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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1987 > 参考文献 石崎勝基編 井上武吉展図録

参考文献

1.自筆文献+解題

井上武吉 昆虫

(美術手帖 No.1341957年12月

 

 自由美術家協会第21回展出品作に対する解説:この「昆虫でない昆虫」は,精神をジャングルに追い込もうとする近代文明に抵抗する人間の原始的な生命を表現しようとした「人間でない人間像」である;『昆虫』シリーズと人間像の問題については,58年の『個展によせて』及び63年の座談会『戦後美術・新しい言語の誕生』をも合わせ見ること。現代にあっても原始的な生命という概念については,68年の『原始復帰の今日的意味』をも参照のこと。ここでいう<生命>は,個体のそれであるよりは集合的なものと思われ,その点で62年の『不要の彫刻』等に現れる<物質>の概念と比較し得る。

 

個展によせて

(アトリエ No.378 1958年8月

 

 櫟画廊での初の個展に寄せた文章。現代における彫刻のあり方について述べる;『昆虫』『幼虫』は,社会機構に閉じ込められた不協和な現代人のグロテスクな仮面である。彫刻は合理と非合理,内部と外部を統一させることによって,固有の機能を発揮する人間性を発見し,新しい空間とそこにおける時間とを誕生させる;二元の統一による場の形成というイデーには,後の井上の制作の微かな予告を見ることができるかもしれない。また井上が単なる「アナキーな思考」を斥けていることが注目される。この点を井上がしばしば<伎倆派>と評されていたことと結びつけられるだろうか。

 

座談会 アンデパンダン展と美術運動の可能性

(美術運動 No.58 1959年7月

 

 アンデパンダン展と前衛,政治運動の問題について討議した座談会:井上はモダニズムからの「脱却の必然性は非個性でみてはあてはまらない。新しい方法論が必要」等と述べている。

 

私の見た円空

(三彩 No.1461962年1月

 

 礼拝の対象である神格として静寂に包まれた従来の仏像に対し,円空仏は礼拝する側の人間たちを表現している。彫り刻む手の過程をあらわにした作品からは,近代の個人主義的な作家としての円空が感じられる。彼を制作にかりたてたのは彼が生きた時代であったとしても,我々に語りかけてくるのは作品そのものである;作品が内包する人間性が評価されており,そこに近代的性格を認めている。

 

不要の彫刻 創作ノート

(美術手帖 No.200 1962年2月

 

 いとう画廊での二度日の個展の際の文章。彼の制作のプロセスを記す;「労作はなにもないものとの対決から始まる」。内部の「ブヨブヨした無気味なもの」,「その原始的な生命」を孵さんと,鉄,非現実,「意識の裏側にある物質」との葛藤をとおして,作家からは自律した鉱物質の生命が誕生する;制作過程における作家の対話の相手としての生ける<物質>の概念については,65年の『集合彫刻』をも参照のこと。ここでの不定形な,「グニャグニャした無気妹な」ものの強調は,この時期の井上の作品のシュルレアリスム的な性格と呼応している。

 

チャドウィックとアーミテージ

(藝術新潮 VOL.13 No.9 1962年9月

 

 鎌倉近代美術館で閃かれた『チャドウィックとアーミーテージ彫刻展』に寄せた文章:両者の作品の見かけの類似にもかかわらず,チャドウィックの暗く冷たい無機質性,いつも監視されているかのような呪縛,<存在(ザイン)>としての相に対して,アーミテージの動物的で温血な触覚,生の肯定,<生成(ヴェルデン)>としての相は全く対照的である;人間とその生を問題とした解釈が施されている。

 

座談会 現代日本の美術の底流9 戦後美術・新しい言語の誕生

(美術ジャーナル No.39 1963年4月

 

 戦後美術における彫刻の問題を話し合った座談会;井上は,敗戦当時画家志望から彫刻に関心を移した頃のこと,ロダンの大きな影響と抽象彫刻が納得できなかったこと,鉄という材料に必ずしも執着しているわけではないこと,昆虫シリーズ以来表現しようとしたのが人間の欲望であること,フォルムの横への拡がりと日本人のものの考え方,ヨーロッパ的な造形性に対して日本人の持っている弱さというものを逆用できるのではないかということ等について述べている。

 

巨大な空白を望んで

(藝術新潮 VOL.14 No.71 963年7月

 

 近況報告;多忙な制作活動から抜け出て外遊し,巨大な空白を体験してみたい:この年の秋から井上は,世界一周の旅に出ることになる。

 

特陳・フランス彫刻を中心に―第8回日本国際美術展を見て―

(みづゑ No.725 1965年7月

 

 上記フランス現代彫刻の特別陳列に対する評;「近代彫刻は量塊から空間を中心とした方向へ移ってきているといわれている」が,これらの作品は伝統的な個人主義―「個人的な所有欲」―から出発した象徴主義の枠内にあるもので,「それ以上の問題に立ち向かう意識をふるい立たせてくれるものはない」;<個人の所有欲>の語は次の『集合彫刻』にも現れる。また前掲座談会『戦後美術・新しい言語の誕生』における,人間の欲望を表現したいという発言をも参照のこと。ここで一般的な意見として挙げられている量塊から空間への移行は,74年の『穴+空間』を経て

 

“my sky hole”シリーズに至る井上の一貫したテーマとなる。各作品の分析は,前掲『チャドウィックとアーミテージ』等でも見られた実存論的なものである。

 

