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アジアにおけるダニ・カラヴァン−《光の道》をめぐって

酒井哲朗

ダ二・カラヴアンが1988年に韓国ソウル市のオリンピック公園に設置した《光の道(The Way of Light)》は、彼がはじめてアジアで制作した作品である。カラヴァンの作品は,制作にあたって,それが設置される場所の環境,すなわち周囲の景観や自然条件,その土地の歴史などを考慮した上でプランを決定し,そこに彼の作品がつくられることによって環境が一変するため,サイト・スペシフィックなどといわれる。カラヴァンは,芸術や文明に対する彼の深い思索を独特の方法によって視覚化するのであるが,それだけに彼がアジアのような異なった文明圏で制作する場合,ヨーロッパにおける作品とは異なった様相を示すように思われ,その点が興味深い。

《光の道》は,1988年のソウル・オリンピックの開催に合わせて,芸術のオリンピックを開こうという構想に基づいて,スポーツ公園に隣接して彫刻公園をつくるというプロプジェクトの中で制作されたものである。韓国の関係当局は,世界各地から36人の彫刻家を招待してシンポジュウムを開き,彫刻の制作を依頼したが,カラヴァンもそのひとりに選ばれた。そこでカラヴァンは,《光の道》というモニュメンタルな環境彫刻をつくったのであるが,この作品は,コンセプトにおいても,スケールにおいても,他の彫刻群と少なからず異質で,環境と融和しつつ独自の存在感をみせている。

ある限定された空間において多数の作家が競作するという点で,《光の道》をイタリアのピストイアのチェッレ(villa Celle)で,カラヴァンが1982年に制作した作品と共通している。チェッレは細胞のような僧院の個室を意味するらしく,カラヴァンの友人の実業家ギリアノ・ゴリによってこの建物が美術館化され,広大な農園にリチャード・セラ,ロバ−ト・モリス,アリス・エイコック,デニス・オッペンハイム,井上武吉らによる多数の彫刻が設置されている。しかし,チェッレは樹木が生い茂り,地形が複雑に起伏しており,そこに作家がそれぞれ好みの場所を選んで設置したため,作品が相互に干渉しあうことなくゆったりと置かれている点は,ソウルのオリンピック公園と事情か異なっている。

カラヴァンは,ここでは果樹園の斜面に白いコンクリートで真直な道をつくった。斜面の下方に竹藪があり,その先に池がある。この道は斜面に残された数本の果樹と関連し,竹藪の真中を通って池に続いている。池にはボートが繋留されていて,これも作品の−部である。

ことしの7月にカラヴァンが三重県立美術館を訪れた時,たまたま斎藤清の唐招提寺の参道を描いた版画か展示されていたが、この作品の前で思わず顔を見合わせ、“チェッレ”と言葉に出した。モノトーンの画面中央を奥に真直ぐ白い道が伸び,両脇に竹藪が描かれ.突き当りの小さな門で終わっている。画面を支配しているのは,竹藪と白い道である。これは勿論,竹藪と白い道という斎藤清の風景画の図柄がたまたま一致したにすぎない。カラヴァンのチェッレの作品は,竹藪や池,これらを結ぶ単純な直線の道によって.日本庭園を連想させる。だがこれもまた偶然の一致であり,彼が桂離宮など日本の庭園を実際にみたのはのちのことであるという。

白いセメントはカラヴァンが常用す・髑「形素材である。自由な可塑性をもつセメントは,現代社会におけるもっとも基本的,苦遍的な生活資材であるが,カラヴァンはそれをチェッレの環境のなかで実に効果的に用いた。ミニマリズムの極致ともいうべき一本のコンクリートのシンプルな白い道は,それまであまり意識されることなくそれぞれ別個に存在していた池や竹藪を関連づけて風景のなかに蘇生させ,果樹のある斜面全体の相貌を一変させたのである。カラヴァンは通路という関係の構造を基軸に,環境を視覚化したのである。しかし.それは視覚的世界にとどまるものではなく,人を池の散策に誘導して精神を解放する,行動をともなった「生きた空間」に改変したといえよう。

ソウルの《光の道》は,作品の眺望が他のものと干渉しあう中で,風景の他の要素と関連しながら,基本的には作品自体で完結する求心的な空間構成をもっている。《光の道》は,オリンピック公園の中の,その昔城砦があったと伝えられる小さな丘を背にして配置されている。正確に東西南北に直交する白いセメントの道がつくられ,その交点を中心に長方形の白いセメントの低く広い基壇が設けられ,その周囲に芝生がはられ,さらにその外郭が相似形の長方形の白いセメントの線(道)で囲まれ,その外側に芝生が広がるという、シンメトリーな幾何学的構成による平面プランである。

基壇の中央,南北の軸線上に高さ6mの樹幹が真ん中からふたつに割られて,南北に各6本,道をはさんで配列されている。人はこの樹幹の間を通ることになる。この南北の道は外郭の長方形を突き抜けて終わっており,北側のその先に自然石が埋め込まれている。東西の軸線の中央に水路が設けられ,道は外側の長方形との交点で終わっている。東西の道の終点にやはり6mの高さのふたつに割られ,断面を金色に塗られた樹幹が道をはさんで門のように立てられている。この樹幹の直径は道の幅と同じ長さであるため,長方形の外側の南北の道はこの地点で遮断されている。

