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ASOのある絵

東俊郎

麻生三郎のかく絵はだれの絵にも似ていない。いい絵かきだったら、これはあたりまえのようだけれど、ほんとうはとてもだいじなことだ。それは他からの引用にたよらず、みずからつくりだす磁場によって、そしてそれのみによって、ことばを地上一寸に浮きあがらせてしまう麻生の文章の力業によく似ているといってもいい。受けつがれたものがないわけじゃない。継承のことをいうなら、それはふつう以上にあるだろう。その多量にうけたものをちびちびと小出しにしているのでもない。絵をえがくというのが全人的な、からだまるごとの行為であり、しかもそのたびごとの全身のしごとだとすれば、うけとったものはすべてそこにでなくてはいけない。ただそれはなんども反芻されたあげくすっかり消化されて、でてくるときは別のものに変形してしまっている。まったく原形をとどめない。美術史の文脈や引用のかけらをてがかりにして絵をみることに馴れているひとにとって、こういう絵はすこし勝手がちがうことになる。頭注も脚注もない原文がそこにあるだけで、しかもそこにはたらく文法はその場でたえず生成しつつ、みているひとの参加さえうながしてくるからだ。

それだけならまだいいので、ときとしてぽくらにはそれが、どんなふうにもよめない甲骨文字がカンヴァス一面にまきちらされた石碑も同様にみえてしまうことにさえなりかねない。すべてが地であるといえばいえるその画面に、ともかくみなれた図をみつけようとして、うまく焦点があった一瞬、遠近の法をやぶってむくむくと身をおこしてくるものの気配をかんじるのだが、よろこぶのははやく、かたちの変幻する霧のなかのように、再びそれは消えてしまう。なにをみたのか。なにもない白い平面にかえりたがっているのだろうか。それともすべてを包む暗い闇に。それでもどこかへいってしまうわけではない。それはそこにたしかに在るのだけれど、それにもかかわらずみえない。あるものの不在と、ないものの存在とのみわけがつかないという厄介なことが、そこでおこっているだけだ。

だからなんどくりかえしその絵をみても、たしかに麻生の絵をみたのだろうか、という不安をすっかりけすことができない。そんな迷路をゆきまどう視線が、たとえば夕暮の山道のとおくに、たよりなげにではあっても、そこにひとの暮しをたしかにしめす燈火にふと気づくときのように、ASOとかかれたサインにであって、そこで波のしづかな港にはいった船のように一呼吸いれる、ということは、この画家が好きなひとなら、たぶんだれでも経験していることだろう。いったい、どこにサインをいれるかは、麻生三郎のばあいきまっているわけではない。それぞれの画面の気圧と明暗のながれに応じて、そのつど麻生によってえらばれる特異点だからだ。無雑做のようで意外に慎重である。どこでもいいんだけれど、といいながらでもやはりここしかないと固執をひめている風情である。しかしそのことよりも、もっとぽくらの目を惹くことがあって、それは他ではない、一歩をふみだしながら左右にゆれ、酔歩蹣跚といった趣きで、ふるえながらどこまでも持続してゆこうとする線のエクリチュールなのだ。たったいま終えたはかりの困難だったしごとの、羊腸とした内臓的な感覚の余映をのこしながらくねってゆく。その線のあしどりがぬかるみのなかにおのずからASOという信号を発している。

それはとてもうつくしい。泥水からあたまをもたげた蓮の花のように、といってもいいが、麻生のばあいその泥もその花も根はひとつにつながっておなじである、ということの、これ以上の表現のしかたはないという意味で、絵によって描かれてゆくせかいとの不即不離の関係においてうつくしいのだ。うつくしいだけが絵ではない、という真実を知った絵のうつくしさ。他に例をさがすなら、もったいぶったひとから形而上学的といわれることがある坂本繁二郎の絵のなかに、ひらかなでやさしく記された「さかもと」という署名や、画面の暗い闇の奥には手のつけられない野獣がうずくまっているかもしれない須田國太郎の、朱で一字簡潔にはいった「須」の著名とおなじように、うつくしいなにかに触れた気にならせてくれるので、そのどれもに、生きることのぬきさしならないちからが気となって集中していることをはからずも暗示する、これはしるしなのだ。それぞれの一生がかかっているのだから模倣しようとしても絶対にまねることはできない。それは犯しがたい気品といっていいくらいなので、麻生の絵はどれもそういう気品にみちている。鬱屈してむごたらしくくらいとみえる外貌も、あとはみるひとが一枚めくるだけで、灰色をやぶってほころびだす緑のちからにともなわれたその気品が、もうそこまできている。おかしいだろうか。これは思いつきではなく、奇をてらったことばでもなく、そしてASOのサインはこの気品、すなわち、生きることのぬきさしならないちからに触れるために、再び画面へとぽくらをみちびく澪標となる。

