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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1987 > 具象絵画大體 東俊郎 第2回具象絵画ビエンナーレ図録

具象絵画大體

東 俊郎

この世が恐怖に充ちていればいるほど(まさに現在の如く)、峯術は抽象的となる。
此岸的な嚢術は、幸福な時代に栄えるものなのだ。────パウル・クレー

今回の櫃田伸也の出品作のひとつに『通り過ぎた風景』がある。櫃田の作品をはじめてみたひとで、これを具象絵画とただちに感じるひとはたぶん少いだろう。僅かに画面右上をしめる階段と手摺の造形に現実再現のよすがをのこすのみで、この作品を作品としているのは、色彩と形態のバランスにせよ、すばやい運動感覚にせよ、どちらかといえばむしろ抽象絵画に属する構成の力だからだ。ところで、一方、彼の絵画の時代的な変遷と造形言語にすこしでもなじんだひとから、この画面に描かれた色やかたちはけして代数的な記号でなく、具象的な「もの」を喚起するし、もっといえば具象そのものである、という前とは正反対の感想がでてきても、それはそれでじゅうぶん納得できよう。

絵画のほうからも又それをみる側からも、これは矛盾ではない。具象絵画というとき、ふつうその対極に抽象絵画をおいて、そのどちらも明確ではないにしてもともかく定義をもち、それゆえ論理的な操作にたえうる事実のようにみなそうとする風があるが、ほんとうは事実ではない。すくなくとも吉田健一のいう「もし或る事柄がそれと同格に、それと等しくそれ以外のものでもある時はそれは事実ではない。」という意味でそれは事実ではない。いいかえると、具象絵画の集合と抽象絵画のそれの〈積〉の領域は空集合どころか、ずいぶんひろいのだ。

クレーとかカンディンスキーとかモンドリアンといった二十世紀初頭ヨオロッパで、それまでの、というより十九世紀こそが強化し発展させた藝術概念と対をなすミメーシスの牙城に戦いを挑んだひとたちのことを考えてもいい。ヨオロッパの危機を肌身にかんじ、この不幸な時代にふさわしいのはみえるものを描くことではないという洞察によって、sichtbar machen/生成を、その造形思考の核としたクレーにしても、数学的に透明な秩序と同時にいきいきした感情の混沌を兼備するかにみえる音楽を、未来の絵画のほとんど唯一の〈模型〉とみなしたかのようなカンディンスキーにしても、かれらの手が描きだしてゆく形態をなぞれば、抽象ということばの元義(とは、象つまり形をひきだすということだが、)にかえった事物のかたちが画面のあちこちに散らばっているのがわかる。水平と垂直の直線だけによってコンポジションと名づけた作品をつくるモンドリアンは、では一個の異数かといえば、そうともいえない。かれは絶対のリアリティを求めたが、この絶対のリアリティのなかみは、もうひとりのそれの追求者ジャコメッティを想起すればわかりやすいけれど、色よりもかたち、より正確にはものと他のものとの関係である輪郭をめぐるもんだい[セザンヌは色/面を媒介として解決しようとしたのだが、とにかくそれ]に帰着する、とすれば、モンドリアンの具象の樹木から〈抽象〉して最後のコンポジションにいたる一連の作品をみなくても、やはりそこに「それと等しくそれ以外のものでもある」微妙な二重性があるといってよい。他にもベン・ニコルソン、ブラック、ミロ、ド・スタール・・・・・・ピカソはさすがに自分の絵に抽象も具象もないといっているけれど。

島田章三の『手に海老』とか大沼映夫の『大和思考』、とりわけ前者は描かれた対象が二次元的に処理されていても、三次元の世界にもどせばなにになるかは櫃田以上にわかりやすい。より一義性がつよいのだ。海老は海老、蟹は蟹。とはいえ島田が、「以前からニコルソンやタレーの仕事が好きだったから、円や四角の組み合わせには魅力を感じている。円と四角をより複雑に組み合わせ、それを単純化すると空間に奥行がでてくることを経験した」といったり、色彩がきまるのは純粋にテーマとか形によるのだ、自分できめた色はないと語るのをきいて、もう一度作品にもどれば、たしかにそこにある形は他との関係によって、或は自己が自己を限定することで形でありながら、一方、自己以外の形に対しては同格の形であるというより、環境=空間として機能するために、その平面性を逆手にとった多空間の同置、その関係としての奥行(色と形のズレも一役買っているが)をうみだすという意味で、櫃田より知的で構成主義的といえばいえる。形態の自律。人間を描くという抱負にもかかわらず、その人間が形の格子にはめこまれ、呼吸すれば濁るはずの空気すら高山のように澄んでいる、とは希薄で、そこを支配するのは人間的な情緒でなくて、人間のという修飾語を冠した形にちがいない。そこでほとんど言語の問題であるだろうこの人間の条件へ問いかけをやめないとき、そこにあらわれるのは抽象というよりはむしろ概念的な一性格となる。