集合彫刻

(新技法シリーズ・彫刻をつくる 美術出版社1965年11月)

 

 技法の解説書の中の一章であるが,随所に井上の彫刻に関する考えを窺うことができる;現代彫刻は,「今まで材料として仕事の手段となっていた物質そのものを,新たにもう一つの対象として,個人の所有欲によって支配する」。そこから「埋没された物質から個人の所有欲をそそる,新しい材料の発掘」を進めてきた。既製のものであれ自然のものであれ,対話の過程で物質は変貌し,それ自体の生命態―<現実>と化す。集合彫刻は「彫刻でない彫刻の場から始まる」。「変革されてゆく過程自体がすでに彫刻である」。他方<作意>のない形態は単なる物質に過ぎない。しかし<偶然を生かすこと>も重要であり,材料にはそれ自身の<質>としての主張がある;前掲『不要の彫刻』と合わせ見ること。

 

対社会関係の緊密度

(朝日ジャーナル VOL.7 No.48 1965年11月21日

 

 東京国立近代美術館で開かれた『在外日本作家展―ヨーロッパとアメリカ』に対する評;日本人作家が外地で活動するのは,社会と作家との関係が日本では欧米ほど緊密でないためである。アメリカに渡った作家は,日本的風土というものがいかに幻想的であるかを痛感することになるが,一方ヨーロッパでは「日本的幻想によって再発見をする例がかなり多い」;井上が後にヨーロッパで活動することになるのを思い起こそう。そして前掲座談会『戦後美術・新しい言語の誕生』での日本的弱さの逆用という提唱を,後の井上の凹型空間の展開と結びつけることができるだろうか?

 

現代風景の一単位

(藝術新潮 VOL.16 No.12 1965年12月

 

 街に氾濫する広告はコマーシャルという目的とは別の次元で,現代風景を作り出す一単位として人々を楽しませている。

 

彫刻と場

(現代美術 No.8 1966年2月

 

 都市全体がモニュマンとして彫刻的性格を持つべきこと。彫刻もまた壁や天井から解放され,都市全体が要求する位置に配されなければならない;ここでの彫刻―建築の相互浸透は,後の井上の制作と確実に結び付いている。また初段での権力と芸術の関係への言及については,前掲『私の見た円空』等をも参照。

 

ルーヴルを立体編集 嘉門安雄編著「ルーヴル美術館1」

(美術手帖 No.263 1966年2月

 

 上書に対する評。最後に,「美術品が本来あるべき所をはなれて一堂に集められ観賞し易くされてしまうということは,それがどれほどすばらしい状況のものであってもなにか重要なものを犠牲にしてしまうことではないだろうか」。

 

現代美術の可能性

(朝日ジャーナル VOL.9 No.25 1967年6月11日

 

 第9回日本国際美術展に寄せた文章。「現代美術は,現代という時間の流れの切断面の生々しい切口に位置をしめる」。その方法として,「日常的で,また人口的な共通記号」が強調される。

 

原始復帰の今日的意味、

季刊藝術 No.5 1968年春)

 

 原始時代の美術は,「手という肉体の一部を通じて生命の謎を少しでも実体として実現させようとする本能にも似た働き」から生まれた。「この謎を映像化することによって,より現実的な環境」が組織された。この点で,さらに,マクルーハンのいう活字時代が観念によって歴史を展開したのに対し,現代は観念による思考ではなく映像による触覚的体験が環境を組織する点で,現代は原始時代の即物的な人間のあり方に復帰したのである:芸術を通しての現代文化に対するある種の肯定,少なくとも肯定の予感のようなものを読み取ることができる。末尾での,モントリオール博のアメリカのフーラー・ドームに関しての内と外を巡る議論は,後のBOXシリーズ,<溢れる>シリーズと関連づけることができるかもしれない。また69年の対談『彫刻が自然のなかに生きるとき』を参照。

 

環境をテーマとして

(美術手帖 No.309 1969年2月

 

 箱根彫刻の森美術館の設計についての一文;このプランは「自然空間をひとつの状態に置き換える環境設計」であり,迷路のように「未知でアヴァンチュールにみちた心理的な不可解なものを体験する」空間である。「ここで行われることは実態そのもののプロセスであり,国定された空間環境ではない」;心理的な冒険の場としての<迷路>については,85年の『心の迷路』を参照のこと。

 

座談会 生活の中の彫刻へ

(サンケイ新聞1969年7月31日夕刊)

 

 箱根彫刻の森美術館の開館に寄せた座談会:井上は「美術館の中で鑑賞するときは,見にいく,それだけですね。それが作品を都市空間の中にとり出して,空間構成の形として出てきたときは,ハダで感じるわけです。見るためにわざわざつくったものではなく,ふれあうものの空間単位として作品があるわけです。『彫刻の森』は,そういうものだと思うのです。それは,いままでの美術館にはなかったものですね」と述べている:井上の美術館観については,前掲『彫刻と場』,76年の座談会『アンチ・ミュージアムに向けて』他をも参照のこと。

 

対談・「彫刻の森美術館」開館 彫刻が自然のなかに生きるとき

(美術手帖 No.318 1969年10月

 