展覧会で絵をみる。たとえそれが一枚の絵でも、それをみることはほんとうはやさしいしごとではない。無意識のうちにはたらいているそのみるとはどういうことなのか、いったんかんがえだせば感覚と認識のはてまでゆかずにいられないし、そこまでゆけば最後にはものとことばが互いに互いを消しあわずにいない、厄介なちからの源から発する引力のなかに自分もまたいることに、その当の絵が気づかせてくれれば、のはなしだけれど。逆にいうと、そういう風にはたらきかけてくるのがいい絵なので、それならもう一歩すすんで境界をこえ、ものが存在するとはどういうことか、というところまでぽくらをひっぱってゆくことにもなる。レオナルドやセザンヌやジャコメッティはそういう絵を描いた。そう描きたかったからではない。せかいはこうであるはずだというかれらの予測を、みごとにうらぎる暴力的なちからのやさしさに、みずからをあずけてそれを信じたあとで、かれらの手はそう描くしかなかったのである。

ものが存在するということは、とても不思議だ。かんがえだすときりがなくなる。そこに神秘をみた岸田劉生の感覚にはやはり尋常でないものがあった。ところで、みえる/みるという視覚についてもそれに劣らず不思議なはたらきがかんじられる。光と色とは別の概念となってしまったが、それはいつ思いあがった科学者の浅知恵となるともしれず、みる/みえると存在とのあいだの関係もそんなにかんたんではなくて、じつは光と色、シニフィアンとシニフィエ以上に別のものではない。光という鏡がなくてぢかにむきあうほうが、じつは双生児だったとすぐわかってしまうかもしれない。すくなくとも画家にとって、みる/みえることと存在することは、紙の裏表のように切りはなせないし、みわけがつかないというかんがえのほうが、よほど自然のようにおもわれる。

まわりみちをしているようだが、そうではない。麻生三郎の絵をみるというのがそんなにやさしくないことと、その理由を、はじめにもどってみておきたかっただけなので、いうまでもなく麻生は、いま語られつつある或る種の画家たちの一族に属している。たとえば、かれがかいた文章には〈レアル〉ということばが文脈におうじてかたちを変えながら頻出するが、それらはすべておなじ場所、すなわち、みる/みえることと存在することをめぐるこの造型思考にふかく根ざしていることは疑えない。〈レアル〉をめぐる闘いをたたかうこと。セザンヌもジャコメッティもそのことのために一生涯をかけてしまったのだが、麻生の足どりもまた、いままでのところはそうである。これからだってそうだろう。

  このような仕事はどこまでつづいてゆくのだろう。まったく生のおわりまでくりかえしつ
  づいてゆくだろう。(「これまでとこれからのこと」)

これはまったく麻生的なことばだ、と、うっかりかいたあとで、まてよ、これはジャコメッティがいっても全然おかしくないと気づいた。穴のあくほどモデルをみつめにみつめて、一日の終りにすこしはものがみえるようになったと満足して筆をおくが、次の日になると、これではまったくだめだ、全部はじめからやりなおさなければいけないと、また前日のごとくまっしろな紙にむかったあのジャコメッテイ。どうやらみかけよりははるかに深い根のところでこの孤独なふたつの魂はつながっている気配である。まったく十年一日のように麻生はしごとをしている。おなじテーマをくりかえしてあきない。それでも、あとからふりかえれば、そのしごとは直線でなくゆるやかに湾曲して、ひとりの男から女へ、そして女は母となり母子となり、やがて子供があらわれ、子供のむこうに街や樹が家族とともにあらわれてくるし、一つのものは二つになり、その二つのものも即物的な対象のあとで、固有名をはがされ、もっと普遍性をおびた方向へとむかってゆく、ということがわかる。そのあいだで麻生三郎じしんは変わったようで変わらない。時間はいつもそこにある。年齢がそれをおいこしてゆくだけだ。

