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井上武吉の〈my sky hole〉
「迷路」から「道」へ

陰里鐵郎

井上武吉の今回の個展は,1985年に東京で開催された「井上武吉新作展 my sky hole─迷路 宇宙…イメージ」(東京都美術館)と同様に,作品「my sky hole」だけによって構成されている。しかし内容はまったく同じというわけではない。新しく加えられた作品一点があり,そしてドゥロウィング「道」シリーズがある。つまり,前回展のコンセプトを継承しながら,同時にこの作者の内部でより明瞭になってきた部分が明瞭に示されることになったと考えられる。それではなにが,こゝ1年から2年ほどのあいだに井上武吉のなかでおこったのであろうか。

ついさきごろ,武吉さんと話しをしているとき,「いや,自然を見なおそうと思ったのだ」という言葉をきかされて一瞬,おや,と思った。これまでの井上武吉の彫刻は,ごく初期をのぞけば自然の形象と直接にも間接にもつながりをもったいわゆる具象彫刻ではないから,不思議に思ぅなという方が無理かもしれないが,「おや」と思った私の方が通俗的な概念にとらわれていたにすぎないようだ。武吉さんはごく最近,つぎのように述べている。

自然には,つねに人間を初心にかえらせ,素(もと)にもどす力がある。それは彫刻をつくる作業のもとうたになるもの,彫刻家が肌身はなさずにもっていなくてはならない辞書でもあるのだが,これは,ここ10年,20年経済的に豊かになった日本人が忘れていた武器でもあり,へンリー・ムーアは,ものの文明に毒された我々に,もう一度自然を取戻すためのコンセプトを思い出させてくれた。(「戦後彫刻の一つの終り」,『美術館ニュース394号,東京都美術館 傍点は稿者)

これは,1986年に開かれたへンリー・ムーア展で,「久しぶりのへンリー・ムーアに再会したぼく」武吉さんの感想なのだが,この一文を読んで私はここ1年ほどの武吉さんの思考の回路が理解できるように思われ,さきに記した彼の言葉の意味するところもほぼ解りえたように感じたのである。同じところで武吉さんはまた,「ムーアの自然と彫刻」が現在の自分とは大いに隔っていることも確認している。

この武吉さんの自己確認が現在,武吉さんが立っている地点に相違ない。井上武吉という彫刻家は,いったいいま,どのような地点に立っているのか。それは私にとってはもっとも興味ある問題なのであるが,とりあえずはこの1年,あるいは2年ほどの武吉さんの思考の動きを彼との会話のなかから推察することにしよう。

この期間の動きというか,変化は,前回の東京展が「迷路」と名づけられて示されたのに対して,今回はそれが「道」と題されていることに象徴的に示されているようだ。武吉さんの語るところによれは,1984年に10年間におよぶヨーロッパ生活をきりあげて日本に帰り,自分を見なおす最初の試みが東京展「迷路」であったという。「my sky hole」については別稿,三木多聞氏と武書さんとの対談,東俊郎君の評論で種々論じ,語られているところであるが,その「my sky hole」における「迷路」から「道」への展開には前述のように「自然を見なおす」ことが介在しているということになるのであろう。それにはへンリー・ムーアの彫刻も武害さんになにか啓示するものがあったかもしれないが,再び日本の現実に身をおいて生活しはじめたときから本能的に彼が感じはじめたなにかがあったのではないかと私は想像する。武吉さんは,しばしば「生命」とか「いのち」といった言葉をつかうことがある。「いのちとひきかえに彫刻をつくりたい」とか「生命の源流ってなんだろうか」といった具合にである。「いのちとひきかえに」と文字に書くといたく深刻ぶっているようにうけとられるかもしれないが,彼の口からでたときにはごく自然に耳に入ってくる。「トンボの羽の動きと宇宙の生命とは…」と彼は考える。そして一方,西ドイツのドイスブルグの美術館で開かれたロドチェンコ展に触れながら,「ロシヤの人間がまだ大地と根が切れずにいて,西洋からの刺激と革命へと燃え上る精神の昂揚があいまって,実に豊かな才能が花ひらいたものだ」と書くのである。ロドチェンコはマーレヴィッチとともにロシヤ構成主義の画家であり彫刻家であり,写真,グラフィックと幅広い創作活動をした作家であり,武吉さんによれば,「生々と既成概念に疑問を呈し,次々に自分の中を点検しては枠を壊し,空間の視覚化を試みている。そのすさまじい量の作品は,何事も怖れるところがない」(「枠と自由,『武蔵野美術 大学だより 9号)という。この人の作品でさえ「大地と根が切れずに」あるとみてとる武吉さんがおのずと自己の「大地と根」をみようとするのは当然のことであろう。「自然を見なおす」とは武吉さんにとっては生命の源流への思いと自己の大地と根を見なおすことを意味しているのであろう。