 井上はここでこの設計が,従来の美術館のように壁というものを意識させることのない,「実験の場,作品と環境と人間との自由な交流の場であってほしい」と述べている;壁,内と外の問題については前掲『彫刻と場』,『原始復帰の今日的意味』及び『私の見た円空』を参照。また「自然といったところで,人の手を加えて,いったんこちら側にひきこまないかぎり,人間はそれを自然として確認できないものですし,所有することもできない」という発言については,前掲『環境をテーマとして』にも同様の主張が見いだされる。

 

かたち

(読売新聞 1971年3月20日)

 

 「形とは,もともと見えるものの実体をいうのではない。ものを形として伝えるとき,空間を虚と実とに限定することによって原形が浮き彫りされる。その空間の対応によって生じる形は,それを虚像としてはめこんだ空間を一つの意味に置きかえるものでなければならない」(以上全文+74年の『コンパクトモニュメント“ボックス17”』を予告するような,波型に二つに割れた正方形のカット);物と,物と物との間とが綜合された<場>という,63年の作品に与えられた『間』という題名から今日に至るまでの井上の空間観が凝縮された文章。

 

私にとって<批評>とはなにか

(美術手帖 No.350 1972年1月

 

 上のテーマのアンケートに対する回答:「創る立場と認識する立場によって作用し合うのが現代美術と批評の関係であると思うのだが,それは立場の違いということであって,批評精神ということにおいては共有の意味をもつものでなければならない」。批評は行動的でなければならない,「それがたとえ現代美術と平行するものでなくとも(以下略)」。

 

社会の精神構造を支配した家紋

(藝術新潮 VOL.23 No.10 1972年10月

 

 かって社会の精神構造を支配した家紋はもはやその力を失ったが,「ギリギリの形に引きしばった一点の表象を定形化してゆく必然性だけは造形の原理として今後も生き続けるであろう」。

 

見つめられた時間の表面―マン・レイ回想記

(美術手帖 No.372 1973年10月

 

 64年のマン・レイ訪問を回想した文章;パリの街には歴史の時間が幾重にも織り込まれている―マン・レイの写真作品はその時間を写しとったかのような相を示している。「歴史と現実,時間と空間を見通したとき」マン・レイの眼は,「従来の価値ある美意識を色褪せさせ,価値の再認識を測ることとなった」;ここでマン・レイの作品を分析する際の視覚―触覚という概念については,前掲『原始復帰の今日的意味』,75年の『ある触覚的空間』をも参照のこと。時間の造形化については,81年の対談『彫刻の時間・音楽の空間』,82年の『イメージをいれるもの』をも参照のこと。

 

穴+空間

(美術手帖 No.383 1974年7月

 

 ヘンリー・ムアの彫刻を立体として支えているのは,「穴『空間』の緊張感である」。洞穴の内側にいる者は,個々の物ではなく「穴自体に,立体としての内部と外部を意識」する。ほら穴とは「創られたものである以前に

 

存在していた心理的な凹の部分のことである。…(中略)…この穴『空間』にわれわれは無限の時間と空間を,あるいは宇宙感を,また同時に事物と観念の相互関係による人間ドラマの構造を」感じる。穴『空間』は単に量塊を結ぶものではなく,「立体の原素(エレメント)」にほかならない;ムアについて述べた文章でありながら,後の“my sky hole”シリーズの先取りとなっている。<穴>は形以前の場としての空間のエッセンスのようなものであろう

 

Die Zeit und der Raum des Menschen

(Privatausgabe)1975年3月11日

 

 編者未見。

 

池田20世紀美術館

(近代建築 VOL.29 No.6 1975年6月

 

 芸術はたえず『人間』を原点とする。人間とは「その内側に無をはらんで」時間と空間の中を流されていく存在である。池田20世紀美術館は「自然風景の間にあって,たえず自然を写し取り自らの存在を無にするという作業をしつづける存在であろうとした。…(中略)…それは宇宙における四次元の穴のように吸引力をもつマイナスのスポットである。のみこまれた内界にあっては物は裏返しの存在であり,その内界は裏側から着込んだ洋服のように外と内とを一体化し,同時にそこに生まれるもう一つの時間と空間」。そこで物と人間は「存在の根源を問い直され,洗い直されることになる」;上の『穴+空間』を受けながら,『彫刻と場』他での外と内の問題がここで「イメージのアクロバット」のように反転する。そして以後の井上にとって,問題は量塊としての形から形の内側へと移ってゆく。即ちここでの<無>は後の『天をのぞく穴』での<胎内>,さらに同作品のための図面に見られるはらわたの描写へ展開する。また<プライベートな体験>は同じく<私的な作品>,78年の『個のための空間』,85年の

 

『心の迷路』につながっている。

 

ある触覚的空間 建築家タッソー・カッツェラスとの出会い

(SD(スペース・デザイン)No.130 1975年6月

 

 1972年,アメリカはピッツバーグでの建築家カッツェラスのスタジオ及び彼の作品オープン・スクール訪問の思い出;カッツェラスの建築は「人間の時間と空間を固めたオブジェ」であった。ここで井上は「何層にも重ねられた穴の断面」に注目している。それは「視覚を出発点としながら同時に触覚的な空間としての穴である.…(中略)…彼は地下室と地上の往復運動によって,もっとも触覚的な建築空間の世界を創っている」;カッツェラスについて語りながら,ここには前掲『穴+空間』,『池田20世紀美術館』から“my sky hole”に至る井上自身の思考が重ね映されている。