  描きつづける。呼吸しているようなものだ。心臓が動いているようなものだ。紙に鉛
  筆で描いたからデッサンではない。油絵でも粘土でも、なんでもカタチをつくることは
  デッサンだ。描かなくてはいられない。生きつづけられないから描いてゆくのだ。す
  こしもやすむことはない。生まれたときからつづいているのだ。つながっている線だ。
  線はとだえたことがない。俺は俺の線をどんなことがあっても引いている。そのような
  ものが絵だし、デッサンだ。(「デッサンを描く」)

からだをまるごと通過したものだけが絵になるという麻生の流儀は、給におしえられた生きかたぜんたいに及んで、文章をかくばあいは別ということになっていない。ことばがことばを生みだすのではなく、うちから押しあがってくるちからだけが肝心なのだ。この生理のちからの風むきによって勾配や起伏がかわれば、それにしたがうから、そとにでてくる文法は骨折して、ゴツゴツしたものになってしまうけれど、ことばと身体の距離はとてもちかくなる。ことばは皮膚のように身体にぴったりはりついているのに、かえって、深いところからやってくるそのちからを暗示している。自然から自然へつながる装飾なき文体だ。だから意味のながれより意味のつよさが、はっきりみえることにもなる。せかいのうえをすっぽり覆う意味の網ではなくて、せかいの破片。けれどせかいがその真の姿をみせてくれるのは、むしろこっちのほうだろう。破片がせかいであるといいたげな麻生三郎のかく文はどれもいわば清潔な独断であり、おもいがけないところでみごとなアフォリズムの不意打ちをくわされることになる。ともかくしばらくは接続詞と形容詞をきりすてた麻生の文章をみてみよう。

  一つのものを充実させることはその関係である無数なものを同時に描くことだ。(「構図」)

  一つの線が引かれることはその画家の全部がそこにあるといえる。(「平面とはなにか」)

  手のとどく範囲の空間感が把握されれば、そのことと同じくすべての自分とのひろがり
  に対する関係は変わらないであろう。(「闇の触覚」)

  二つの対立のある目がなければ、そして片方の目が片方の目をのりこえなければ現
  実は正確には見えないし、つかめない。(「レオナルド・タ・ヴィンチ」)

  なぜ人間には二つの目があるのかということ、二つの目は同時的にはけっして働かな
  いということ、一方では肯定し一方では否定しているということ。(「絵画と人間」)

  主観の強い画家でなければリアリズムというものは発展しない。(「青木繁の芸術−うたいあげた近代の青春」)[注]

  わたしの目だけがとらえている存在といわれる自然、それは自分の目が自然でなけれ
  ば見えないものだ。(「自然への問いかけ自然からの問いかけ」)

  それらがそこに在るということだけでたいへんむずかしいことなのだ。ひろがりというこ
  の生きものは不可思議なものだ。(「闇の触覚」)

  そのわたしでない空間そのもののなかに「そのもの」は存在している。(「私は何と対決しているか」)

  その空間は生成する生物の、または人間の知らない力の時間のつみかさねのつきるこ
  とのないながいいとなみのながれをさしている(「平面」)

  人間が生きものであると同じくあいだのなかみも生きものであるから、ゆれ動き興奮し
  激昂し惨憺たる気持でもあるがために、固定したものではなく、固定した考え方では
  掴みとることは出来ない。(「赤い空」)

  立体には形態というものがない。形態はただ造形によってはじめて誕生する。
  (「構図」)

