遊図などと関連しつつ,特に《ポートの娘》(1870年頃,個人蔵)などに始まり,《10月》(1877年,モントリオール美術館),《春》(参考図版73〉,《孤児》(参考図版78,79)など自然のなかに女性の単身像を配した装飾的ないし寓意的な図像につらなるものであろう。《10月》や《孤児》の油彩(1879年頃,個人蔵)をはじめとして,ティソはくりかえし背景を秋の黄ばんだ菓で覆っている。身を休める女性像という点では《7月》(参考図版74)と比較することができよう。

 

《ひじ掛け椅子で眠るニュートン夫人》同様,ここでも油彩スケッチの特性がよくうかがわれ,現場で制作されたものと思われる。特にニュートン夫人をまわりから囲むような,激しく大きな筆致が目をひく。この作品から仕上げられた完成作があるかどうかは不明である。

 

パネルの裏面には二つのスケッチが描かれているとのことで,ティソがパリに戻って以後,1883−86年頃に制作された絵画に関連するものと考えられている。一つは腰掛ける婦人を描いたもので,《パリの女》連作に含まれる《スフィンクス≫(所在不明)中の女性のポーズのための早い時期の試みと思われる(《旅行する女》(図版44)の解説を参照)。もう一つは不完全かあるいは切り取られており,足を組んですわる男性を描いてある。《朝》(メゾチント,図版97)のもととをった1886年頃の油彩(所在不明)に見られる男とよく似ている(《テムズ河の岸辺》(図版45)の解説を参照)。

 

原題のイタリア語は無為安逸,のらくら暮らしというような意味で,ホルマン・ハントにも同じタイトルの作品があり(1866年,フォーブズ・マガジン・コレクション),当時のイギリスで画題として取り上げられることが少なくなかったのかもしれない。

 

展覧会歴

EXHlBITIONS:Leicester Galleries 1933(12);Sheffield 1955(20);Arts Council 1955(17).

43
ジェームズ・ティソ かわいいニムロデ
かわいいニムロデ
1882年頃
油彩・カンヴァス
110.5×141.3cm
左下に署名:J.J.Tissot
フランス,ブザンソン美術館蔵

Le petit Nemrod
c.1882
oil on canvas
110.5×141.3cm
signed lower left:J.J.Tissot
Musée des Beaux-Arts, Besancon, France

 

落葉が散る公園で遊ぶ子供たちを描いたこの作品は《クロッケー遊び》(図版35),《子供たちのガーデン・パーティー》(図版82),《陽光のもと》(図版85)など,グローヴ・エンド・ストリートのティソ郎の庭周を舞台にニュートン夫人とその家族たちを配した一群の作品につらなっている。モデルになっているのはニュートン夫人とその姉妹メアリー・ハーヴィーの子供たちで,ニュートン夫人の息子セシル・ジョージも木馬にまたがり剣を抜こうとしている。表題のニムロデは創世記10.8に記される狩りの名人である。左側のベンチにすわっている人物はメアリー・ハーヴィーと推測されている。舞台の公園は1881年頃の《公園の休息》(所在不明)にも現われる。子供たちが遊んでいる毛皮はティソのアトリエの床に敷かれていたもので《アルジュロン・モーゼス・マースデン》(1877年,所在不明)や《かくれんぼ》(1880−82年頃,ワシントン,ナショナル・ギャラリー)に見えるものと同じであろう。

 

この作品は様式,子供を大きく扱う図像の点で同時期の《庭園のベンチ》(個人蔵)と関連づけられる。本作品はキャスリーン・ニュートンが歿する少し前,後者は彼女の死の時点かその少しのちに描かれたものと考えられ(彼女が元気な頃に描かれた油彩習作がある),制作にはおそらく写真が基に用いられたとウェントワースは述べている。しかしながら後者の色彩が明るく初夏を思わせるのに対し,本作品は秋の色濃く,よりメランコリックであるとマティヤスケーヴィッチは記す。いずれにせよティソにとって両作品は,失われた幸福な日々の追憶を表わすものであったと語られている。彼はこれらをフランスに持ち帰り,《庭魔のベンチ》はブザンソン近郊のティソのシャトー・ド・ビュイヨンの一室に飾られていた。

 

ウェントワースによれば,本作品や《庭園のベンチ》などロンドン時代最後の作品には,後の《パリの女》連作であきらかになる人物の表情のなさと(ろう)のような表面,そこから生じる幻のような印象が見てとられる。絵を観るものに向けられた子供たちの視線は,《パリの女》連作でくりかえされる視線のモティーフと同様の効果をもっている。

 

ティソは二つの作品をのちにメゾティントにしている。《庭のベンチ》(図版91)は1883年に,《かわいいニムロデ》は1886年に出版された。《降霊》(図版92),《朝》(図版97)とあわせて,それらが披の制作したメゾティントのすべてである。

 

来歴・展覧会歴・参考文献

PROVENANCE:Bequeathed by A.Bichet,1920.