そして「迷路」から「道」へは,武吉さんの言葉でいえば「スーパーリアルな精神構造」の問題というのである。このことを説明するのは容易ではないが,要するに限には見えない問題なのだ。だから「道」は,遠いものでもあるし,近いものでもあるイメージなのだと武吉さんはいうのである。しかし,前回の「迷路」展のドゥロウィングのほとんど,「my Sky hole No.793〜No.809」の作品が,立体「Box」シリーズの延長線上にあって,しかも天と地,あるいは地上と地下といった截然とした対比と側面性とをもって表現されているのに対して,「道」展のそれは,多くが円,または球体のヴァリエーションによって表現されており,しかも天から地を,あるいは地から天を,といった上下の縦の視点を感じさせ,それは当然のこととして放射状形,また求心,遠心の力学を感じさせるものとなっていることである。これが私たちが直接的に視覚で見うる武吉さんの最近の視覚的思考の変化だといってよいであろう。この可視的変化は,この作者のこの1,2年の不可視的なものの変化と対応しているに相違ないと思われる。

さきに引用した武吉さんのヘンリー・ムーア展についての文章のなかに「もとうた」という言葉がある。これもいつか武吉さんとの会話のなかで武吉さんが語ったことであるが,「詩を読むこと,それも現代詩を読むことはぼくには大事なこと」といったことがある。現代詩のなかでも,どういう詩に魅せられているのかまでは聞かなかったが,武吉さんにとって詩が重要な部分を占めていることはよく理解できた。武吉さん自身が詩を書いているというのではない。彼はいつも自分のポエジーを大事にはぐくもうとしているということである。武吉さんにおけるポエジーとは,映像(イメージ)そのものだといってよいであろう。そしてそのイメージが彼のいう「もとうた」なのだと私には思われるのだ。

今回の展覧会の三重展(三重県立美術館における井上武吉展)について武吉さんは「伊勢の美術館」というふうに語ったりする。年譜に明記されているように武吉さんは,奈良県室生の生まれである。奈良は武吉さんにとってはずうっと大和でありつゞけているようだ。つまり武吉さんは大和と伊勢の国境いに生まれ,育ったのである。彼自身もしばしば語り,多くの評者がまた指摘しているように,室生という地は武吉さんにとっては重要な場所なのだ。それは,この際,のちの西ベルリンと並んで井上武吉の場所だといってよいであろう。すこし飾っていえば,室生は武吉さんのポエジーの原初のトポスなのだ。室生の杉の木は,武吉さんにとってはそのまゝ大和の古代のすぐれた仏教寺院の列柱にすぐさまつながっていくことになる。室生から南の大台ヶ原へつらなる杉や桧の森林を想いおこすと,それは「あおによし奈良の都は」とはまったく異るもっと原始的な,プリミティーフな大和のイメージとして浮びあがってくるし,そしてそれが寺々の姿とつながっていくことも,その地に足をふみ入れるとよく実感できる。こうして武吉さんにとっては奈良は大和であり,三重はあくまでも伊勢ということになるのであろう。そして大和から見た伊勢は,というより武吉さんにとっての伊勢は「神」のイメージとして浮びあがってくるようである。大和から見た伊勢は,太陽のいづる地であり,つまり太陽神の「神」のイメージとして。このように書くと,あの現代的な彫刻の作者である井上武吉という彫刻家が,どこかふるめかしく感じられてくるかもしれないが,そうではない。最近の日本考古学のなかで方位線がしばしば話題になっていることもあるが,太陽の道が伊勢から大和,摂津をへて瀬戸内海へつながることは疑いない。考古学上のことや先史時代の科学のことはともあれ,太陽はまた光の問題でもあるのだ。