  絵画が私をみている。(「二つのリンゴ斜線考」)
  私は曲線であって絵画は直線だし平面である。(「二つのリンゴ斜線考」)

  内部で対立しているものがあるのに、絵画と私が血族であるはずはなく、はじめから私
  自身の内部で対立している。レアルだという意味がここにある。(「絵画と人間」)

  私はモヤモヤをおしつけようとし、絵画はその全部をはねのけようとする。そしてすこし
  ばかり画面に定着するところのなにものかが絵画の骨としてのこってゆく。(「赤い空」)

  「一枚の絵」をきめるわけにはゆかない。「一枚の絵」よりもわたしの立っている場所が
  気になって、その気になることを解決してくれる「一枚の絵」を自分のなかにみつけるこ
  とだ。(「問いにこたえる」)

  外側のカタチをきめれば内側のカタチが生まれる。内のカタチを決定すれば外のカタチ
  ができる。といった関係が最も自然な状態で、一つのカタチがきまっている。(「闇の触覚」)

  平面におけるかたちというのは多角的な視覚によって決定的に位置づけされた面のこ
  とだ。(「自然への問いかけ自然からの問いかけ」)

  画面のなかでは面の位置を正確にしなくてはならない。(「平面」)

  リンゴ二つを描くことはむずかしいのだ。リンゴ二つ描くことが出来れば群像を描くこと
  が出来る。(「これまでとこれからのこと」)

  斜線は画面のうちに向って進む空間のひろがりに対して、それだけの力かまたそれ以
  上の力が画面のうちがわから外部に向って進行してくるその力の均衡を必要としてい
  る。(「構図」)

  画家の視覚が固定しているとき斜線は知らぬ間に画面にあらわれる。すべてのもの
  が立体だからである。(「構図」)

  斜線のその空間のなかみの追窮はレアリズムである。(「赤い空」)

  現代絵画が軸は已にあるために斜線という現実とは無関係になっている。(「二つのリンゴ
  斜線考」)

  現代の絵画の性格は絵画の合理主義がそのまま機械化され記号化され非人間像化
  されている。それを我我の間では近代的なというが、それはカンバスというせまい空
  間に人間の頭脳がしばりつけられているということだ。(「平面とはなにか」)

  見ること、感動することが出来てもその質が存在しないものは、どうなるかということだ。
  ないものがそれがあるのだということにはならない。たいへん感動するがその質はな
  いのだということなのだ。そしてないものはどうなるのかということだ。ないものはだん
  だんになくなる。(「問いにこたえる」)

  西欧の絵画の底部が黒であること、いちばん下の部分は闇であること、それで暗い闇
  の上に明るいあるいは暗い色や形ですみからすみまで徹底した人間の意志の構築で
  あること、(「レオナルド・タ・ヴィンチ」)

  方法はAがAでなくてはならなかった。AがBの方法では出来ないということであっ
  た。(「これまでとこれからのこと」)

巧まずにうまれたユーモアがあり、おもいがけない恐怖があり、達観と覚悟があり、目から鱗がおちるほどの卓見があり、超自然の感覚と曖昧があり、曲率の歪みも矛盾もあるこれらのひとつひとつは、切りだされたばかりの原石のように、へたな細工は無用といいたげな勁さで、ぼくらのまえにごろりところがっている。だからぽくらに残されているのは、くりかえしなんどもよむことだけである。ちょうど麻生の絵のばあいがそうであるように、よけいなことはせず、これはこれでそのままずっと眺めていたいとおもわせる光景である。

  わたしの目だけがとらえている存在といわれる自然、それは自分の目が自然でなけれ
  ば見えないものだ。(「自然への問いかけ自然からの問いかけ」)

ことばの捻れから果物の汁のようにしぼりだされてくるもの。だいじなのはそれで、あとはことばとともにすてていい。まったくからだの外と内のふたつをふたつながらよくみているひとだ、と感心するしかないその視線なのだが、それは、ほんとうは存在するのかしないのかさだかではない内外のさかいめを、なぜかしら自由にゆききする秘術をこころえている、とみえる。キュビスムの絵をかくピカソの目より麻生三郎の目のほうがもっと不思議で、もっとたしかな気がする。かれじしん目/みることにつよく固執することがあるのは、引用文からよりもっとぢかに、その絵の凹凸に隠顕しつつこっちを凝視する目玉がひかっていることから想像できようというもので、それはかたちをというより明暗をみている目の明暗であり、そうであればもうみることの領域をこえてほとんど感じることとみわけがつかないといっていい。