EXHIBITlONS:Palais de l'Industrie,Paris 1883(6)as Un Nemrod;Galerie Sedelmeyer,Paris,1885(24}as Un Nemrod;Barbican 1984−5(147);Petit Palais 1985(155).

LITERATURE;Wentworth 1978,pp.330−32;Wood 1986,p.123 & pl.127.

45
ジェームズ・ティソ テムズ河の岸辺(ヘンリーからの帰り)
テムズ河の岸辺(ヘンリーからの帰り)
1883−85年頃
油彩・カンヴァス
146.7×101.7cm
右下に署名:J.J.Tissot
ジュネーブ,個人蔵

Sur la Tamise(Return from Henley)
c.1883−85
oil on canvas
146.7×101.7cm
signed lower right:J.J.Tissot
Private collection,Geneva

 

1885年,パリのギャルリー・ゼードルマイヤーで《パリの女》連作が公開されたが,その対をなすべき連作として《外国人の女》が構想され,《旅行する女》(図版44)と《芸術愛好家》(個人蔵)が同時に展示された〈《旅行する女》の解説を参照)。《へンリーからの帰り》とも呼ばれてきた本作品は,やはりその時出品された《テムズ河の岸辺》と同定することができる。《パリの女》 と《外国人の女》について述べた当時のニューヨーク・タイムズの記事では触れられていないが,華やかな女性が大きく画面を占める構図,イギリスに題材を求めていることから,この作品も《外国人の女》連作に属するものと考えられている。

 

やはり《外国人の女》連作に関連するものとして,1886年のメゾティント《朝》(図版97)の原型となった油彩が挙げられている。ここでも若い女性を正面から大きく膝の下まで捉えている。所在不明の油彩には写実が残されており,そこには版画では除かれているのだが,右側に構図が伸びて食卓と腰掛ける男が描かれていたという(そのポーズは《無為の楽しみ》(図版42)の裏面に描かれた男の姿を左右逆にしたように見えると指摘されている)。他方本作品には絹にグワッシュで制作されたレプリカがあるが(所在不明),女性の構図を腿までで切っており,《朝》との関連の強さを示している。

 

マティヤスケーヴィッチによれば,ここにはロンドン時代の作品に現われるモティーフがくりかえされている;背後に垂れる栗の葉はティソが好んだ道具立てで,《安らぎ》(図版40)などにも見出される。テムズ河をティソは多くの作品で舞台に選んだ。ふたりの男性を従えた女性の主題はロンドン時代の気に入りの要素をひっくり返したもので,《テムズ河》(図版66),《カルカッタ号の甲板》(図版69)などで女性ふたりにはさまれた男性を描いているが,同様に《ポーツマスのドック》(ロンドン,テートギャラリー)───版画化された時の仏語題は《ふたりの間で私のハートはゆれる》,英語題は《どちらといても私は何て幸せなんだ》───でも一人の水兵が二人の女性にはさまれて坐っている。

 

本作品はテムズ河を配した画面中心に女性が大きく描かれ,男性は左後ろにつけ足しに配された《舟遊びからの帰り》(図版22)を強く想起させる。

 

《舟遊びからの帰り》のグレーとグリーンを基調にした色彩に比べて,ここでは調子はずっと暖かくなり,光の描写のうちに人物を溶けこませようとしている。両作品ともに女性の視線が絵を観るものに向けられているが,《テムズ河の岸辺》の女性はより画面手前に押し出され,そのため絵を観るものに直接訴えようとする力がはるかに大きくなっている。これらは,《パリの女》連作にしばしば現われる特徴である。またウェントワースが指摘する,人物から個性的なものを奪うことによって抽象化された歴史画に達しようとする傾向も,具体的な地理を指示する要素を欠いた背景,扇のように二人の男を配した装飾的な構図に読み取られる。おつきを従え水から上がる女性の姿は,世俗化されたウェヌス誕生とみなすことができよう。ただしそれはあくまで世俗化されたものであって,女性のからだの優雅なひねりは,《パリの女》のいくつかの作品で,正面向きの視線が後の宗教画であきらかになる様式の衰微の予感とあいまってもたらした強い表出力を抑えて,作品をファッション写真のようなものにしている。

 

来歴・展覧会歴・参考文献

PROVENANCE:American Art Association sale,14 April 1916 as On the Thames;J.Ackerman Coles;given by Emilie Coles to Newark Museum,Newark,NewJersey、1926;sold by them,Sotheby Parke-Bernet,New York,223 May 1985.