 

池田20世紀美術館創案

(S-a(建築とステンレス)1975年7月)

 

 池田20世紀美術館設計のための原イメージとそこに付された書き込みが掲載されている;「時間と空間という目に見えないもの,手で触れることのできないものを建築としてとらえようと試みる。凍りついた時間,ゆれたりひずんだりする空間のオブジェ化」,「環境体」,「見えない世界観と見える物体 内側を見透す表面(壁面)」等の言葉が見える;井上の彫刻の建築的性格はしばしば指摘されるところだが,箱根彫刻の森美術館にせよ池田20世紀美術館にせよ井上の文章を見る限り,建築と環境の関係に比して建物内部の構造は必ずしも強調されていない。建物は外から見た量塊として捉えられており,そこに彫刻家の建築という特徴を認めることができるかもしれない。しかし以後の井上の制作において,ものの内側が重視されてゆくことは既に記した。

 

池田20世紀美術館

(インテリア No.196 1975年7月

 

 箱根彫刻の森美術館の「共通の広場という,空間環境としての新しい美術館の在り方をふまえながら,もっとも個人的な美術館,つまり個人から個人へのプレゼントという美術館建築の在り方の試み」がここでなされた。或は,「生きた時間が空間を変値し,また空間が時間を侵食する関係を外側から見,同時に内側をも見てしまうという透かした立体構造そのもの」が問題であり,「行為というものを立方体の箱に変えて,その箱は時間と空間のエネルギーを吸収し,別のエネルギーに移行する試みであった」。

 

池田20世紀美術館

(新建築 VOL.50 No.7 1975年7月

 

 一個の透明な立方体が置かれることによって,風景は音を立てて凝縮し別の風景を孵化させる。壁は内と外の境界であることを止め,「外にいて内を想像させる」。「そこは大空への洞穴であり,大地への洞穴で」ある。「箱は,外と内を時間と空間で結び,透明立体であることを存在とするだろう」;以上幾つかの池田20世紀美術館を巡る思弁は,この建築が井上によって天と地,有と無とが出会う場,<宇宙軸>として捉えられていたことを示している。このような構想は“my sky hole”でも一貫している。また末尾での箱に関する一節は,当時の“BOX”シリーズに結びつく。

 

座談会=美術館の実情と理念 アンチ・ミュージアムに向けて

(美術手帖1976年1月増刊 美術年鑑)

 

 急増する美術館の在り方を取り上げた座談会。井上は彫刻の森美術館,池田20世紀美術館の設計者として出席;両館は結果として建築ではあるが「内側の問題としては,彫刻を創りたいと思っているのかもしれない」こと,ベルリンのナショナル・ギャラリー及びゴッホ美術館のこと,そして「そこへ別の作品を加えることで,空間の密度が濃くなると同時に,そこに置かれた作品は,己の存在の根源が問い直されるような,またその空間に飛び込んだ人間も本質を剥き出しにされてしまうような空間をつくりたい」こと等述べている;近代建築所載の『池田20世紀美術館』をも合わせ見ること。

 

聖なるエロスの空間

(SD No.138 1976年2月

 

 ルーマニアはトゥルグ・ジウの公園のためのブランクーシのアンサンブルに寄せた文章;「純粋な形は<全て>をふくむ。ひとつの卵の形が人間の世界を包みこむことができ,また,ひとつの丸いテーブルが天空や時間をのせることもできるだろう」。「ブランクーシの宇宙は,人間を優しく包みこんで,神に向かう広大な世界であると同時に,もう一方極である人間の内奥に秘められたエロスの世界が多心円的に存在して,四方に通じる道をもつ開かれた至福の世界をふくむものだ」;ここでもブランクーシの空間は,井上自身の目指すものと重なっている。ブランクーシについてほ,81年の対談『彫刻の時間・音楽の空間』をも参照。

 

パッケージされた展覧会 西ベルリンからの報告

(朝日新聞1976年12月6日夕刊)

 

 ドイツ文化庁分館開館時の『イメージ,音,空間』展を中心に記した一文;展覧会全般に新しい問題は生まれなかった。井上はその状況を逆手に取って,人間がパターンに生きる状況を「できるだけ有機的に生々しくしかも抽象性をもって表現」しようとした。「物よりも物と物の間におこることが大切なのだ」;ここでは<箱>が生活のパターン化の象徴として言及されている。

 

Einige Anmerkungen fu(")r die Besucher der Ausstellung

(“BOX.Bukiti Inoue”展 カタログ,Akademie der Ku(")nste,Berlin,1977年4月

 

 私はずっと目に見えないものを捉えようとしてきた。籍は文明の産物であり,人間は生まれてから死ぬまで常に何らかの箱と関わっている―「日常的な事物の整理係から心の財そして神々の保管庫に至るまで」。箱はまた,中身を要求する。我々の夢を呑込み,「幻想の世界のための罠,タイム・マシーンと化する」。大地を一つの器に包み込み,硬直した太陽の下,凍てついた時間に触れたい。「そして,あなたにとって箱とは何なのか?」;何かを含むものであるがゆえに,何ものをも含み得る箱―この考えは,後の“my sky hole”における<穴>においても同様である。但し<箱>の人工性に対して,<穴>はより自然に近づくものと捉えられている;また序文で井上は,「ひとつの展覧会は未知の土地への遠征のようなものである」云々と述べている。