  あまりひどい痛みにてなにもわからない。自分の寝ている場所も判らない。目を明け
  ても塞いでもただばけものが見える。それは奇怪なかたちをした苦しみのいきものの
  集りであった。ただ蠢く人間たちであった。それらのかたちには直線的なものはなく、
  みな曲線によってかたどられていた。その曲線はうねうねとして動き、わたしの呼吸と
  いっしょにうごき、その蠢くばけものたちはわたしと一緒にいきをし無表情にただすこし
  の運動に苦しみつつただ動き動き、血もありたくさんの手の集りのごとき部分もあった。
  (「平面」)

壁をみていたらこんな風にみえた、という文の前後の手足を切ってみただけで、麻生の絵につうずるちょっとコワイ迫力がでてくるが、もうすこし穏やかにいいかえることもできる。

  目をあけても塞いでも奇怪な形態の生物がむらがり見える。ぐらぐらと曲線にゆれて
  見える。ものの形態がゆれて感じられるのは私の呼吸や鼓動のためであるのか、から
  だがひどく疲労しているとき白い壁は平面には感じられない。(「平面とはなにか」)

みることの想像/創造力。或はみることと想像/創造力。そして想像と創造をひとつにむすびつけているちから。もんだいにしたいのはそういうことで、べつに幻覚のことではない。麻生の目は幻覚をみるにはすこしリアルすぎる。ところで想像力がつよいほど、ひとは過剰に恐怖にかられるといったのはスタンダールだった。だれにもみえないなにかがみえてしまうそれは詩人の特権、というより、そんな風にかすかな気配でも元手があれば、そこからどんな怪物でもつくりだしてしまうというのは、じつはそれこそ精神が精神であることの生理というものなのであって、たとえばアランはまたべつの比喩によって、この事情をみごとにかたってくれたことがある。

いいかえると、ここでだいじなのは麻生に「ぱけものが見える」(かどうか)ということではなくて、「ぱけものが見える」とかたる、そのかたりによってはじめてみえてくる、なんというのか、かたちになるまえの原形質のその質のほうなのだ。えがかれた画面の明暗にむかう光と闇が通過してゆく魂のトボス。麻生三郎という現象の素粒子域の風景とその絶対温度。いや、それではなんだかむずかしそうだから或はもっと端的に、幼児のころの夜の闇にたいする感覚をおもいだしてみるほうが、ずっとちかづきやすいだろうか。だれでも記憶があるとおもうが、こどもにとってせかいは不可解だ。とりわけ夜の闇というやつ。あれは不可解のうえに不気味でさえあって、夜中にふとめざめると暗闇がそれじたい生きもののように息をひそめているのが突然わかってこわい。部屋のすみのあたりはひときわ濃密な気配がして、風がふいたりするとその黒い手がぽくらの首すじまでのびてくる。ぱけもの……。ふりかえってみれば、あの気配の感覚によってぽくらはせかいというものにはじめてであったのであった。いったん感じたあとで、むしろそれを忘れるための通過儀礼なのかもしれない。そしてじっさい、ひとはせかいが不気味であることをやがて忘れるようになる。

