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チリーダの理想郷:チリーダ=レク美術館

毛利伊知郎
lchiroMori
[三重県立美術館学芸員]

工ドゥアルド・チリーダが終生精力を注いだ大型の野外彫刻は、チリーダ彫刻の特質を理解する上で、また彫刻と環境との関係を考える上で、重要な鍵を握っている。しかし、それらの作品を展覧会に出品することが不可能なことは言うまでもない。しかも、チリ一ダの野外彫刻は、母国スペインを中心とする欧米各地に集中している。アジアではイランのテヘランに1974年に設置された《パブロ・ネルーダのための碑》が唯一の作例で、残念ながらわが国ではチリーダの野外彫刻に接することはできない(註1)

註:
1)日本でも1990年代に神奈川県大井松田に《北斎へのオマージュ》の設置計画があったが、完成には至っていない。

こうした野外彫刻の地域的偏在は、チリーダ評価のありよう、大規模作品に不可避な運搬・設置の技術的、経済的要因等が背景にあると思われる。しかし、このことは私たち日本人がこの彫刻家に親しむための大きな障害ともなっている。欧米のこれら野外彫刻をつぶさに見てまわるのは容易なことではない。

ところで、日本初の本格的な個展となる今回のエドゥアルド・チリ一ダ展は、チリーダが生前に白身の作品を展示する理想空間としてつくり上げたスペイン、サン・セパスティアンの野外彫刻美術館、チリーダ=レク美術館(MUSEO CHILLIDA−LEKU、以下チリーダ=レクと表記)の全面的な協力を得て実現されることになつた。また、チリーダによる野外彫刻制作の一面を紹介するために、野外彫刻のモデル18点の他、主要作品の写真パネルも出品されている。しかし、小型のモデル、あるいは写真パネルなどから得られる情報こは自ずと限界がある。

そこで、本稿では作家が長い年月を費やして実現し、チリーダの野外彫刻を集中的に、また理想的な状態で見ることができるチリーダ=レクを通じて、日本ではその全体像が知られていない20世紀を代表する彫刻家の−端を紹介することにしよう。

チリーダ=レクを理解することは、工ドウアルド・チリ一ダ自身を理解することであるといわれる。それは、この野外彫刻美術館にチリーダ芸術の本質を理解するためのさまざまな配慮が払われていることの証しだろう。

また、チリーダのピラール・ベルスンセ夫人に言及することなしに、彫刻家のことを語ることは困難であるといわれる。夫人は、半世紀にわたってチリーダのよき理解者であると同時に支援者であった。夫人の助力なしにチリーダの活動は生まれ得なかつた。チリーダの生涯と作品は夫人を抜きに語ることができないといわれる所以である。

チリーダ=レクの実現にも夫人は大きな役割を果たしている。チリーダ=レクは、チリーダ夫妻と8人の子どもたちを中心とするチリーダ一族の総力によつて実現されたチリーダ作品の理想郷である。チリ一ダはパスク地方出身であることを終生強く意識し、自らの彫刻を展示する施設と財団をこの地に設置することを望んだという。チリーダ=レクが彫刻家の故郷サン・セパスティアンにつくられた最大の理由である。

ここでチリーダ=レクの基本情報を確認しておこう。なお、以下の記述は同館発行の案内書とホームページなとの情報に基づいている(註2)

2) “MUSEO CHILLIDA-LEKU Una utopia convertida en realidad” 2001 CHILLIDA-LEKU S.L.
チリーダ=レクの公式ホームページは、http://www.eduardo-chillida.com/

同舘は、パスク地方の保養地として知られるサン・セパスティアン(パスク語ではドノステイア)の中心部から南西に約12キロの内陸部に位置し、その起源は1984年に遡るという。この年、チリーダはこの地区の土地を−部入手し、チリーダ=レク実現に向けた第一歩がスタートした。その後、16世紀に建てられた農家の改装工事、庭園の整備、作品の設置などが行われて、開館したのは2000年9月のことであった。

「ある日私は理想郷の夢を見た。そこで私の作品たちは安らぎを得、人々が木立の中を散策するかのように彫刻を見て回っていた」という作家の言葉が残されているように、自身の作品を一堂に理想的な環境の中で展示する彫刻美術館の実現は、チリーダ長年の夢であつた。

この夢にふさわしい場所を求めて長い時が経過したが、1980年代初めに彼らの条件を満たす理想的な場所として現在地が見出されたのである。また、1985年にイスラ工ル国会から授与されたウォルフ賞の賞金10万ドルを原資にチリーダは財団を設立し、その拠点がこのチリーダ=レクに置かれることとなった。

