ジョアン・ミロ
Joan Miró
1893年、バルセロナー1983年、マリョルカ島
45 《月の鳥》
Moon Bird
1944-46年
ブロンズ
Bronze
21×16.5×13cm
草月美術館
The Sogetsu Art Museum
46 《太陽の鳥》
Sun Bird
1944-46年
ブロンズ
Bronze
15.5×11.5×19.5cm
草月美術館
The Sogetsu Art Museum
47 《岩の上の鳥》
Bird on a Rock
1971年
ブロンズ
Bronze
65×50×26.5cm
ジョアン・ミロ財団、バルセロナ
Fundació Joan Miró, Barcelona
ミロが生まれたのはスペインのバルセロナでした。バルセロナはカタルニア地方の中心地で、交通、産業の要所だけでなく、文化的にも他の地方とは異なる歴史と特性を持っています。同郷には、建築家アントニオ・ガウディがいます。ミロの父は裕福な宝石商で、母方の祖父は高級家具職人でした。1900年小学校に入学し、デッサンを学び、1907年バルセロナのラ・ロンハ美術学校へ入学(この学校には12年前ピカソが入学)します。1910年から2年間、両親の希望で絵画を中断。商社に勤務しますが、体調を壊し芸術の道に専念することを許されます。1912年バルセロナのフランシスコ・ガリの美術学校へ入学。1915年同学校を終了、アトリエを構えます。郷土の色濃い彼の芸術が花開くのは、1919年初めてパリを訪れ、ピカソらとの交流以降です。1924年、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表し、ミロもその発起人に名を連ね、運動に参加します。1927年エルンスト、アルプ、マグリットラの住むモンマルトルへアトリエを移し、同時代の芸術家の間で頭角を現します。
バルセロナで受けた美術教育の中で、後のミロに大きな影響を与えたのは、ガリのデッサンの指導でした。「眼を閉じて、手で触れてみたその記憶から、物をデッサンする」。目隠しをしたまま手でものに触れ、その触覚で題材を3次元に表現する練習を行いました。後にミロはこう語ります。「今日でも、この触覚教育は、わたしの彫刻への関心となって甦っている」。手で掴み、感じ、表現する。この直接性と確実性がもたらす創造のインスピレーションを彼は大切にしました。
ミロが本格的に彫刻に足を踏み入れたのは1944年以降のことです。その2年前には「彫刻においてこそ、怪物たちがうごめく、全くの幻想の世界が作り出せるであろう。これまで絵画で行っていることは、非常にありきたりのものだ」と彫刻への強い思い入れを書き留めています。彼にとって満を持して発表した作品こそ、《月の鳥》と《太陽の鳥》でした。
この二つの彫刻は一見したところ、どこが鳥なのか、なぜ月で太陽なのか理解に苦しみます。しかし、辛抱強く細部をみていくと、《月の鳥》の頭部は組み合わされた三日月のようで、短い両腕を挙げて、夜の到来を祝福しているようです。一方《太陽の鳥》は大空を旋回しながら、地上を俯瞰している飛行機のようにも、深い海を音もなく進む深海魚のようにも見えます。ミロの作品は見る人の自由な連想を誘います。どれが正しくどれが間違っているのか気にするのはとてももったいないことです。なぜなら、作者自身がこう言っているんですから「描き始める時は鳥とか女とかいった正確な主題を描こうなどという意図はないのです。時々《空間の中の三羽の鳥》のように、対象物(オブジェ)が現れることがある。三羽の鳥が現れる。しかし、私がそれに気がつくのは鳥が現れた時なのです。つまり、鳥から出発しているのではないのであって、いわば鳥たちは、ほとんど私にさからって姿を現すのです」。
(生田ゆき)
参考文献
ユーモアと冒険の彫刻 ミロ展、西部美術館、1979年。
無垢と自由の芸術 ミロ展 太陽・月・星・鳥と女性たち、兵庫県立丸山川公苑美術館ほか、1997年。
現代世界美術全集 18 エルンスト/ミロ 解説:東野芳明、集英社、1972。
ミロ展、東京国立近代美術館ほか、1966年。
ミロ回顧展、福島県立美術館、1984年。
Les sculpteurs et l'animal dans l'art du XXe siècle,Monnaie de Paris,1999,p74-75.