麻生三郎はちがう。かれの感覚はいつまでも変わらなくて、こどものそれや動物にむしろ似ているといえばいえる。空間がどこを切っても等質等量の線遠近法になっていない。もっともその透明な空間なるものは、ほんとうのことをいうと頭がみている空想にすぎず、目がみている空間はじつはすこしそれとずれているのに、だれもが、目より頭を信じなさいという宗教にしばられているだけだ。自由のことをいうなら、どこにも気配を感じる麻生のほうがかえって自由だとみたほうが、せかいはおもしろくなる。渡り鳥のようにひとも空間が濃淡ににじんだ、のっペらぽうではない風光とみることはできるのだ、ということをやってみせてくれたのが麻生であった。じっさい、かれの絵は、そういう空にただよう気の物心ふたつながらの気圧の変化ということにとても敏感な絵だろう。もっとある。こういう鋭敏さはじっさいの地形をみるばあいもおなじようにはたらくのは道理で、麻生の目をかりると、路なら路がもっているほんのわずかな勾配や蛇行、ひろがりといった表層の凹凸はもちろん、それに隠されていてみえにくい地形の骨の髄にいたるまで、手にとるようにあばかれてしまう、ということになる。

ないものをあるといっているのではなく、そこにあるもののあるという状態をそのとおりにみて、あるという。或はそれを描くことによってある、ようになる。そんなすべてを風水の目にみえない精たちや天地の霊たちがよりつどった気配にみちる、などとついいってしまうのは、それが比喩であるともいえるし、いや比喩をこえたちからがはたらいているともいえるからだが、それはそれとして、もうひとつ、そこにたちあらわれてくる気配なるものが、さいごにはどうしても人間に似てしまうところが麻生三郎の麻生三郎らしさだということも、ここでいっておきたい。なぜか、とかいたがその理由ははっきりしている。気配なら気配がとりついてかたちになろうとするその核になれるのは、かぎりなく自然とみえて、しかし自然がもつことはない生命のちからの根をにぎってはなさないひととその影以外では、ぜったいにないからである。ばけものは人間になりたがっている。まだしばらくは大地の凹凸の肉や地脈をながれる血や、風の息、また夜の闇でもあるところの、このひとの姿を模倣して形態のレッスンをやめないものこそ、そこに息づく気配となるのである。絵はそこからしか生まれないのだが、まだうまれているわけではない。そういう蠢動しはじめたすべてをかかえながら、まだしんと静まりかえる画面の虚無に似たしろさを、麻生はこよなくうつくしいといっている。

はじめに線があった。まっしろな平面を傷つけるかのように、しかしフォンタナのようでなく、くねくねと、あのASOのサインのように傷をいたわりながらくねくねとひかれる線があった。もっともそのとき、線をひくのは麻生だとして、ひかれた線はもはやわたしではない、と麻生はかんがえている。わたしとわたしではないものの分水嶺をたどるとそれが線になるのであって、つねにふたつのちからからひっぱられている。ほんとうは線のこちらとむこうで麻生と自然とはとっくみあいをしているのだ。でたりひっこんだりする。くらくなったり明るくなったりする。麻生の線がけっしてものの輪郭なんかを狙ってはいないそのおなじ理由から、それは又けっして一本では決着がつかなくて、線の上に線が無数に無限にくりかえされることになるのだが、とはいえ、たった一本の線がひかれたときでも、それはそれで、そのときの全体を暗示し、全体が均衡していることのしるしなのだ、ということもわすれてはいけない。それと同時に、矛盾するようだが、すでに全体があるのだからもうじゅうぶんということにもならない。けっして閉じることのないたたかいの弁証法にしたがって、麻生と自然のあいだにもういちど線がひかれる。せかいはいったん否定されてふりだしにもどる、とみえたときすでに、あらたなせかいがうまれている。うまく否定すること。そしてへこたれるまでなんども否定すること。そうしなければ、深さもあつみもないのっペらぼうでおわる。

麻生の絵もデッサンも、みんなこんな風にしてできていて、そしてできてしまった絵やデッサンは、もういちどいうが、けっして麻生ではない。そこから、

  絵画がわたしをみている。(「二つのリンゴ斜線考」)

と飛躍するまではほんの一歩にすぎない。このいいかたは、「絵画(としてのわたし)がわたしをみている」という再帰的な命題とみかけがとても似ているけれど、これを混同するとはなしがむづかしくなる。麻生と絵はどこまでも他者なのであると、きっぱり切っておくほうがよくて、そうしなければ、絵であるじぶんによって自家中毒におちいる危険につねにさらされただろう。だから、麻生三郎のどれかの絵をみて、ぼくらの目がむこうへはいってゆけずにはねかえされることがあっても、それは麻生がはねかえすのではなく、麻生も又ぽくらとおなじように、その画面からはねかえされているとかんがえたほうが、麻生にとって親切だし、すじがとおる。描かれてしまった絵をまえにしたとき、それを描いた当の麻生とぽくらは、絵とのかんけいにおいて絶対に対等なのである。