『花衣』をはじめとする谷川泰広の作品はそれとはちがう概念図、そして通称のコンセプテュアル・アートとは別の、しかし日本の感性にはなじみぶかいコンセプテュアル・アートの一種だ。そこに描かれているのはものであっても、記号的性格のきわめてつよいそれであって、自然と人間についての情報量は零にちかい。世界についてのあたらしい見方を提示するなどということにはほとんど関心のなかった和歌の伝統が息づくかにみえるここで、その現代的な見立てが総力をあげて、ひとつの感情を想起させようとしている。恋と無常がからみあってはかなさばかりを増幅させるかにみえて、その実、呪術的な野性のちからにみちた、洗練された原始の旋律。われわれの国にはこういう表現の長くゆたかな蓄積があるためだろうか、たとえばシュルレアリスムのように、それ自身はやはりひとつの認識の手段として出発したはずの方法も、けっきょく最後は限りなくこの日本のコンセプテュアル・アートにちかづく。谷川のようにすべてが様式化されていなくて、部分は具象のレアリスムを守っていても。月とか花とかいう言葉も同様に、それは記号的なわれわれの心情を撃つ。逆にいえばそれをわれわれは記号として消費する。林武のような画家にいわせれば、たぶん、この種の絵は絵かきの絵じゃないだろう。

絵かきの絵じゃないといわれそうなのは、他に高橋常政『FESTINA LENTE』、川口起美雄『距離の夜(フランチェスカ・ブランデイの肖像)』がある。これに今回出品の絹谷幸二『0氏へのレクイエム(哀歌)』や有元利夫の作品をくわえると、具象絵画についてのあたらしい考えかたがぼくにはみえてくる。ようするに、技法上では油彩一辺倒を排して、フレスコ、テンペラその他の技術を修得し、それらの併用を実験しているといえるだろう。それはすでに有元利夫において一定の成果をあげているが、ぽくの興味はむしろ、混合技法をえらびとったかれらの精神的な側面のほうにかたむく。かれらの造形意識を端的に要約したかのような有元の、つぎの言葉に注目したい。

まず第一に、現実のイリュージョンとして視覚を再現しようというような方向じゃなくて、自然観照から始まりながら、強い平面性への意識があるということです。(略)。長い歴史のなかで絵画っていうのはほとんどこれだったんだな、と思えるぐらい全世界の絵画の歴史のほとんどの部分をこの考え方が覆っていたようにさえ思えるのです。西洋でいえば、ルネサンス以降の四、五百年、日本ではせいぜい百年、視覚再現的リアリズムの歴史ってそんなくらいなんじゃないでしょうか。

そして、これに、たとえばレヴイ=ストロースの、文化人類学者の眼からみたときの藝術観、

民族学者は紀元前五世紀以前のギリシア藝術をみるとき、またシエナ派までのイタリア絵画をみるときでさえ、親しい土地にいるときのように、完全にくつろいでいる自分を感じます。はじめて足もとの地面がぐらつきはじめ、異様な印象が現われるのは、一方では紀元前五世紀のギリシア藝術、他方では十五世紀以降のイタリア絵画においてなのです。

がきれいに対応するのに気づくとき、もんだいは、にわかに一文明全体へとひらけてゆくのである。もちろんこの文明とは、近代ヨオロッパのそれの謂であるので、この文脈にのせれば、いかにも絵かきの絵、つまり「視覚再現的リアリズム」の専制のための恰好の器としての油彩画によって描きだされる藝術の近代はかれらにとって否定すべき、といえばいいすぎでも、再考をうながすなにかではあったのだ。さらにその奥にヨオロッパ以外のどこにもなかっただろう藝術という奇妙な概念の不遜をかんじるなら、いっそう。

