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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 2001 > フラナガン、バリー 生田ゆき アートになった動物たち展図録 2001

バリー・フラナガン
Barry Flanagan

1941年、ロンドンー

26《ねじまがった釣鐘の上を跳ぶ野兎
Leaping Hare on Curly Bell

1989年

ブロンズ
Bronze

120×35×24cm

和歌山県立近代美術館
The Museum of Modern Art,Wakayama


イギリス中南部、プレスタティンに生まれたフラナガンは、16歳の時、バーミンガム美術工芸学校に入学しました。そこでははじめは建築を、次の年には彫刻について一通り学びました。しかしその後、20代前半は舞台装置を手がけたり、額縁屋で働いたり、骨董品の修理をしたり、ドーナッツのジャム塗りをしたり、いろいろな仕事を手がけていました。最初の個展が開かれたのは1966年、ロンドンでした。「aaing j gni aa」「ringn」、「pdreeoo」、「fpre su」、「erpf su」、「Ho」など、不思議なタイトルの作品ばかりです。それらはなにか具体的な形を再現しているのではなくて、布に石膏やスポンジを詰めたり、布や砂を利用したりといった抽象的な彫刻でした。その後、大理石やワイヤー、ブロンズ、はたまた陶芸までも手を広げ、いずれの分野に置いても独創的な作品を発表して私たちを楽しませてくれます。

フラナガンといえば「野兎」とすぐに頭に思い浮かぶ人も多いかも知れません。それほどまでに彼にとってこの動物を扱った連作は特別なものでした。記念すべき最初の野兎が生まれたのは1979年11月7日のことでした。その後も兎は大活躍しました。1982年には3メートル近くもある《跳ねる野兎》に挑戦しています。どうしてフラナガンは野兎にそんなにこだわるのでしょうか。作家自身の言葉を聞いてみましょう。「野兎のテーマはそれが非常に多くのことを物語ってくれるので選んだのです」。「多くのこと」って何でしょう?もっと詳しく言うと「たとえば、その耳は、人物の横目の視線やモデルの顔のしかめっつらよりもはるかに多くを伝えることができるのです」。兎が持っている大きな耳、ピント立ったり、風になびいたり、それが私たち人間の表情以上に生き生きと兎が考えていること、さらにはフラナガンが伝えようとすることまでも表してくれるのだと彼は気がついたのです。さらにつけ加えると、野兎たちはただ表現力が豊かなだけではありません。たとえば、ロンドンの町中に置かれても、美術館のライトに照らされても、そんなことはお構いなし。すがすがしく軽やかに、まるで風のように私たちの間を駆け抜けていくたくましさを持っているのです。 細長くのびた体が空中を泳ぐように飛んでいます。兎の下にはちょっと変わった形の鐘が転がっています。まるで自分の重い体をもてあまし、手を伸ばして兎をつかもうとしてるかのようです。すっかり私たちが知っている野兎らしくない形に変えられてしまったように見えますか?いいえ、一見するとごつごつした手足も、きちんと骨格や筋肉のありかが分かるようにデリケートに形を盛り上げたり、切れ目が入れられています。顔だって、眼も鼻も口もちゃんと主張しています。ちょっと方向転換して、兎のおしりの方から眺めてみると、ぐっと反り返った背中の曲線がとても力強く感じられて、意外な姿が発見できます。さてもうひとつおまけにこの兎、ぐるりと回ってじっくり見た人だけが見つけられる仕掛けを隠しているんです。

(生田ゆき)


参考文献

バリー・フラナガン展 1985年10月8日ー11月2日 フジテレビギャラリー
バリー・フラナガン展 1991年10月31日ー12月6日 フジテレビギャラリー
Barry Flanagan: Waddington Galleries,1990.

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