すでに絵はわたしではない、とすれば、ではわたしは、ということになる。そこまできて、ぼくらは麻生のこんなことばにぶつかることになる。

  私は曲線であって絵画は直線だし平面である。(「二つのリンゴ斜線考」)

もっともふかい真実は寓話でしかいえない。これは数学のことばをかりて絵のことをかたったみごとな寓話になっている。もちろん、曲線も直線も平面もそのもとの意味を換骨奪胎されてもっと人間的な表情をあたえられているのだが。ぽくはなぜかこれをよむたびに、熱さにたえかねて豆腐のなかにもぐってゆくドジョウのユーモラスでもの悲しい姿を、そこにかさねておもいだしてしまうが、ひょっとしたら麻生さんもじぶんをふりかえって、そんなようなものだとつぶやいているかもしれない。ともあれ、これはおもわず絶句するしかないはだかのことばなので、単純きわまりないこの一行に、表現することの真が、暴風によってすペてが剥ぎとられたあとの地層のように露出している。

ひょろひょろとあぶなっかしそうなのに足はしっかり大地をふみしめている。こわれそうでこわれない。暗いだけなようでそうではない。きたならしそうななかにうつくしいものが光っている。自分にだけこだわっていそうで、ほんとうはだれよりも普遍へひらかれている。いっけん冷徹な視線の奥にあつい魂のかたまりがある。神経質とみえて、じつはせかいをおおきくひろく感じさせてくれる。油絵のマチエールもヴァルールもしっかりした職人のくせに野性のままのような顔をしている。やぶれかぶれといいながら深い洞察にみちている。人間嫌いにみえて、まったくその反対の、画室にひとりあることによって、せかいの動静に耳をすますひと。そのひとの絵は難解で晦渋で、怪奇でも不気味でもあるが、それはせかいがそうだからだ。しかしそれらのすべてを撥無して、ただそれとしてそこにある。それは、ただそこに在ることの不思議をかがやかせた絵だ。そして、ただそこにある絵は、ただみればいいのである。

それならそれを、麻生三郎が私淑しているらしいルオーとジャコメッティにならって、つよい絵、現実をそのまま肯定している絵とよんでいいのだろうか。やさしいことが勁さであることを願い、否定にむかうすべてにさからって、おおきくせかいを肯定しようとする意志をひめてたたかう絵だと。だいぶまえに展覧会で『子供』と題された麻生の作品をみたことを、ここでかたっていいのだろうか。とてもちいさな絵だったけれど、印象的だということをはるかにこえて、その子供の目がもつ光にはまったく負けてしまうなにかがあった。なんどそのまえにたっても、その感情はよわまらず、なによりもその目はつよいのである。無垢であることがもつつよさを放射して、その感触はいまでもはっきりのこっているほどだ。ふりかえって、このつよさはなんだろうとかんがえてみたのだが、たんに麻生三郎のつよさだけではなく、絵のつよさでもなく、冬と樹木のたたかいからほころびでた花のように、かれと絵のたたかいのなかから出現したつよさだ、とみるのがいちばんいいのではないだろうか。そのうえで、少年のころ壁に古靴をかけて絵をえがいたほど傾倒していた、そしていまもきっとそうであるはずのゴッホへの共感が、たしかにここで筆にこめられていると、ぽくは・沁閧ノおもうことにしている。もちろん、ゴッホの影響などまったくない、といってもおなじなので、だれかがだれかを継承するというのは、つまりこういうことなのだ。

(三重県立美術館学芸員)

引用文は、〔注]をした「青木繁の芸術−うたいあげた近代の青春」(『美術手帖』200号、1962年2月)以外はすべて麻生三郎文集『絵そして人、時』に収録されている。

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