 

Enkele aanwijzingen voor debezoekers van de tentoonstelling

(“BOX.Bukiti Inoue”展カタログ,Hedendaagse Kunst,Utrecht,1977年 10-11月

 

 上の文章のオランダ語訳

 

個のための空間

(美術手帖 No.438 1978年9月

 

 南天子画廊での個展に寄せた文章;「自分を超えるものとの対話の場,人間が別の世界に入れる場を考えている時に,建築と出会」い,「内なる世界への誘導路としての入口,太古の闇の底の降りてゆく階段など,建物の内と外にある,目に見えない作品群を創ったのだ」。その間に文明の象徽としての<箱>に魅かれるようになる。ミイラの本体と包帯の間,「不可能なことを可能にしてしまえる,あらゆる人間の矛盾を囲む場を創ってみたい」;前掲『環境をテーマとして』に続いて,イニシアシオンの場としての<道>のイマージュが現れており,85年の『心の迷路』につながっていく。

 

私と彫刻の森美術館(談話)

(日本美術 No.151 1979年7月

 

 彫刻の森美術館設計の経緯を回想した文章;当初の「彫刻の小径」の工事,「人間が自然を壊す時には,その自然よりもはるかに大きなものを,人間が自然に返さなければならない」と知ること,続く作品を収蔵するための建物の設計―それを単純な箱に決めたこと。「単純な箱型にあたたかみや,さらにはある種のエロチシズムを表現できる自信があった。自然の中に箱はないが,人間の心の中に四角は,丸や三角とともに,最も原始的(プリミテイブ)な造形として潜在しているとも考えていた」;上の文章のプラトニスム,むしろピュタゴリスムが注目される。

 

ぼくの穴掘り彫刻? ヘンリー・ムア大賞展に寄せて

(サンケイ新聞1978年8月17日夕刊)

 

 ぼくの作品は自分をとりまくすべてのもの,個人的感情そして大いなる字留を詰め込んだ穴であらんする。穴を掘るという行為は一方で,今世紀の彫刻の形の否定にもつながる。『溢れるNo.8』は天と地を同時に映し出す「宇宙を呼吸する彫刻」,『天をのぞく穴』は「未来のさけめをのぞかせる作品」である;天と地,過去と未来が出会う<宇宙軸(アクシス・ムンデイ)>―こうした構想がほかならぬ「現代彫刻の証言」として提示されている。次の『天をのぞく穴』でも,「この点があるがために現代の相が明らかになるような」と述べられている。

 

天をのぞく穴-MY SKY HOLE一

(新建築 VOL.54 No.12 1979年11月

 

 箱根彫刻の森美術館に設置された“my sky hole 79 天をのぞく穴”に寄せた文章;たえず人目にさらされるということは,一種の拷問にほかならない。一人になれる場所を望んで,大地に穴を掘ることになった。その穴は歴史と世界全体に対抗でき,しかも包み込んでくれるようなものでなければならない。

 

My Sky Hole

(PEEPHOLE ON THE SKY-My Sky Hole ―,南天子画廊1980年10月)

 

 上の文章の英語訳。

 

Katalog der Exposition“Bukiti Inoue My Sky Hole ―Zeichinungen Projekte Modelle”

(Neue Galerie-Sammlung Ludwig,Stadt Aachen,1981年1-2月)

 

 箱根彫刻の森美術館の“my sky hole 79 天をのぞく穴”のための図面・デッサンを中心にした本展のカタログの図面,クーパージュの図版部分には井上のフランス語による書き込みがドイツ語訳されている;「自分自身のための彫刻。目に見えない,しかし触れることのできる彫刻」。「肉でできた,唯一の内側,そこで人は人間のからだの内側で生き,両性具有であると感じることができる」。「そのはらわたの深みから人が事物を感じることのできる場所」。「…時間と空間はそこでは弾力を持っている」等:<両性具有>の語は,この穴において分裂したものが合一すべきことを,「弾力…」の文はそこが日常とは異なる原初的な時空であることを示している。作品であるところの<人間>は,古来の<原(アントロ)-巨人(ポス)>のイマージュの系譜に属するものと見なすことができよう。

 

Catalogue de l’exposition“Ouvrage d'art ┼ art.Appel d'ide(')es d'artistes pour le viaduc des Egratz en Haute-Savoie

(Centre George Pompidou,Parjs,1981

 

年6-7月

 

 オート・サヴォワ県エグラツに建造された大陸橋を完成すべく,<芸術作品>が公募された。本展はそれに応じた11人の作家のプロジェクトを展示したもので,カタログには各作家の説明が掲載されている;井上はこのモニュマンを「進歩と自然への愛との和解への意志を証言する」ものと考え,「世界の中心」として構想する。また「日本の庭園から想を得て」,アルプスの自然の本質のみをトロンプ・ルイユで表そうとした;ここには井上の,作品と環境を一体化させようとする傾向が顕著に現れている。作品は天と地を映す宇宙のモデルと化する。

 

対談 彫刻の時間・音楽の空間

(湯浅譲二 音楽のコスモロジーへ 青土社 1981年12月)

 