家業が繁昌した有年のあいだ蔵の片隅にすてられっぱなしだったひなびた人形による人形劇の復活。人形はふるくても操る手はまだわかい。有元の作品にあるそういった趣は、高橋常政などのなかにうけつがれている、たぶん。眼は凝視することをすて、散歩する権利をとりもどす。画面に呼吸する無数の孔があけられて、そのどこから入ってどこから出てもいいし、また見ても読んでもいい。読む絵画。悪魔のような角をもつ人の口から、空也上人の言葉が変じて仏がうまれたも同様に、F・E・S・T・I・N・A・L・E・N・T・E、悠々といそげがかたられる高橋の作品。書物の表紙に刻されたLICHT UND FINSTERNIS/DIE ERLEUCHTETEN/DIE FREIMAUREREI、光と暗黒、啓蒙、フリーメイソンなどの言葉が、卓上の卵や(ロウ)燭や真珠や三箇の輪や、神秘な星月夜と、そして左からさす光などとおなじ比重で世界をつくる川口作品。これらと発想をやや異にするが、絹谷の絵にもまた、あ・あ・あというためいきと、Ar(r)ivederci、さようならが人間最期の言葉のようにかかれている。

たとえば、ルネサンス以後の西洋油彩画の全歴史を一身でたどりなおそうと、1919年、スペインのマドリッドに留学した須田国太郎の絵画につきまとう孤独や切迫感は、それらの作品から姿をけしている。須田があくまで油彩に固執したとき、それは同時に生活する日本の西洋絵画理解の限界でもあったのに対し、西欧にまなぶものなしと豪語するまでにいたったもはや戦後じゃない日本から渡欧した上記画家たちの必要が、かえってその先の、ヨオロッパがヨオロッパになるまえの絵画技術と表現だったというのは、皮肉なようで、ほんとうは合理的な選択だった。レオナルドやラファエッロをこえて、ジオットとかピエロ・デラ・フランチェスカその他初期ルネサンス画家のもつ一種のプリミティヴへそそがれるあつい視線。それは又藝術が藝術になるまえの初々しさによって仮死の現在からの再生をねがう視線なのだ。そして、この視線がつくりだす絵画の空間は、リアルであろうとする強迫感をすてたぶんだけかるい、とは逆に、この現代人の古楽演奏とおなじある微妙な批評的感覚をはずせば、これもまた記号のように消費されてしまうデザイン的な性質が多分にあるということでもある。固有の方向や力学をもたない記号系としての──

「日本のようにフォルムの厳正を欠いた世界で、アンフォルメルの必要がどこにあろうというわれわれの不満は一向に満たされることなく、事態はすすんでしまったのであった。」と寺田透はかいているが、1951年の「サロン・ド・メ日本展」と1956年の「世界・今日の美術展」を中心に、第二次世界大戦後の日本の美術のながれは、抽象、表現、非具象その他なんでもいいがともかく、写実に反撥し、みえるものをみえるように描くという姿勢をパスカルのように嘲笑し、さけ、わすれようとさえしてきたと要約できる。もっともフォルムの破壊の衝撃のたびに、ごくささやかなゆりもどしはあったけれど。そこで写実絵画の現在は、平安時代に漢詩文の大流行のあおりをうけて色好みの埋木の家にひっそりとかくれた和歌も同様につたえられている、とでもいえようか。

けれど前記寺田文はいまもいきているので、戦後日本の価値真空の空間に旋風をひきおこしたアンフォルメルの必然はそれとして、しかしそれの影にかくれたかの具象、レアリスムの探求が、すべての可能性を開拓されつくしての放棄でない以上、すでにおわったとみるのははやすぎる。有元の又レヴィ=ストロースのいう「視覚再現的リアリズム」の誤謬はひとつのことであり、レアリスムの再検討は別のことだからだ。「日本の洋画家ももう一回リアリズムから出直せばいい。」という井上長三郎の言葉を、坂本繁二郎や須田国太郎や鳥海青児の発言とか画業にてらしつつその含蓄をおもうべきではないか。韓非子に犬馬難鬼魅易、犬馬は難く鬼魅は易し、とある。パスカルに反して、みえるものをみえるように描くのこそ難しいというこころである。ジャコメッティが藝術とは「よりよくみるための手段」だというのも、おなじことだ。

そういう意味で森本草介の『春』をみてもよい。森本とか藤井勉などがアメリカ人アンドリュウ・ワイエスにつながるとして、その画風を描写によりかかった大衆うけのする作品と非難するよりさきに、ヴァレリーの〈真の無秩序〉 をみる限をかりて、櫃田の『通り過ぎた風景』と同一の地平、すなわち無からの創造としてみたほうが親切だろう。そのときやはりアランに倣って、「同時に、いたるところに」いる悟性の多面体になるのでなくて、画家のはたらきは「たったひとつの見かけのうちに精いっぱいに真実を盛りこむ」ことにきわまるといって、その思考の徹底ゆえ、逆に素朴な意見とあやまられても、これをおいて具象も抽象もじつはない。

(三重県立美術館学芸員)

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