EXHIBITlONS:Galerie SedeImeyer,Paris,1885(23)as Sur la Tamise; Providence/Toronto 1968(32).

LITERATURE:Misfeldt 1971, pp.233, 235 & fig.144;Wentworth 1978,p.326 & fig.82b;Warner 1982, ill.p.21;Wood 1986, pl.71.

100  101
ジェームズ・ティソ アルフレッド・エミール・レオポルド・ステヴァンス作 春  アルフレッド・エミール・レオポルド・ステヴァンス作 夏
左 アルフレッド・エミール・レオポルド・ステヴァンス作(1823−1906年)

1876年頃(?)
油彩・カンヴァス
76.2×25.4cm
右下に署名:A.Stevens
ロンドン市自治体, ギルドホール・アート・ギャラリー蔵
Alfred Emile Leopold Stevens(1823−1906)

Spring
c.1876(?)
oil on canvas
76.2×25.4cm
signed lower right:A.Stevens
Guildhall Art Gallery,Corporation of London


右 アルフレッド・エミール・レオポルド・ステヴァンス作

1876年頃(?)
油彩・カンヴァス
76.2×25.4cm
左下に署名:A.Stevens
ロンドン市自治体,ギルドホール・アート・ギャラリー蔵

Alfred Emile Leopold Stevens Summer
c.1876(?)
oil on canvas
76.2×25.4cm
signed lower left:A.Stevens
Guildhall Art GallerY,Corporation of London

 

アルフレッド・ステヴァンスは1823年ブリュッセルに生まれ,1844年にはパリに住み着き1853年以後サロンに出品しつづけた。1906年パリで歿する。基本的にはアカデミックな仕上げを示すサロン絵画の枠からはずれることはなかったが,一方で彼はマネやベルト・モリゾら印象派周辺の画家たちの親しい友人でもあった。クールベの写実主義の影響のもと同時代の風俗を主題に取り上げたが,クールベに比べるとより都会的で洗練されたモティーフを選んだ点でマネに通じている。特に都市のファッショナブルな女性像を得意として1860−70年代に名声を博し,また衣裳や装飾品を描く技巧は高く評価されていた。早い時期の日本趣味の愛好家でもあり,収集した日本の小道具をしばしば画面に描き込んでいる。これらの点でステヴァンスとティソは近い位置に立っており,事実ティソの近代生活,特に女性像を扱った作品はステヴァンスのそれをモデルとしている。《告解室》(図版8)は発表当時「少しばかりステヴァンス風すぎる」と評されたという。

 

今回展示される《春》と《夏》の2点の作品は,四季を取り上げた4点からなる連作に属しており,1876年ベルギー王に注文された作品の,変更を加え縮小したレプリカである。ウィリアムズタウンのクラーク・インスティテュートその他にもレプリカがある。月々や季節の擬人化は占星術的な寓意としてあるいは装飾的な目的で古くから描かれてきた。ウェントワースはこの図像が19世紀後半,英仏両国で広く流布しており,たとえばマネやサー・フランシス・グラント(1810−1878)にそうした例があることを記している。またマティヤスケーヴィッチは日本の浮世絵における四季風俗図との関連を見ている。縦長の構図,季節感を表わす舞台,当時の美しい衣裳や扇子などの道具立ては作品の装飾的な性格を物語っている。

 

ティソは月々や季節を擬人化した女性像を多く制作しており,《春》(参考図版73),《夏》(参考図版77),《7月》(参考図版74)などが挙げられる。特に1878年の《春》はステヴァンスの展示作品に近く,直接影響されているのかもしれないとマティヤスケーヴィッチは述べている;ティソはおそらくこれらの作品の写真かレプリカを見ていたのであろう。

 

来歴

PROVENANCE:Bequeathed by Charles Gassiot, 1902.

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