前述のように、1984年にチリーダ夫妻は2万平米の土地と現在も展示館として使用されている古い農家(1543年の建築〉を入手した。その後も土地は買い増され、現在チリーダ=レクは、12ヘクタールという広大な面積を占めている。

1543年に建てられた歴史的建造物である石積みの農家は、現在もチリーダ=レクの核として大きな存在感を放っているが、その修復は容易ではなかつた。建築家ホアキン・モンテロの助言も得て、チリーダは外観はオリジナルに忠実に保存修復する−方、内部はチリ一ダ作品の展示空間として一新されることとなつた。農家内部の修復は、単なる修復作業ではなかつた。チリーダは、その内部に新しい彫刻空間を創造したのであった。

この農家の建物は2階建てで、内部には4つの展示室がある。室内に展示されているのは、1940年代後半以降の比較的小型の彫刻作品や野外彫刻のモデル、重力(グラビタシオン)、素描などだが、これらの作品を通じて私たちは、チリーダの作品展開、作品相互の関係、鉄・コンクリート・テラコッタ・アラパスター・紙などを使いこなす独自の素材観等々、この彫刻家の制作の有り様を親しく感じ取ることができる。しかも、重厚な木の柱や梁と石積みの壁面から生まれる質実で有機的な内部空間は、一見寡黙に見えながらも奥深いチリーダ作品と不思議な調和を見せている。

この農家内部も含めて、チリーダ=レクでは作品展示の在り方にも熟慮が重ねられた。作品の展示そのものが、チリ一ダ自身の個性、彫刻の特質を表わす必要があると考えられたからである。そうしたチリーダの理想を実現するために、本展監修者でもあるコスメ・デ・バラニャーノが、作品の配置、展示などに大きな役割を果たすことになつた。

チリーダ=レクに、定められた観覧順路はない。野外彫刻も年代順に配列されているわけではない。農家から庭園に到る一定のルートも存在しない。訪問者は気の向くまま、自由に国内を散策するのである。野外では、高さや大きさ、素材を異にするチリーダの彫刻たちが互いに、また農家の建物とも、そして訪問者とも会話を交わしている。それゆえに、彫刻作品は変化に富んだ表情を示すのである。

チリーダ=レクの工ントランスで入館手続き済ませると、彫刻が点在する緑美しい緩やかな丘陵が眼に入ってくる。チリ一ダ=レクは、400点近い彫刻作品と300点以上のペーパーワークからなるコレクション、チリーダに関する諸資料のアーカイヴを所蔵している。小型の彫刻やペーパーワークなどが展示された農家と並ぶ、チリーダ=レクもうひとつの顔が、緑美しい庭園に設置された50点ほどの野外彫刻である。主に1980年代から90年代を中心とする時期に制作された大型彫刻は、広々とした芝生の広揚の上、木立の中、あるいは農家の建物に寄り添うように、広大な敷地の特性を活かしてゆったりと配置されている。

鉄やコールテン鋼、石、コンクリートなと決して柔順とは言えない素材をチリーダはあたかも魔術師のように扱って、さまざまな形に変化させる。そうしたチリーダが創造するフォルムの全体を把握することは、私たちには必ずしも容易ではない。その形態や空間構造に着目して、(1〉囲まれた空間をもつ作品、(2)アーチ状の作品、(3)交叉する立体、(4)曲面をもつ塊、(5)垂直的形態の作品、(6)ステージ状の作品、の6タイブに分類する考え方が提出されている(註3)。このような類型化にはある種の危険が伴うとしても、チリーダ初心者である私たち日本人にとっては彼の彫刻作品を展望する上で格好の指針となる。


チリーダ=レクには、こうしたさまざまなタイプとスケール、素材による彫刻たちが集められ、それぞれが自身に最もふさわしい揚所を得て、あたかも観覧者との対話を楽しんでいるかのような美しい風景が展開している。チリーダ=レクの彫刻群には、常に理想的とは限らない環境の中に置かれることもあるパブリツクなスペースの野外彫刻とは異なる表情を私たちは見て取ることができる(註4)。チリーダ=レクは、私たちにより純粋な形でのチリーダ彫刻体験の場を提供しているのである。

3) Giovanni Caradente, Dena Merriam, “EDUARDO CHILLIDA” 1999 Ediciones Polígrafa, S.A.

4) そういう意味で、作品本体だけではなく、アプローチも含む周囲のかなり広い空間を取り込んで設置されたチリーダの代表作《風の櫛》を、パブリックな空間に設置された数多いチリーダ彫刻の代表作と見ることに異論はないだろう。
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