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ブライアン・イーノ
Brian Eno

1948年サフォーク州ウッドブリッジ生まれ、イギリス

1964年から66年までイプスウィッチ美術学校で、69年にはウィンチェスター美術学校で学ぶ。1972年ロキシー・ミュージックのデビューにシンセサイザーおよびテープ操者として参加する。セカンド・アルバム(1973)の制作後バンドを脱退、以後ソロ活動、ロバート・フリップやクラスター、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズらとの共同作業など多岐にわたる活動を展開する。ファーストおよびセカンド・ソロ・アルバム(双方1974)では奇妙に躁的なポップ・ロックを奏でる一方、フリップ&イーノ(1973、1975)やサード・ソロ『アナザー・グリーン・ワールド』(1975)を経て、自ら設立したオブスキュア・レーベルでの『ディスクリート・ミュージック』(1975)以降、いわゆるアンビエント・ミュージックの領域を開拓した。そこでは抒情的でありつつ、音色、響きおよび反復を重視することで環境に溶けこむような空間的ひろがりを感じさせる。

イーノがビデオを用いるようになったのは1970年代後半で、その後インスタレーションの形式でさまざまに展開された。《ミステイクン・メモリーズ・オブ・ミディーバル・マンハッタン》は1980-81年ニューヨークで、イーノが住んでいたいくつかのアパートメントの窓から撮影された。〈暁〉〈脅威〉〈塔〉〈光〉〈帝国〉〈現われ〉〈ラファイエット〉の7部からなる。縦長の画面に映しだされる空と街の上端は、カメラが不動のため雲の動きや光の変化のみくりひろげ・驕B壮麗な色彩を生みだす空と街の対照は、17世紀オランダの風景画を連想させるといえるかもしれない。《サーズデイ・アフタヌーン》も7部構成で〈ビデオ・ペインティング〉と銘打たれている。1984年4月に友人のクリスティン・アリシノをサン・フランシスコで撮影したビデオに基づく。アンビエント・ミュージック同様「視聴者がじっと座り、画面が動く」のではなく、「視聴者はまるで絵画を見るようにしばらくそれを鑑賞し遠ざかる」ことを想定して制作された。やはり縦長の画面でモデルとカメラの距離の近さが親密さを感じさせる一方、緩慢な変化と光の浸潤によって触覚的とも視覚的とも断じがたい空間を生みだすという点で、浴槽のモティーフと相まってボナールを思いださせずにいない。


主要関連文献:

「ブライアン・イーノ インタヴュー 宇宙の中のささやかな〈いま・ここ〉」;室井尚、「メディアの庭園術 イーノの正しい服用法について」、『美術手帖』、no.616、1989.11、pp.36-67
エリック・タム、『ブライアン・イーノ』、小山景子訳、水声社、1994
「ブライアン・イーノへのインタビューからの抜粋」、Etsuko Nishizawa訳、『ブライアン・イーノ [14ビデオ・ペインティングス]』(DVD; BRCDVD-2)ライナーノーツ、Beat Records、2005
鬼形智、「(ライナーノーツ)」、『ブライアン・イーノ:サーズデイ・アフタヌーン』(CD; VJCP-68746)、東芝EMI株式会社、2005
「特集 ブライアン・イーノ」、『ストレンジ・デイズ』、no.72、2005.9、pp.41-63


公式サイト

http://www.enoweb.co.uk/

(石崎)

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