 作曲家湯浅譲二の対談集の一章(もと『ハミング』に1980年連載);井上は,日本の文化がサービス過剰であること,作家は「つくる前は非常にロジカルな問題を持っていながら,できてしまったものを解説すると論理的でなくなる場合がある」こと,彫刻の森美術館の『天をのぞく穴』について,時間の問題とブランクーシについて,作品は<祈り>でなければならないこと,時間の問題と自作の映画のことなどを話し合っている。同書中他に大橋也寸,山口昌男との対談の中で井上のことが言及されている;前掲『見つめられた時間の表面』,82年の『イメージをいれるもの』及びここで時間は,常に空間と相即したもの,そして無限を内包するものとして捉えられている。

 

“my sky hole 81”イメージをいれるもの

(SD No.218 1982年11月

 

 “my sky hole 81”の美ヶ原高原美術館への設置に寄せた文章;「人間は生まれてから何年生きても,自分が生きていると意識が目ざめるまでは,時間は眠ったままだ。意識した次の瞬間に何かが出発し,それがイメージになって,そのいれものを創った時にはじめて,自分の世界が始まる。この世界には枠がない。24時間で,何億年生きたかも知れない。…(中略)…時間を創ることが創造だと今は思っている」;刹那が劫を含み,永遠がひとときである原時間─このような構想は,美ヶ原そして大和生命,広島,東京都美術館の各my sky holeにおいて万象を映す球形の鏡─因陀羅網,ライプニッツのモナド,ボルヘスのアレフ…─として表現される。

 

枠と自由

(武蔵野美術大学だより No.9 1983年7月7日

 

 ヨーロッパからの美術動向報告(1982年12月づけ);ドクメンタ展,ピカソ,美術見本市(FIAC),チェコの作家シモトバ,ポーランドのアバカノビッチ,アンナ・プリュクナル,ドイツのアドルフ・ルター,ロドチェンコ展などについて言及する。想像力によって何かの枠から自由にならなければならない;井上の社会的な関心が色濃く現れている。58年の『個展によせて』が,現代という時代の<密室の壁>について述べていることを想起しておこう。また“my sky hole”について;「外から見るのじゃなく,中に入らないと分からないことがあると思うのだ。…(中略)…作品の中に時代も歴史も自分の下意識までも柔らかく閉じ込めたい。…(中略)…そういうものを全部ひっくるめて,僕の作品の中に僕自身が入っているつもりなのだ」。

 

ぼくの原風景

(井上部吉新作展カタログ 東京都美術館 1985年6-7月)

 

 「ぼくの生まれた室生村」,「居心地がいい」谷の横穴,そこに潜ると「とつぜんいろんなものが見えてくる」ことなど,「こういった本能につながるイメージをまるごと作品にしてみようと思った。もっとも個人的な空間を」。

 

心の迷路

(美術手帖 No.546 1985年7月

 

 東京都美術館での個展に寄せた文章;「マイ・スカイ・ホールというのは,ぼくの入る穴のことだ…(中略)…無限大にして無限小の世界である」。「この穴は地上にあったこともあるし,空に浮かんだこともある」が,「ただ,穴に入るためには道がいる」。道は「宇宙規模の大迷路にも通じ」,「時間の層をつかまえる罠でもある」。しかしまた,「ぼくの」マイ・スカイ・ホールは「一人の人間が生きるための経験空間なのだ」。

 

戦後彫刻の一つの終り へソリー・ムーア展に思う

(美術館ニュース No.394 1986年6月

 

 ヘンリー・ムーアは「人体彫刻に自然をもちこむ」ことによって,「原初性と壮大さ」を獲得した。しかしヘンリー・ムーアの「彫刻」を離れ,「空間によって現代社会の構造をからめとる」ことのほうが必要に思われる;74年の『穴+空間』を想起せよ。「空間の作家」としての立場からムーアに対して距離が置かれているが,井上の主張そのものは一貫している。ここでも「あの穴がヴォリュームに生命をもたせ,作品の次元を大きく飛躍させている」と述べられている。

 

マイ・スカイ・ホール85-7

(札幌芸術の森野外美術館図録1986年)

 

 上の作品についての解説;「この作品の出発点は,『地の中にいて,空を眺めていたい』という希みだった。/母の胎内に浮かんでいた記憶。何千年地下に重なる先祖たちの大いなるものへの思い。/人が天と語るための古代の天文台。空に通う迷路,─さまざまなイメージが一つ一つ作品になってゆく。/人が天と語らい地の魂をよびさますための罠でもある。ここにしかない自然と光の謎への門である」(以上全文)。

 

 

2.論評・記事

国内で発表されたものに限る。海外での文献については1985年の東京都美術館個展のカタログを参照せよ。

 

*取り上げられている展覧会・作品等を記す。
美術批評 No.47 1955年11月 美術時評 針生一郎 *自由美術家協会第19回展
美術手帖 No.134 1957年12月 特集秋季展覧会その2 対談評4 柳 亮

 

針生一郎
*自由美術家協会第21回展
藝術新潮 VOL.9 No.8 1958年8月 個展 針生一郎 *櫟画廊個展
美術手帖 No.145 1958年8月 井上武吉「昆虫・眼」 中原佑介 *櫟画廊個展
みづゑ No.643 1958年12月 秋の公募展から 中原佑介 *自由美術家協会第22回展
みづゑ No.656 1959年12月 秋の公募展を見て 岡本謙次郎

 