基壇の内部,外郭線の内部,その外側などに自生の樹木が残されて作品の中に取り込まれ,基壇とそれより少し低い道,さらに芝生の起伏がこの作品に微妙な表情を与え,周囲の環境と調和するのに役だっている。こういった樹木や北側の自然石は,この作品の厳格な幾何学的構成を緩和している。しかし,この作品でもっとも注目すべき点は,《光の道》という題名が示すように,太陽の運行とともにこれらの列柱が地上に投げかける複雑な影の効果である。

《光の遣》は,韓国の歴史に偉大な足跡を遺した15世紀の李朝四代目の国王世宗(李□)を記念したものである。英名をもって知られたこの君主は.いま韓国で使われている音声文字八ングルを発明した人であり,精巧な日時計や世界初といわれる雨量計を工夫した人でもある。カラヴァンは,その土地の自然や歴史,文化を念頭において,彼の作品をそれに調和させようとすることについてはすでにのべた。カラヴァンは,ソウルでは世宗の故事にちなんで,《光の道》を構想したわけである。しかし,光や水といった自然の要素(恵みというべきか)は.本来カラヴァンの造形のヴォキャブラリーである。カラヴァンは,世宗の事跡に相呼応する共通の言語を見いだしたというべきだろう。この作品では,カラヴァンはこの国の伝統的な建築資材である木材を使った。《光の道》は,韓国の文化に対する彼の敬意に基づいて発想されている。だが,実現されているのは,まぎれもなくダ二・カラヴァンの世界である。

《光の道》は,たしかに道ではあるのだが,どこか主のいない簡素な宮殿か,あるいは門のようにもみえる。垂直と水平のシンメトリーな空間がそう思わせるのであろう。厳格な幾何学的構成や素材の扱い方は,ヨーロッパやその他の作品と共通するカラヴァン固有の方法である。白いセメントの道、12本の柱,「生命線」としての水,等々である。光の道といえば,東から西へという太陽の運行を連想する。だがここでは東西の軸線に水の道があり,南北の軸線は太陽の運行と交差する。南北の軸に配列された列柱の影が時々刻々と西から東に移動していく。遍満する光は影によって分節され,可視化されるのである。《光の道》は,いわばダ二・カラヴァンの精神の幾何学とでもいうべきものである。この幾何学は.古代の天文学や暦法のように,宇宙や自然との対話を求めている。だが,さらに重要なのは,この作品がヒューマン・スケールを基本として,人間どうしの対話を求めている点である。 《光の道》を通じて,カラヴァンが韓国の人々に伝えようとしているのは,「平和」(SHAROM)というメッセージではないだろうか。カラヴァンの制作活動は,言語や文化や時代の相違を超えて,人々が共存し連帯する一種の世界モデルを提示することだといえるだろう。カラヴァンのソウルの作品では,彼の精神の幾何学は厳格ではあってもきわめて柔軟で,この地の風土と謙虚に応答している。カラヴァンとアジアの文化との出会う地点に成立した《光の道》は,人々をこの作品の内部に容易に誘いこむアンチームな相貌を示している。しかし,外見は親しみやすいとしても,立ち並ぶ列柱は−種の電極のようなものとして,強力な精神の磁場を形成している。

誤解がないようにいっておくが,カラヴァンは,何か思想や観念を造形化しているのではない。カラヴァンの造形そのものが一個の思想なのである。彼は鉄や石,木,水などさまさまな素材と形を通じて表現する。その場合,それらは実体として表現されるのではなく,《光の道》にみられるように,関係として構造的に示される。サイト・スペシフィックといわれる所以だが,カラヴアンは環境彫刻といわれる作品を制作しているのであって,環境をデザインしているわけではない。

20世紀の悲惨の中から,カラヴァンの純粋な感性と深い叡知に満ちた芸術が生まれた。いま東西の冷戦終了後の世界は,アジア.アフリカ、∃ーロッパ,アメリカ大陸など世界各地で,人種や言語,文化の相違が複雑に絡み合って民族紛争か多発し.パンドラの匣のように,新たな悲惨を産出している。このような時,カラヴァンの芸術の存在の意味は大きいと思われる。《光の道》が世宗を記念したというその発想にみられるように,カラヴァンのソウルにおけるフロジェクトは.異なった文化の間の架橋の試みという側面をもっている。他の例を知らないので確たる根拠に欠けるが,彼の自国やヨーロッパにおけるフロジェクトと,少し違ってみえるのである。自然条件や文化的背景か異なればそれは当然のこといえるのであるが、そこには共感とともに違和感もまた生じる。その意味で,日本における一連のフロジェクトの展開の中で、彼がどのような世界を開示するのか,それはこの国の文化に対する一種の挑発でもあり,楽しみなことである。

(三重県立美術館長)

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