このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

ごあいさつ

三重県立美術館では三重にゆかりの深い美術を紹介する展覧会を順次開催してまいりましたが、この度、1991(平成3)年に組織されました「伊勢型紙技術保存会」が、今年4月に国の重要無形文化財技術保持団体に指定されることを記念して、「伊勢型紙展」を開催することになりました。

日本における型染は、奈良時代に木の型を用いて始まったと考えられていますが、平安時代には既に型紙が用いられ、桃山時代に入ってから飛躍的に技術は洗練され、江戸時代には繊細で、しかも華麗な型染による美の世界が展開されています。特に文化文政(19世紀初期)の頃には質的にも量的にも拡大し、華美な装飾が贅沢とされ敬遠されるなかで、卓れた小紋や中形による型染の作品が誕生しています。

寺尾家に遺された『形売共年数年暦扣帳』によると、1619(元和5)年、徳川頼宣が和歌山藩主となり、ついで伊勢白子地方が紀州領となり、1622(元和8)年、頼宣から絵符、駄賃帖、さらに鑑札等が下付されるという行商の特権を得たことを契機として、染匠の住む地域と離れていながらも、株仲間の強力な結束のもとで、伊勢白子・寺家地方の型商人は型紙の販売を次第に独占しています。

明治に入り一時的には小紋の流行などがあっても、呉服、特に精致な技術と時間を要する型染は、時代の大きな流れのなかで日常の生活から徐々に遠ざかり、1914(大正3)年を境に急激な下降をたどり、伝統的な技術の伝承にも支障を来す状況も生じてきました。こうした苦況のなかで、1955(昭和30)年には中島秀吉(道具彫)、南部芳松(突彫)、中村勇二郎(道具彫)、六谷紀久男(錐彫)、児玉博(縞彫)、城之口みゑ(糸入れ)の6名が、重要無形文化財伊勢型紙技術保持者(=人間国宝)として認定されましたが、現在では5名が既に逝去し、伝統技術の保存が危ぶまれ、伝統的な伊勢型紙関係技術を保持し、その技術の向上と伝承を図ることが重要な課題となっていました。

本展では、1826(文政9)年には江戸出稼株12株が公認されるなど、伊勢の白子・寺家地方に端を発しながら全国に広がった、伊勢型あるいは白子型と称される伊勢型紙の歴史を、広い視野から改めて検証しつつ、最も古いとされる1692(元禄5)年の型紙から現代に至る伊勢型紙の推移を展観し、併せて型染された作品や、当時の風俗として型染の盛隆を物語る浮世絵版画なども展示し、今日に至る経緯のなかで、現在の型染の位置を見つめ、今後の方向を模索する機会となればと存じます。

本展覧会開催にあたりまして、ご協力下さいました所蔵家の皆様をはじめ、関係各位に厚くお礼申し上げます。

1993年4月

三重県立美術館長
陰里鐵郎

ページのトップへ戻る