野芳明
*自由美術家協会第23回展
みづゑ No.668 1960年12月 秋の団体展から3 江原 順 *自由美術家協会第24回展
美術手帖No.182 1960年12月 特集秋季展覧会2彫刻 展望と選評 植村鷹千代 *自由美術家協会第24回展
井上武吉彫刻展カタログ いとう画廊 1961年11月 井上武吉 作品 江原 順  
The Mainichi Daily News 1961.11.7 Mysterious creatures by sculptor Inoue alive Timothy Haris *いとう画廊個展
読売新聞 1961年11月13日夕刊 鉄板の重層によって生育する空間を創る 井上武吉個展 中原佑介 *いとう画廊個展
朝日ジャーナル VOL.3 No.47 1961年11月19日 四つの個展から<岡本・難波田・福井・井上>   *いとう画廊個展
美術手帖 No.197 1961年12月 秋季展2選評 自由美術 原田 実 *自由美術家協会第25回展
みづゑ No.681 1961年12月 秋の都美術館3 伊東 繁 *自由美術家協会第25回展
[同上] 画廊から<10月初旬-11月初旬> 江原 順 *いとう画廊個展
三彩 No.146 1962年1月 街の展観 江川和彦 *いとう画廊個展
美術手帖 No.200 1962年2月 現代日本の作家 井上武吉 江原 順 *いとう画廊個展
美術手帖 No.206 1962年7月 座談会 現代日本美術展 岡本謙次郎

 

中原佑介

 

針生一郎
*第5回現代日本美術展
みづゑ No.688 1962年7月 第5回現代日本美術展に思う 柳 亮  
藝術新潮 VOL.14 No.2 1963年2月 井上武吉「間」 中原佑介 *第5回現代日本美衝展
読売新聞 1963年2月15日夕刊 鉄の料理人 期待されるサンパウロ出品 井上武吉 (南) *第7回サンパウロ・ビェソナーレ
京都新聞 1963年3月12日 奇怪なコン虫 井上武吉「孵化」    
美術手帖 No.219 1963年4月 サンパウロ・ビェンナーレ出品の日本作家たち 奥 英了 *弟7回サンパウロ・ビエンナーレ
毎日新聞 1963年4月1日夕刊 現代彫刻の世界 三人の作家の展観から 本間正義 *第7回サンパウロ・ビエンナーレ
美術手帖 No.222 1963年7月 7 TOKYOU BIENNALE 提言と選評 岡本謙次郎

 

中原佑介
*第7回日本国際美術展
美術手帖 No.254 1965年7月 鑑賞・第8回目本国際美術展 篠田守男  
みづゑ No.749 1967年6月 靖国神社境内に「慰霊の泉」完成    
みづゑ No.750 1967年7月 作家登場 井上武吉 桑原住堆 *靖国神社の「慰霊の泉」,談話を含む
日本読書新聞1967年7月31日 モニュメントの思想 靖国神社「慰霊の泉」をめぐって 針生一郎  
みづゑ No.753 1967年10月 国際画壇をめざす新世代    
みづゑ No.754 1967年11月 空間・光・時間・音響─60年代の日本の彫刻 三木多聞 *第2回現代日本彫刻展
東京新聞 1968年2月5日 この人に期待する(5)井上武吉 土方定一  
サンケイ新聞 1968年12月7日 「彫刻の森美術飴」を設計した井上武吉 きょうの人   *談話を含む
SD(スペース・デザイン)No.56 1969年7月 モニュメントが形成する磁場 高階秀爾 *フジテレビの広場のためのモニュメント
朝日新聞 1969年7月12日夕刊 建物と力強さ競う 力強いモニュメント   *フジテレビの広場のためのモニュメント
サンケイ新聞 1969年7月29日夕刊 世界を変革する電波の象徴   *フジテレビの広場のためのモニュメント
サンケイ新聞 1969年8月18日夕刊 たくみな視覚効果 井上武書「─Ⅹ2」 高階秀爾 *第2回現代国際彫刻展
朝日新聞 1969年12月16日夕刊 ことしの回顧ベスト5 生活環境に“場”見出す 高階秀爾 *フジテレビの広場のためのモニュメント
夕刊フジ 1970年4月4日 観念美から“脱走”の芸術デザイナー 宮崎 健 *日本万国博土曜広場,談話を含む
中央公論 No.1003 1971年2月 影の世界を庸にして 高階秀爾 *富士写真フィルム・ビルのためのモニュメント
みづゑ No.813 1972年11月 第3回須磨離宮公園現代彫刻展 乾 由明  
藝術新潮 VOL.24 No.8 1973年8月 井上武吉の舞台装置   *「テンペスト」「ヴェニスの商人」の舞台装置
彫刻の森美術館 図録1974年 井上武吉-Ⅹ2 69    
美術手帖 No.388 1974年12月 上昇する空間 堀内正和  
近代建築 VOL.29 No.6 1975年6月 井上武吉を建築に誘った人は?池田20世紀美術館を見て 山崎省三  
SD No.130 1975年6月 環境と影像と 岡田新一 *池田20世紀美術館
S-a(建築とステンレス)1975年7月 20世紀のカアバ 堀内正和 *池田20世紀美術館
藝術新潮 VOL.26 No.9 1975年9月 井上武吉のステンレス・レリーフ   *新宿三井ビル一階ロビーのためのモニュメント
SD No.155 1977年8月 箱の中の箱 宗像博道 *ベルリン美術アカデミー個展
[同上] ボックス マルティソ・ブリル