また武吉さんとの会話からの話しになるが,青年時代に経験した映画について短かいが語り合ったことがある。武吉さんも映画にひかれ,その作者たらんと志したこともあり,映画関係のアルバイトをしたこともあったという。私たちが映画青年であった時代,映画は光の芸術でもあった。武吉さんは,のちに「my sky hole」の映画を実際に製作している。武吉さんは特殊撮影の仕事を手伝った経験があって,そのことが別の形で彼の映画づくりに役立ったのではないかと推察されるが,武吉さんの作品にとって光は必ずしも主要な要素ではないようである。この多才な彫刻家が,しかし光をどう考え,どう生かそうとしているかは私には興味ある問題のひとつでもある。武吉さんは,「光,それは視覚化できるもの。イリュージョンとして光は,人々を異る世界へ誘う要素」だという。これは今回の「my sky hole」連作の個々の作品の構成と演出に生かされているに違いない。そして全体は「太陽の道」とかさなったとき,光への祈りとなる。

「もとうた」にもどろう。武吉さんは自分の過去の作品で,1969年の箱根の彫刻の森美術館の設計,製作より以前のものを否定したい衝動にかられている気配があるが,初期の「昆虫」シリーズ以来,「Question」シリーズ,「Box」シリーズ,「溢れる」シリーズとそれぞれの時期の「もとうた」は,「おさなうた」から一貫して武吉さんの内面に湧きあがってくる「うた」であったに相違ない。それは悲歌であったり,鎮魂歌であったり,相聞歌であったりしたのかもしれないが,「もとうた」と武吉さんがいうとき,その「もとうた」が視覚化され,作品化される,あの「いのちとひきかえ」という「いのち」そのものが「もとうた」の「もとうた」のように私には思われるのである。その「いのち」をエロスと呼んでもよいであろう。

かつて井上武吉は,「逸脱の彫刻家」と呼ばれたことがあり,さらに「越境者」といわれた。それは,今日ではすこしも不思議ではない金属による立体造型から,建築設計,舞台芸術と彼の仕事が多岐にわたったからだけではない。彼自身が強烈に意識しておこなっているように,たえず自らが創りだした枠を自らが破壊する創造行為を試みてきたことによる。もちろん,壊すには壊さねばならない理由があってのことだ。現代日本での逸脱は日本から西ドイツへと文化の越境者となった。そしてミヒヤエル・ヘアター氏が的確に指摘しているように,ベルリン時代(1974−79)が井上武吉の「新しい方向をさだめ」た。ヘアター氏は,また〈my sky hole〉は一人の人間が混沌と不可解な世界から個人のユートピアに逃走する姿を示す」(東京都美術館「井上武吉新作展」カタログ)という。井上武吉の逃走は,彼が「自分の住める空」「宇宙の中でも自分がおれる空間」「自分の穴」を求めつゞける限り,つゞくのであろう。ただ,いま井上武吉は混沌の「迷路」から「道」を見いだした。そこにはパースペクティブがある。彼はいまそこに立っているようだ。だがおそらくそこからさらに彼は逃走するだろう。「もとうた」を抱いて。

(三重県立美術館館長)

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