 

森 啓・訳
 
大原美術館2 現代絵画と彫刻 1978年 No.49 井上武吉 ういた箱 大岡 信

 

岡田隆彦
 
美術手帖 No.438 1978年9月 井上武吉彫刻展   *南天子画廊個展,談話を含む
新美術新聞 1978年9月11日 “箱”をテーマに鋭い思考   *南天子画廊個展,談話を含む
夕刊フジ 1978年9月15日 「箱」の哲学を刻む 加藤雅己 *南天子画廊個展,談話を含む
Asahi Evening News 1978.9.15 Awareness of space Timothy Harris   *南天子画廊個展
公明新聞 1978年9月19日 井上武吉展 豊饒な<箱>のイメージ   *南天子画廊個展
朝日新聞 1978年9月20日夕刊 清新な生命力と意外性 井上武吉と丑久保健一の彫刻   *南天子画廊個展
The Japan Times 1978.9.22 The week in art Barbara Thoren *南天子画廊個展
読売新聞 1978年9月22日夕刊 異色の井上武吉展   *南天子画廊個展,談話を含む
サンケイ新聞 1978年9月22日夕刊 不安感と機知の魅力 井上武吉辰 日野耕之祐 *南天子画廊個展
東京新聞 1978年9月22日夕刊 井上武吉展 寺田千墾 *南天子画廊個展
毎日新聞 1978年9月25日夕刊 日本で17年ぶり 彫刻の井上武吉辰   *南天子画廊個展
みづゑ No.884 1978年11月 直喩のかたちへ 井上武吉個展 平井亮一 *南天子画廊個展
現代彫刻 No.22 1978年11月 展覧会   *南天子画廊個展
藝術新潮 VOL.29 No.11 1978年11月 時の人─井上武青─   *南天子画廊個展
Visjon VOL,8 No.9 1978年11月 対極する二つの心理 井上武吉と丑久保健一の発表 朝日 晃 *南天子画廊個展,井上の朝日宛書簡を掲載
箱根・彫刻の森美術館 図録豪華版 1979年 井上武吉 The Outer Space Test Box 1972.4/20─1973.4/19    
美術グラフ VOL.28 No.2 1979年2月 井上武吉展 田村 進 *南天子画廊個展
サンケイ新聞 1979年8月11日夕刊 怪奇な金属の感触 井上武吉「溢れるNo.8」 日野耕之祐 *第1回へソリー・ムア大賞展
藝術新潮 VOL.30 No.10 1979年10月 地下にもぐった現代彫刻─井上武吉の「迷宮」─ 日野啓三 *彫刻の森美術館「天をのぞく穴」
現代彫刻 No.32 1979年10月 現代彫刻の一視野 林紀一郎 *第1回ヘンリー・ムア大賞展
新建築 VOL.54 No.12 1979年11月 体験する彫刻の意味は何処に 「天をのぞく穴を見て 黒川雅之 *彫刻の森美術館「天をのぞく穴」
月刊美術評論 No.16 1980年7月 井上武吉<作家とアトリエ3> 松原(とう)  
池田20世紀美術館 図録1982年 No.89 井上武書 プラスとマイナス 林紀一郎  
藝術新潮 VOL.33 No.10 1982年10月 井上武吉 撮影日記 田沼武能 *談話を含む
中国新聞 1984年12月15日 時空を表す金属の球体 井上さん制作決定   *my sky hole 85-1(広島)
井上武吉新作展カタログ 東京都美術館1985年6-7月 見ることと体験すること…井上武吉 朝日 晃 *井上の朝日宛書簡を掲載
[同上] ベルリンの井上武吉 ミヒャエル・ヘアター

 

(純枝・ヘアター訳)
 
[同上] 井上武吉─天をのぞく穴 ピエール・レスタニー

 

(大橋也寸訳)
 
美術館ニュース No.388 1985年6月 <マイ・スカイホール>への軌跡 河合晴生 *東京都美術館個展
サンケイ新聞 1985年6月21日夕刊 東洋的な空間意識 井上武吉新作展 日野耕之祐 *東京都美術館個展
毎日新聞 1985年6月25日夕刊 井上武吉新作展 田中幸人 *東京都美術館個展
Elle Japon No.41 1985年7月5日 スペースマン・ブキチの創る,宇宙を覗く穴 篠田守男 *東京都美術館個展
朝日新聞 1985年7月6日夕刊 悠々たる空虚空間 井上武吉彫刻展 (米) *東京都美術館個展
サンケイ新聞 1985年7月7日 私の創作風景 彫刻家井上武吉 松村寿雄 *東京都美術館個展,談話を含む
サンケイ新聞 1985年7月16日夕刊 現代建築私譜 自然のなかの建築の存在感 鈷木博之 *箱根彫刻の森美術館
藝術新潮 VOL.36 No.8 1985年8月 井上武吉の胎内めぐり   *東京都美術館個展
芸術グラフ 1985年9月 井上武吉新作展 企画展評論 工藤幸雄 *東京都美術館個展
中國新聞 1985年10月1日 ひとこと   *my sky hole 85-1(広島),談話を含む
読売新聞 1985年10月31日夕刊 井上武吉<マイ・スカイ・ホール> 風景のなかの彫刻85 増田 洋 *my sky hole 85-1(広島)

石崎勝基・編

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